地面キーホルダー

夜賀千速

 

アスファルトを踏みつけて歩く。

学校までは、あと10分くらい。

信号が赤になった。

僕はスニーカーの動きを止めた。


ふと、横断歩道の向こうにキーホルダーが落ちているのを見つけた。

あの場所にあるってことは、この学校に通う誰かのものなのだろうか。


肝心の何のキーホルダーなのかについてだが、よく見えなかった。

早朝の焦る人の波に襲われながもひっそりと存在しているそれに、僕は謎の愛着のようなものを覚えた。

こんなことでなんだが、中原中也の気持ちが分かるような気がした。



拾おう、と思った。



信号が色を変えた。

あまりにも沢山の人が吸いこまれていくように足を動かすものだから、僕は嫌気が差した。

いっそ全てを終わらせられたら、と思い立つ。

もちろんそんなことをする術も権限も、僕にはあるはずないのだけれど。

そういえば、僕の小さい頃の夢は「世界を自分の手で壊すこと」だったなぁ。

そんな幻想が、何もない僕の頭をよぎる。

自分を殺すように、口角を上げてみた。


人の波に遅ればせながら、僕も一応前へと向かう。

横断歩道の白と黒の隙間が、やけに広く感じられた。


信号に映る緑の人が、点滅を始めた。

雑音が脳にガサガサと響き、無性に叫びたくなる。

体中の痛覚が一斉に集まったように、そこが軋んだ。

ふらつく僕に目を留める人など、もちろん何処にもいないようだった。



なんとか向こう岸に着くと、キーホルダーが在った。



驚いたことに、そのキーホルダーには主役がいなかった。

紐と金具だけが、虚しく横たわっていたのだ。

もちろん鍵もない。

それの先には何がついていたのだろう。

どんなバックにぶら下がっていたのだろうか。


沢山の足が、しゃがむ僕の横を通り過ぎていった。


こんなところで何をしてるんだ、と我に返る。

自分が興味を持ったものに対して、己に対して、嘲笑った。


それでも僕は、それをポケットに入れようと思った。

拾おうと地面に手を伸ばし、それに触れる。

ひんやりしたような生ぬるいような、紐が指に絡みつく。


「あっ」

声にならないような響きが、耳元を掠めた。

自分の声なのか、はたまた違う誰かなのか、僕には何一つ分からなかった。


紐を持つ手を引き上げ、地面から引き離そうとする。


なのに、それはびくともしなかった。

アスファルトの窪みと突起の間に挟まって、離れないキーホルダーの残骸。


「なんだこれ」

思わず口にし、力ずくで引っ張った。

するとそれは、地面に食い込むように、アスファルトに潜り込む。

持ち上げれば持ち上げるほど、力を入れれば入れるほど、本気になればなるほど、それは地球へと戻されていく。


「えっ」

何故こんなことをしているのか、自分でもさらさら分からなかった。

でも、僕の目はそれを捉えて離さない。


何分たったのだろうか。

体中の力を振り絞った挙句、手応えが指先に伝わる。


もっと力を込めた。爪が痛い。



「ついに抜ける」



期待が体を駆け巡り、汗が額からこぼれ落ちた。

その瞬間。


メキメキ、バリッ。

足元が割れた。

アスファルトが弾け、グラグラと揺れる。



—まるで地震のように、それは訪れた。


僕に聞こえたものは、沢山の人の叫び声と、逃げ回る足音と。

あぁそうか、と思った。


地球を下げた、地面キーホルダー。

結びつく留め具を外したのは、僕だった。


面白い、そういうことか。

僕は全てを終わらせられたんだ、地球の救世主になれたんだ。

僕の夢は叶ったんだ。


「世界を自分の手で壊す」


最高じゃないか。


目の前でほどかれてゆく地球を見て、嬉しさに胸を弾ませた。

地球=世界という話ではないのかもしれないが、人類にとってそれはもうほとんどイコールだ。

有象無象の輩を滅ぼすという、僕の計画は成功したんだ。


僕は笑った。

壊れゆく地球の上で、壊れるほど笑った。







それから、X年後。


名もなき星に結ばれた、紐を持つ手があった。

宇宙という箱にかけられた紐を、どこかの誰かが引っ張った。



膨大な空間を束ねる一つの紐に、俺は手をかけた。


良いキーホルダーをゲットしたものだ。

俺は口角を上げた。


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