ガザで亡くなった詩人、リファアト・アル=アルイールに

ダイ大佐 / 人類解放救済戦線創立者

ガザ、2023年

 ―—もし私が死ななければならないなら

 それを一編の物語にして―—

                      リファアト・アル=アルイール


 *   *   *


 僕は今、見知らぬ女の子と共に地獄にいる。


 白地に青の六芒星の旗をつけた戦車が四両、数百メートル先で病院を砲撃している。


 女の子は泣きそうな顔をしながらそれでも気丈に僕の目を睨んでいる。


 僕自身も流れ弾を肩に受け半分泣きながら建物の陰に隠れていた。


 痛い―—痛い―—痛い―—痛い―—。


 しかし、泣くわけにはいかない。


 泣いてしまえば全てが終わってしまう、そんな気がした。


「おじさん、大丈夫―—?」女の子がささやく様な声で尋ねてくる。


 僕は返事をする代わりに右手の親指を立てて微笑んだ―—大分しゃがれた笑みだと自分でも思った。


 視界に入るビルが積み木を崩す様に崩壊した。


「―—砲撃が止んだら、病院に行こう。お父さんもお母さんもそこに居るよ。安心して、僕が守るから―—」


 辺りをぶんぶんとドローンが飛び交っている。


 周りは一面灰色―—空爆を受けた建物のコンクリート塵でびっしりと覆われていた。


 その時、空をつんざく轟音が響いた―—戦闘機だ。


 戦闘機の腹から黒い点が降ってきた。


 みるみる近づいてくる―—僕は悟った。


 あれは―—死―—だ。


 女の子が僕の服をぎゅっと掴んだ。


 黒い点が円盤になり、さらに勢いを増してこちらに落ちて来る。


 後三秒―—二秒―—一秒―—時間が止まる。


 大量のアドレナリンが出ると時間がゆっくりに感じる―—それだと思った。


 少し経って様子がおかしい事に僕は気付く。


 ドローンの音も、砲撃の振動も無い、目の前を舞う塵さえも止まっている。


 真正面に人がいた―—長身の白衣を纏った―—医者かと僕は思った。


 僕はいよいよ幻覚を見始めた―—。


 肌は黒い―—炭の様に真っ黒な人影―—真っ白な髪を長く伸ばした男だと分かった。


 痩せて髭を生やしてない若い男だ。


 軍人じゃない、抵抗運動の活動家でもない。


 この男が時間を止めたのだと思った。


「あんた、何者だ? こんな所にいたら死んじまうぞ」質問してから酷く場違いな発言をしたと思った。


 男は何も答えない、僕らはこのうちに爆弾の着弾点から逃れようとする―—しかし、歩くことは出来なかった。


 女の子は僕の服にしがみついたまま、男を見つめていた。


 まるで魂を抜かれたかの様に。


 男は水際立った美形だった―—だから見つめているという訳ではなさそうだけど―—男には誘蛾灯の様に人を惹きつける何かが有った。


「歩けるようにしてくれよ―—このままじゃ僕たちは挽き肉になっちまう」時間を止められるなら足もどうにかしてくれると僕は思った。


 男はまたも沈黙したままだった。


 僕はイライラしてきた。


「僕たちを助けてくれるんじゃないのか」言葉に棘が出る。


 僕たちがここで死ななきゃならないなんて本当に理不尽だ。


 僕だけならともかく、年端のいかないこの子が死ななきゃいけない理由なんてどこにも無い。


 僕は何度も男に理不尽さを訴える。


 それでも男は沈黙を崩さない。


 何度か詰問した後、男は重々しく手を振った―—途端に目の前に映像が映った。


 悠長にそんなものを見てる時間は無いのに―—それでも動けない今、それを見るしかなかった。


 それは地球に生命が誕生してから今まで死んでいった全ての命の映像だった。


 どの命も必死に生きたいと願い叫びながら死んでいく―—僕はひるんだがそれでも怒りの方が勝っていた。


「理不尽に命を奪われていくのが僕たちだけじゃないからって、僕たちが死ぬべきだって理由にはならないだろ! あんた神なんじゃないのか!?」


 その時風が吹いた―—髪に隠れていた男の眼が露わになる。


 その色の無い深い瞳を見た時、僕は全てを理解した。


 男は地球―—いや、宇宙が始まって以来常に殺される側に立って命の最期を引き取ってきたのだ。


 死神―—鎌を持った骸骨ではないが、こいつは死神なのだ。


「つまり僕たちはここで無駄死にする事が運命だと―—神は本当に死んだな」僕は乾いた笑いを漏らした。


〝無駄ではない〟頭の中に海の底から聞こえた様な深い声がした。


 男の目には涙が有った―—僕らへの同情では無い涙が。


 無表情の中に哀しみが有る―—死神は人の死を決めたりしない、それは運命と本人の選択によって決まる―—僕がさっき理解した事だった。


〝いと高き所におられる方も人の運命に干渉したりはしない〟


「安心安全な所から高みの見物って訳か。気楽でいいね」


〝そなたもそうだ〟


「僕たちはちっとも安全じゃない」


〝主がそうである様にそなたたちも永遠だ〟


「じゃあなんで人は死ぬ? 何で戦争が有る? 何故世界は悪に満ちている?」


 映像が変わった―—人々が世界は悪に満ちていると叫び―—その悪に対抗する為に自ら悪を再創造する場面だった。


 その中には僕もいた―—衝撃に僕は打ちのめされた。


〝神は自らに似せて人間を創造した―—残りは神が与えた力によって人間が創造したのだ〟


 悪も、善も、老いも、死も、悪魔も、戦争も、不平等も、地獄すらも、人間が、僕たちが創造した―—。


「だけど……だけど僕は……僕たちは全てに責任は負えない」


 死は無言だった。


「僕に何をしろって言うんだ?」僕は叫んだ。


 女の子はびくっと身を震わせる。


「僕たちがこんな目に遭ってるのも自己責任って言いたいのか? 平和を奪われ、尊厳を奪われ、ささやかな幸せも、夢も抱けずに、パンさえ食べれずに、この子もろとも無意味に死んでいくのも僕の責任だって言うのか?」


〝そなただけの責任ではない〟


「こんな地獄で責任なんて負えるものか」猛烈な怒りが有った。


「僕たちに欠陥が有るってのは事実だろうさ、だけどその欠陥を造ったのは他ならぬ神だろう!」


 僕は神を罵り、喚いた。


 悪意と混乱に満ちた呪いの言葉だった。


 敬虔な回教徒だった母が聞いたら卒倒しかねない程の。


「何か言えよ! 死神! あんたも忌々しい神の手先なんだろう!」


 僕は知らず知らずのうちに泣いていた。


 神を否定する事がこんなに悲しい事だとは僕は知らなかった。


 大学でも神の存在を疑う論文を書いたのに。


 散々喚いて、喚き尽くすと気分は少し落ち着いた。


「あんたは何をしてくれるんだ? 死神さん」


 死は僕たちの瞳を見ながら、手をかざした。


 撃たれた肩の痛みが嘘のように消えた。


 あれほどしつこかった空腹と渇きもあっさりと癒えた。


 女の子もそうだったらしい。


「ありがとう。天使様」女の子が陶然とした声で言った。


 僕は深呼吸した―—塵が舞っているはずの空気は高原の様な清冽さに満ちていた。


 僕は覚悟を決めた。


「死神さん、せめて僕たちの最期を神に届けてくれないか。僕の死を無駄にして欲しくないんだ」


 言ってから大層な願いをしたのではないかと肝が冷えた―—神を罵った時でさえそうは思わなかったのに。


 死はうなづいた様だった―—その姿が薄れて消える。


 時間が巻き戻る。


 僕は必死に女の子に覆い被さる。


 有り得ない事だがもしかしたら僕はここでこうなる事を人生の何処かで選んだのかも知れない―—。


 凄まじい音を立てて爆弾が降ってきた。


 いつかイスラエル人たちも自分たちが誤った事に気付くだろう―—父よ、彼等をお許しください、彼等は自分が何をしているのか分かっていないのです。


 恐怖は微塵も感じない。


 たとえ我、死の影の谷を歩むとも。


 一瞬の沈黙の後、真っ白な光が辺りを覆った。


 ―—そして、僕の肉体はこの世で最後の役割を終えた―—。

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