第52話 自身を憎悪する空
そこに空さんはいなかったが、僕はそこに寝転がり瞑想するような気分で物思いにふけった。
今夜まで僕の隣に座っていた空さんは、明日にはもう大テーブルの反対側の奥で、おそらく得意満面の大城さんの隣にいつも座ることになるのだろう。なんでだろう、僕にそれがとてもつらい。
いや、たとえどんな理由だろうと僕は耐えなくてはならない。これは空さんが望んだことなのだから、僕がとやかく言う事じゃない。そう思って僕は少し歯ぎしりをした。
するとがさっと、足音が聞こえる腕枕をしながら僕がそちらの方を見ると空さんだった。
カンテラの明かりに照らされた空さんはなんだか幽霊のようだった。
「やっぱりここにいた。さっき掃除、してくれたんだ。ありがと」
ここに来る前シエロのいた
「ええ、これで最後ですから」
背を丸め、これから新天地で新しい仕事に挑もうとするような覇気はない。まだ空さんは万全の状態じゃなかったか。うつ病は環境の変化に弱い。僕は間違っていた。空さんを異動させるべきではなかった。せめて僕は明るく送り出してあげよう。
「異動願通ってよかったですね」
僕が身体を起こすと、空さんは僕の隣に座った。なんだろう。いつもよりずいぶん距離が近い気がする。
「うん、ひろ君が口をきいてくれたんでしょ」
「僕は大したことは言っていません」
「それでもありがとう」
「どういたしまして」
僕は訊きたかったことをストレートにぶつけてみた。なるべく明るく軽い口調で。
「でもなんで急に? 乗馬と馬術を学びたいって言ってらしたそうですが、それにしてもびっくりしましたよ」
「うん……」
あまり言いたくなさそうだ。ならあえて訊かない方がいいのかも知れない。そう思った時空さんはぽつりと漏らした。
「ひろ君の負担になりたくないから」
「負担ってどういう……」
空さんの言っていることがピンとこない。
「私のことで色々負担をかけてる。日常業務だけじゃない。企画のお仕事だって日々のことだって、すごく細やかに気をつかってもらったりフォローしてもらったりして」
僕の表情が硬くなる。
「もしかしてこの間の原沢の件ですか」
「ううん違うの、原沢さんは悪くない。私がいけなかったの。ひろ君の優しさに甘えてばかりで」
「今は甘えるべき時期だと思います。あまり自分を追い詰めないで下さい。自分に優しくする時間をもっと持って下さい」
「自分に優しく……?」
「そうです。そしてゆっくり心の不調を治していきましょう」
「……」
「どうしました?」
「自分に優しくなんかできるわけない」
「それは…… どうしてですか?」
「私、自分が大っ嫌い。憎んでる」
空さんは冷たく硬質な声で吐き捨てた。
【次回】
第53話 空の、裕樹の苦痛の根幹
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