エッセイ「ヘソ曲がりガエルの戯言(たわごと)」

あそうぎ零(阿僧祇 零)

第1話 涙のインフレーション

 今日の某全国紙朝刊に掲載されていた本の広告を見て、またかと思いました。 2面の下の方、縦17cm、横19cmくらいの、比較的大きな広告です。

 またかと思ったのは、「泣く」「涙」関連の言葉が、4か所もあったことです。

 その部分を抜粋すると、次のとおりです。


「惹かれ合う二人の恋の行方に涙が止まらない」

「後半、涙でグシャグシャになりました」

「感動して涙で目が腫れました(笑)」

「優しさ、純粋さに泣けた」


 ヘソ曲がりガエルの私は、こう思ってしまいます。

”泣けることは、そんなに素晴らしいことなのか?”

”涙とは、そんなの偉いのか?”


 私は、「泣ける作品 = すぐれた作品」とは、まったく、1ミクロンも思いません。

 しかし、日本の小説や映画には、やたら泣けることを売り物にするものが目に付きます。それらの本や映画の宣伝文句も、やたらに涙や泣けることを強調します。

 そう思うのは私だけで、ひょっとすると、私は感情の乏しい、冷淡な人間なのだろうか、という変な疑問を抱いてしまうほどです。まあ、そうではないと、自分の中の答えは明確なのですが。


 いうまでもなく、涙とは無縁でも優れた作品は、たくさんあります。

 例えば、私はSFホラー映画「エイリアン」(1979年、リドリー・スコット監督)が大好きで、恐怖というものを映像化した優れた作品だと思っています。

 しかし、あれを観ても涙は出ません。


 いえ、待って下さい。

 映画を観て涙が出た数少ない経験の一つを思い出しました。

 その作品は、「スパルタカス」(1960年、カーク・ダグラス製作総指揮主演)です。

 公開年からいって、劇場ではなくテレビで観たのだと思います。

 スパルタカスは古代ローマの奴隷で、大規模な奴隷の反乱(スパルタカスの乱)のリーダーです。

 一時は優勢だった反乱軍は、やがてローマ軍に鎮圧されます。

 捕らわれたスパルタカスたちに対して、ローマ軍の指揮官は言います。首謀者・スパルタカスひとりが名乗り出れば、他の者たちの命は助けると。

 すると、反乱軍の奴隷たちは次々と「俺がスパルタカスだ!」と名乗り出るのでした。

 そのため、スパルタカスを含めた全員が、アッピア街道(ローマの街道の一つ)に沿ってはりつけになりました。

 あの、次々に名乗り出るシーンには、ジーンときました。


 日本の小説や映画にありがちな涙は、「肉親の死」「不治の病」「余命いくばくもない」「出生の秘密」「不幸な生い立ち」「けなげな犬・猫」といったものが多いように思います。

 それらを使えば、手っ取り早く「泣ける作品」が作れるからだろうと、ヘソ曲がりガエルは考えます。


※ 上記の映画2作品に関するデータは、ウィキペディア(日本版)によります。




 

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