第2話 俺、無事終了のお知らせ(いやいや、あ~しが守るから

「……憂鬱だ」


 翌朝、校門を通過した九朗は陰鬱な顔で呟いた。


 陽キャ共のお遊びに巻き込まれ、昨日は散々だった。


 結局明星は最後まで諦めず、放課後まで追ってきた。


 最終的に本気で走って撒いたのだが、足が遅かったら家までついて来そうな気配があった。


 きっと今日も絡んでくるのだろう。


 そう思うと学校に行くのが憂鬱で仕方ない。


 あるいは陽キャらしく昨日の事なんかコロッと忘れて何食わぬ顔でバカ騒ぎに興じるのだろうか。


 それはそれで腹が立つ気もするのだが、陰キャの平穏が守られるのならこの際文句は言わない。


 神様仏様! どうか俺の日常を返してくれ!


 こんな時ばかり都合よく神頼みをしたのがよくなかったのだろう。


「あ! オタク君じゃん! おっは~!」


 朝っぱらから無駄に元気な明星の声が背後で響く。


「げ……」

「げ……ってなに!? 酷くない!?」


 当然のように隣に並んだ明星が九朗に負けじと顔をしかめる。


「……だって」

「だってなんだし!」


 詰められて九朗は困った。


 思い返せば保育園の頃から友達のいない、筋金入りの陰キャの九朗である。


 そもそも他人と話すのは苦手で、それが女子ならもっと苦手だ。


 おまけに明星は入学したばかりだと言うのに、上級生の間ですら噂に上がるようなティア1美少女である。


 さらに陽キャでイケてるギャルだ。


 九朗の苦手を全部詰め込んだような逆パーフェクトヒューマンである。


 そりゃ「げ……」とも言いたくなる。


 そんな事を説明しても理解されないだろうから言わないが。


「……なに? 黙ってちゃわかんないじゃん!」


 黙る九朗に明星はこちらが悪いみたいな視線を向ける。


 九朗は溜息を吐き、ぼそりと言った。


「……今日も俺の事つけ回す気だろ」


 そんな事、言わなくたって分かりそうなものなのだが。


 言った所で分かる陽キャでもなかったらしい。


 明星は不本意そうに口を尖らせ。


「いーじゃん別に。あ~しはオタク君の彼女なんだよ?」

「「「はぁあああああああ!?」」」


 素っ頓狂な声を挙げたのは周囲で聞き耳を立てていた有象無象のモブ学生達だった。


 明星が親し気に九朗に挨拶していた時点でかなりの注目が集まっていたのである。


「嘘だろ日野さん!?」

「なんでこんな奴と!?」

「ありえねぇ!? もしかして、秘密でも握られてるのか!?」


 本人を前にして好き勝手にモブが騒ぐ。


 我ながらその通りだと思うので九朗も腹は立たなかったが。


 こうなるだろうと思っていたから、九朗も明星の悪ふざけに付き合うのはイヤだったのだ。


 自分のような最底辺の陰キャオタクがティア1美少女の明星と付き合ったらどうなるか。


 バカにされ、嫉妬され、学校中の男子から反感を買いまくるに決まっている。


 明星にとってはちょっとしたお遊びのつもりかもしれないが、九朗にとっては学校生活の危機である。


「ち、違う! それはこいつが勝手に言ってるだけで、そもそもそれだって罰ゲームで……」


 慌てて九朗も否定するが、普段からぼそぼそ喋っているせいで大きな声が出てこない。


「なんだって?」

「よくわかんないけど、日野さんの事こいつ呼ばわりしてないか?」

「てか雰囲気的にこいつじゃなくて日野さんから告ったっぽくね?」

「ますますありえねぇ~! 何様だよこいつ!?」

「だ、だから、違うんだって……」


 言った所で誰も聞いておらず、誤解は酷くなる一方である。


 ダメ押しに。


「そうなんだよ! オタク君ってば酷いんだから! あ~しが彼女になってあげるって言ってるのに「俺にも選ぶ権利がある!」とか言って逃げるんだから! まぁ、あ~しには関係ないけどね?」


 と、無駄に愛嬌のある顔でウィンクを飛ばしてくる。


 九朗は眩暈がした。


 二人を取り巻く男子生徒の目の色が変わり、明らかに殺気だっている。


「……はぁ? 日野さんに告られただけでも許せねぇのに、それを断っただぁ?」

「しかもドヤ顔で「俺様にも選ぶ権利がある!」と……」

「陰キャのオタク野郎が随分大きく出たもんだなぁ?」


 ポキポキと拳を鳴らし、怖い顔で男子軍団が迫って来る。


「言ってない!? 言ってないって!?」

「言ったじゃん! あ~しはこの耳でバッチシ聞いたんだからね! 言っとくけど、結構ショックだったんだよ!」


 一触即発の雰囲気もどこ吹く風で、明星はピンピンと耳を弾いて口を尖らせる。


「そ、それは悪かったけど……。そんな言い方はしてなかっただろ!?」

「やっぱり言ったんじゃねぇか!」

「この野郎、許せねぇ!」

「粛清してやる!」

「ま、待ってくれ! 暴力反対! 話せばわかる!?」


 九朗の命乞いも聞かず腕まくりをした男子達が殺到する。


「ちょっとぉおお! オタク君はあ~しの彼氏なんですけどぉ? てか、そうでなくても暴力とか普通に犯罪だから! 乱暴したら先生に言いつけるよ!」


 九朗を守るように両手を広げ、明星が怒れる男子生徒との間に割って入る。


「で、でも日野さん!?」

「デモもストもないの! 別にオタク君悪い事してないでしょ! てかあ~しが誰と付き合おうが関係ないし! てかあんた誰? どこのドイツ人!」

「いや、日本人だけど……」

「そんな事見れば分かるんですけど!」

「えぇ……」


 明星節に男子達もタジタジだ。


「とーにーかーく! オタク君に手出したらあ~しが許さないから! っていうか相手が誰であれ手出したらダメ! イジメとかあ~し大っ嫌いだし! 乱暴な人も嫌いだから! 分かった!」

「「「わ、分かりました!?」」」


 激オコの剣幕に男子達も引き下がる。


 それを見て、明星はコロッと笑顔になり。


「分かればよろしい。じゃあオタク君、行こっか?」


 と、これまた当然のように腕を組み、茫然とする九朗を引っ張っていく。


(……助かったのか?)


 親の仇を見逃すような目をした男子達の表情を見るに、そんな風には思えなかったが。


(……ていうか日野さん胸……めっちゃ当たってるんだけど……)


 明星は自分の物である事を誇示するように、両手でガッチリ九朗の左腕を抱えている。


 不可抗力的に、二の腕の辺りにドッシリとしたポヨンポヨンの温もりが乗っていた。


 九朗は悩んだ。


 出来る事なら注意したい。


 だがどうやって?


「日野さん。俺の左腕におっぱいが乗ってるんだけど」


 なんて言えるわけがない。


 そんな事をこんな所で言ったら、いや、どんな場所で言ったとしても陰キャオタク的には社会的な死の未来しか見えてこない。


 だからと言って彼女でもない相手のおっぱいに触れていていいのだろうか?


 いいわけないだろ!?


 と思うのだが、だからと言ってどうしようもない。


(頼む日野さん! 気付いてくれええええええ!)


 九朗は祈った。


 ワンチャンテレパシーに目覚める事に期待して。


 これ程本気で祈ったのは下校中にウンチが漏れそうになった時以来である。


 まぁ、届くわけはないのだが。

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