第2話

 12月も半ば、SNSの情報によると、柚香は12月の後半に舞台に出演するらしい。アイドルだけでなく演技もできるなんて、ますます興味がわいてくる。僕は舞台を見たことがない。だからといって演技に興味がないわけでなく、テレビのドラマとかは比較的好きだ。なので初めて舞台を見に行くのもいいかなと思う。舞台を見に行ったら当たり前だが、初めて柚香に会うことになる。そうなると流石に緊張するだろう。舞台の後にある物販で、直接会って話せる時間もあるらしい。何を話そう? ちゃんと話せるだろうか。考えれば考えるほど、緊張する。僕はコミュニケーションは得意じゃない。インストラクターという接客業をやっていながら、どうしてと思われるだろうが、本当に苦手なのだ。不安が募っていく。


 迷っていると、いつの間にか、舞台が数日後まで迫ってきている。憂鬱なクリスマスは何事もなく過ぎていた。柚香のSNSは舞台の予約受付中の案内のつぶやきをしている。幸いなことに、丁度、仕事が休みの日もまたいで舞台は上演しているらしい。これは行くべきかなと僕は心のなかでつぶやいていた。よし、もう決心しよう。行かなくて後悔するのはごめんだ。そうして僕は柚香の舞台を見に行くことを決めた。


 行くとなると、服を何着ていくか迷う。クローゼットをあさりながら、あーでもない、こーでもないと、ひとり葛藤していた。散々迷いながら、無難な黒いパーカーとジーンズ、そして茶色のロングコートに決める。これで準備ができたと思ったが、対面したときに何を話すか決めていたほうがいいかもしれない。そう思うと、今度は何を話すかで、何時間も悩むことになった。でもよくよく考えてみると、話せる時間は短いはずだ。そうなると、はじめましての挨拶と、舞台の感想くらいで話す時間は終わってしまうに違いない。悩む必要はなかった。というか話すにはチェキなるものを買わないといけないらしい。チェキを何枚も買えば、その分話す時間も長くなるようだが、そこまで余裕がない。1枚で充分だろう。初めてだしそれこそ何枚も買ったら、その分何を話すか悩むことになってしまう。そういう結論に至ると、悩みは自然と収束していった。


 仕事に追われていると、あっという間に当日になった。僕は予め決めておいた服装に身を包み、電車を乗り継いで、舞台が上演される都内へ向かった。電車の中、もう話すことも決めてあるのに、ドキドキした。彼女に会うのともどこか違うらしい。こんな感覚は初めてかもしれなかった。

 

 1時間前に劇場に到着した。小さなビルの地下に降りた先にあるこぢんまりとした劇場だった。開演までまだ時間があるので、近くで見かけたファストフード店で、時間を潰すことにした。このファストフード店で食事をした写真に、#ゆか活というタグを付けてSNSでつぶやくと柚香から引用されて、コメントがもらえる。柚香が以前、このファストフードで働いていて、いつかCMに出たいことがきっかけで、そういうことをするようになったらしい。普段は、基本リプを柚香は送っていないので、ファンからすると#ゆか活でコメントをもらえることはかなり嬉しい。僕もそれにあやかって、写真を付けて、つぶやいてみた。まあ今日は舞台だ。すぐにはコメントはもらえないだろうが、楽しみだ。――ふと、自分はもう柚香のファンなのだなと思った。ファンだとすると、僕にとっては柚香が推しということになる。推しか……初めての推しだな。

 舞台は楽しかった。開演前は、自分が舞台に立つかのように緊張した。柚香は主役ではなく、脇役だったが、ステージを縦横無尽に駆け回って、持ち前の元気さを発揮していた。セリフも全く噛まない。慣れたものだ。僕は初めて見る舞台に圧倒されていた。舞台が終わると、いよいよ物販だ。ドキドキがまた蘇ってきた。「物販に参加される方は、そのままお席でお待ち下さい」そんなアナウンスが聞こえてくる。僕はそれに従って、席で待つことにした。すると、出演していた役者の人々が、ぱらぱらと客が待っている観客席に現れはじめた。その中に柚香の姿はまだ見えない。ドキドキがジェットコースターのように加速する。すると柚香が他の役者よりだいぶ遅れて、姿を現した。初めて見るその姿は、SNSで見るより一段と可愛い。背もかなりちっちゃい。柚香はそろそろと観客席に近づき、1番端にいた柚香のファンと覚しき客に話しかける。僕はその姿を微笑ましく眺めていた。想像通りの元気な笑顔を振りまいている。その姿を眺めていると、どうやらそのファンとの交流は終わったようだ。柚香が周りをキョロキョロしはじめた。するとずっと見つめていた、僕に気がついたようで、柚香が視線を止めた。ちょっと考えるような表情をして、僕が視線を外さないので、ファンと認識してくれたようだ。柚香がゆっくりこちらに近づいて来た。そして恐る恐る「もしかして春人さん?」と声をかけてきてくれた。分かってくれたのが嬉しくて僕は食い気味に「はい! そうです!」と自分でもびっくりするくらい元気に答えていた。

「よかったー違ったらどうしようかと思った。はじめまして。会えて嬉しいよ」

「は、はじめまして。僕も嬉しいです。舞台初めて見たけど、楽しかった。すごく頑張っていたね」

「え? 初めてだったの? 初めてが私の舞台で嬉しい! しかも楽しんでくれたみたいだし、ありがとうね」

「いえいえ、舞台好きになりました。この後の公演も頑張ってください」

「えー嬉しい。この後も頑張る! じゃあチェキ撮ろうか! ツーショットでいいかな?」

「う、うん。じゃあそれで」

 そう言うと、柚香が僕の隣に近づいてきた。「えーと、〇〇さん! ちょっと申し訳ないけど、チェキ撮ってくれる?」と、さっきのファンに柚香が声をかける。そのファンの人は慣れているようで、まかせてとチェキを受け取った。

「じゃあ撮ろっか。わー背高いね。」

「撮りまーす。はい、チーズ!」

「ありがとう。良かったらまた会いに来てね。会いに来てくれて嬉しかったよ」

「うん。また来る。じゃあ頑張ってね」

 会話した時間は、思っていた通りあっという間だった。いや、思っていたより短い。もっと話したいくらいだ。でも、我慢することにした。僕はそのまま名残惜しいが、席を後にした。柚香が満面の笑みで、手を振ってくれていた。僕も遠慮気味に振り返す。


 町並みをひとり歩きながら、舞台の余韻に浸っていた。可愛かったな……ふとそんな声が自然と漏れる。何よりも、すぐ気づいてくれたのが、すごく嬉しかった。また会いたい。素直にそう思えていたし、元気ももらえていた。明日仕事頑張ろう。よし! と気合が入る。そのまま幸せな気分に包まれて帰路についた。  


 翌日の僕は、元気だった。怜也も気づいたのか「やけに今日は上機嫌だな。なんかいいことでもあったのか?」と聞いてきた。僕は「推しに会って来たんだ」と返事する。 

「推し? 前に言っていたアイドルのこと?」

「そう、そのアイドル」

「会いに行くなんて、相当好きなんだな」

「いや、そういうわけじゃないけど……まあでも会って好きになったかな」

「そんなに浮かれているなら、そうなんだろうな。幸せそうでなによりだ。さらに元気になって良かったよ」

「そうだな、確かに幸せなのかもしれないし、さらに元気になった」

「アイドル様々だな」

「そうだな」

 レッスンもいつもよりなんだか身体が軽い。声もいつもより出ているようだ。お客さんも盛り上がっている。一体感がいつもと違う。全てが、柚香と会ったことによっていい方に向かっている気がした。もっと柚香に興味が出てきていた。


 仕事を終えて、自宅に帰ると、柚香がSNSに昨日の舞台に来てくれた人に向けて、ありがとうのつぶやきをしていたので、僕はそのつぶやきにお礼のリプを送った。柚香は基本はリプ返はしないが、#ゆか活の他にも、会いに来てくれた人にもリプ返をしてくれる。すぐにはくれないと思うが、気長に待ってみよう。千秋楽までがんばれと僕は心の中でつぶやいた。

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