第9話 死神に手を引かれる空

 僕は赤面しつつしどろもどろになって答えた。原沢は不機嫌かつ不穏な表情で僕を見ていた。


「そ、そんなことないです…… そんなこと…… 僕は何も。あれはシエロのおかげです」


 僕はただ空さんが…… 決してあんなことにはならないように…… 感情も生気もない瞳の、そして多分年上の彼女に既視感デジャヴュを覚える。果たして僕に空さんが救えるだろうか。この瞳に光を取り戻させることができるだろうか。いや、なんとしてもそうしたい。そうしなければ。僕はこの瞬間にはっきりと決意した。何かを強く決意したのはあの日以来だったかも知れない。そう思いつつ僕は今日会ったばかりの空さんに強く惹かれている自分に気付けていなかった。だが、その空さんの次の言葉に僕は愕然とした。


「でももう余計なことはしないで。邪魔」


「えっ、あの、そのッ、僕が何かっ」


 慌てふためく僕。話の見えない原沢。空さんは、冷たい声と冷たい目で僕ではなく、わらの山を見ながら言った。


「私のやりたいようにさせて」


 僕は絶句した。やりたいようにとは、それはまさか。考えたくない考えが浮かぶ。


「私死にたいの」


 セミロングでサマーセーターに細いデニムの空さんがピッチフォーク片手に僕の方を向いて言う。僕は愕然として手を止め空さんと正面から向かい合う。眼が合う。

 僕はやっとのことで声を絞り出した。


「だめです……」


 原沢も青ざめて声を吐き出す。


「死に…… たい…… ?」


 空さんは軽く頭を振る。


「ひろ君が何したって私死んでみせるから。見てて」


「空さんが何をしたって僕は空さんの自殺を阻止します……」


「眠い人には眠りが必要なように、死にたい人には死が必要なの」


「眠りは目覚めますが、死からは甦りません。死は不可逆です」


「だからよ。だからこそ私は死ぬの、死ななくてはならないの」


「どうして!」


 周りのスタッフが驚いて僕を見る。原沢も驚いた顔して僕を見ている。みんな僕の感情的な大声を聞いたのはこれが初めてだろう。


「言う必要を感じません。これ以上構って来たらいくらひろ君でも、ひどいセクハラされたってムネさんに泣いて訴えるから。だからもう私に係わらないで」


 そう言うと空さんは見様見真似のへっぴり腰でわらをフォークで一輪車に乗せる。僕らはそんな空さんを黙って見つめるしかなかった。


 その一方で僕が空さんを呼ぶと素知らぬ顔をして無表情の空さんがパタパタと子犬のように僕のそばへ駆けよってくる。さっきのやり取りとこの態度のギャップに僕は困惑する。


 厩舎きゅうしゃの中で改めて空さんに馬への餌やりを見せる。それぞれの食べる勢いで体調を測る。敷き藁を食べたりしないように夜用の干草を飼い葉桶に配る。空さんはそれを無表情に眺めていた。もしかすると馬に興味があるのかも知れない。

 そこで僕は少し気分を変えようと思った。空さんにポケットからニンジンを取り出して見せる。不思議そうな顔をする空さん。


「空さん、これ食べます……?」



【次回】

第10話 ニンジンと空とシエロ

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