第2章 空に纏(まつ)わりつく死の翳(かげ)

第7話 死を求むる病

 ここの夕食は早い。その夕食前に僕はムネさんの許可を得て空さんをある所へ連れていくことにした。僕は所在無げにたたずむ空さんに声をかけた。


「ちょっと行きたいところがあるんですが、空さんも付き合ってくれます?」


 空さんは無言でうなずくと緩慢な動作で僕の用意した車の助手席に収まった。


 西巻クリニックは盛岡駅前にある小さなクリニックだ。いつも空いていて、僕があらかじめ電話で連絡すると十分ほどの待ち時間で済んだ。その間空さんは微動だにせずただ床の一点を凝視するばかりだった。まず最初に僕が呼ばれる。


「おーっ、この不良患者め。先月もサボりやがって。で、最近はどうだ」


 おどけた口調で笑う西巻晃司先生はまだ30を少し過ぎた若い精神・神経科の医師だ。


「すいません、忙しくてなかなか来れなくて…… 最近はまあまあうまくやってます」


「うん確かに調子もよさそうだ。薬出すから頼むから来月は来てくれよ。そうそう、それで今日は他にも用があるみたいだけど?」


「ええ、実は診てもらいたい人がうちのスタッフにいまして」


 僕は空さんを見ず知らずの人とするよりスタッフとして紹介した方が良いような気がした。


 僕は空さんの問診票を見せる。それを見て無言でうなずく西巻先生。


「なるほど。判った。じゃあその人呼んで。ああ、簑島みのしまさんは診察室から出てよ。二人っきりで診察するから」


 空さんを呼んで診察室に入れる。西巻先生が人を安心させるような穏やかな声で「こんにちは」と言うと扉が閉じ何も聞こえなくなった。三十分以上は経っただろうか、扉が開くと幽霊のような空さんがすうっと現れ僕の隣に無言で座る。代わりに僕が呼ばれまた診察室に入った。


 西巻先生は頭を抱えていた。片手で両こめかみに指を当てる。一つ溜息を吐くと西巻先生は僕をちらっと見た。


「彼女そっちのスタッフじゃないでしょ」


「あっ」


 僕は冷や汗が出た。


「旅行者だって言ってたよ」


「……すいません」


「なんでそんな嘘を吐いたのか、なんとなくわかるけど」


「はい、すいません」


「それで、簑島みのしまさんはどう思う? 彼女」


「あ、あの…… 強いうつ状態だと思います」


「そうだね。あの頃の簑島みのしまさんより遥かにひどい。薬を出そう。次回の受診は一週間後。あと、必ず誰かがそばにいること。いいね。言ってる意味判るよね」


 僕は緊張のあまりつばを飲み込むと言った。それはつまり7年前のあの時と同じだということなのか。


「はい。判ります」


 西巻先生は両手を後頭部に回して椅子を回転させて僕の方を向いた。声は軽かったがその内容は重いものだった。


衷心ちゅうしんから勧めるけど、これは警察に言った方がいいと思うなあ」


「……」


「どう思う?」


「僕は…… 僕はそうは思いません」


「どうして?」


「辛い出来事にあったであろう場所に戻るより、ここにいてシエロと ……僕で転地療養するのがスムーズだと思います」


「ふうむ、シエロ?」


 先生の眼が僕を探るように見えた。僕は空さんとシエロとの経緯を簡単に説明した。


「そういうことか。医師として我流のホースセラピーなんて、到底お勧めはしないけどね。まあいいでしょう。他でもない簑島みのしまさんの言う事だから信じましょう。でも何かあったら必ず連絡して下さい。不測の事態があれば簑島みのしまさんに断りなく私の方から警察に連絡しますし入院だってさせます。いいね」


「ホースセラピーなら今新事業立ち上げに伴う専門のスタッフがいますし僕だってかたときも空さんから離れないようにします。だから大丈夫です。心配いりません」


「うん、期待しているよ」


 西巻先生からしっかりと言い含められて僕らはクリニックを出て薬局で薬を貰った。その間も空さんの方から話しかける言葉はなく、僕が話しかけてもほとんど無言だった。



【次回】

第8話 「ひろ君」と呼ぶ人に胸を痛め

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