第28話 人馬一体
「馬に乗ったことはないんですか?」
一瞬自分に声をかけられていると思わなかった空さんは、しばらくシエロと無表情に無言で静かにじゃれ合っていたが、ふと
「あ、はい、ありません」
無表情に答える。
「もったいないなあ。それだけシエロと気持ちが通じていればいい騎手になれただろうに」
空さんが目を丸くする。初めて見せる表情だ。
「あの、私、乗れるんですか? シエロに? 乗っていいんですか?」
「もちろん」
今まで見たことのない空さんの顔だった。少し、ほんの少しだけど輝いたような気がした。
「乗りたい。乗りたいです」
ここに来て初めて力のある声で
「どうかな?」
「いいと思います。空さんがそう望むのならやってみるべきです。ムネさんにもそう言っておきます」
「決まりだ。じゃ、空さん頑張ってみて」
「はい」
僕は空さんの目に決意のようなものを見た。初めて見る生き生きとした目だった。
「空さんがシエロに乗って引退競走馬杯で優勝するのも夢じゃないかもね」
「えっ」
空さんは意外そうな顔をした。
「そうだよ。俺やあそこの
「人馬、一体……」
僕は釘を刺した。
「まあまあ、始める前からそんな大きすぎる夢を言っても仕方ないですよ。とにかく明日からトレニンーグ開始、でいいですか」
僕の言葉に
「こっちは構わないよ、この時間なら少しは手も空いてるし。ただ教えられるのは一日に
「え、ええ、構いません。大丈夫です」
「ありがとうございます。よろしくお願い致します」
そうして翌日から空さんは
午前の練習は
空さんを乗せる時のシエロは驚くほど慎重に歩く。普通、元競走馬というものは現役時代のくせが抜けず姿勢を低くし速く走りたがるものだが、シエロそんな素振りを全く見せない。さらに空さんは乗馬に関して驚異的な資質を持っていた。その資質の高さをもって、みるみる上達していく。正に「人馬一体」。これは本当に現実のものとなるかもしれない。僕は空さんとシエロの先にある未来に輝くものを見たような気がした。
しかし、ほかのスタッフに馴染めないのは仕事をする上で大きな問題だった。ほかのスタッフにも心を開くのが今の空さんの課題のひとつでもあると僕は考えていた。
【次回】
第29話 見回りと原沢
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