第8話 塵と芥

 八時間。

 アルコールの影響があったとはいえ、滅多にない睡眠時間を記録した。


「おはようー。起きれそう?」


 そして、他人の家で滅茶苦茶をやらかした。

 自分を責め立てる言葉が脳から溢れて止むことがない。

 だが、自責の念に駆られる前に人間としてやるべきことがある。


「本当に申し訳ない、ヤバいやつでごめん。もし、なにか汚してたらクリーニング代払うし........」


 ソファから起き上がって、頭を床に擦りつける。

 手も床につけて、誠心誠意の謝罪をしようと心から謝った。


「昨日謝ってくれたし、もういいって! 俺も配慮が足りなかったし」


 酒を浴びるように飲んで他人に迷惑をかけた。

 どう考えても浅慮なのは僕の方だ。

 

「それより、飯食べられそう?」


 食べられるなら朝食にしよう。

 屈託のない笑顔を向ける天ヶ瀬は、やはり僕には眩しすぎた。


 今日は日曜日だ。

 一般的には休日とされている曜日だし、天ヶ瀬も休みなんだろう。

 とは予想しつつ、一応仕事の有無は聞いておく。


「日曜だけど休日出勤とかないの?」


 天ヶ瀬は、キッチンで朝食の用意をしながら答えた。


「うちは土日祝休みだよー。なんならリモートの時もあるし、超ホワイト」


 顔色のよさ、クマのない目元、快活そうな表情。

 どこをどう見ても健康的だ。

 間違っても、残業ばかりのブラック企業に勤めているようには見えない。


 キッチンからは挽きたての珈琲の香りがする。

 インスタント以外の珈琲なんていつぶりだろう。

 

「簡単なものしかできなかったけど、食べられそうなら食べて」


 天ヶ瀬はホットサンドとサラダ、コンソメスープをテーブルに並べた。

 このレパートリーを「簡単なもの」と呼ぶ人間の気が知れない。

 疑ってしまいたくなるくらい、天ヶ瀬には隙がなかった。


 いただきます。

 天ヶ瀬はテーブルについてから両手を合わせた。

 僕もそれに倣って、いただきますを言ってから朝食に手をつける。


 ホットサンドはハムとチーズが挟まれていてシンプルな味がする。

 サラダは千切りのササミがトッピングされていて、コンソメスープは間違いなくインスタントではない。

 珈琲はミルクが入っていても豆の味がハッキリしていて、久しく行っていない喫茶店の珈琲を思い出した。


「味はどう? 食べられないものなかった?」


 昨日吐いてたし胃の刺激が和らぐように珈琲はミルク足しといたよ、と。

 料理も気遣いもどちらも完璧にこなす男は、にこにことホットサンドを頬張っている。

 嫌味がないのに、それすらも嫌味だ。

 そう思ってしまう僕にこの朝食は分不相応な気がする。


 美味しいよ。僕の身の丈に合わないくらい。


 そんなことをそのまま言っても、引かれるだけで終わる。

 いや、天ヶ瀬なら引くことすらないかもしれない。

 

「どれも美味いよ。ありがとう」


 今の僕には贅沢な食事をなるべく素直に味わった。


「そういえば、才って身体の調子悪いの?」


 不意の問い。

 その一言で手の動きに勢いがつき、フォークが大げさにレタスを突き刺す。


「バッタリ会った時に発作が出てたし。俺の確認不足だったけど、ひょっとして今アルコール飲めない状態だったりする?」


 図星だった。


「別に普通だから。気にしなくていいよ」


 でも、言わない。言う気はない。

 これからの生活で、僕は天ヶ瀬と積極的に関わる気がまるでない。

 迷惑をかけてしまったし、僕としても関わりたいと思っていない。

 だから、なにひとつ知らせる必要がない。


 天ヶ瀬はまだ何か言いたそうだったが、踏み込むことを諦めたんだろう。

 「それならいいんだけどさ」と言って、すぐに咀嚼を再開した。


 朝食後、せめて洗い物くらいはすると申し出たが食洗器があるらしい。

 僕は何もせず一方的に世話になり、罪悪感を手荷物にして天ヶ瀬家からうちへ帰ることになった。


「送っていくよ」


 いや、いいよ。と言っても、この男は話を聞かないだろう。

 玄関から先に入らせなければまあいいか。

 世話を焼かれて半ば絆されていた僕は、天ヶ瀬に少し気を許してしまっていた。


 意外にも、僕の家は天ヶ瀬の家からそう遠くはなかった。

 徒歩圏内の距離にあったから、会話もそう長くなくて済んだ。

 

「じゃあ、いろいろありがとう」


 アパートの自室前。

 泥酔中に鍵を失くしてないか鞄を確認して、ドアを開けた。

 

「俺も楽しかったし、またいつでも遊びに来てよ」


 もちろん。そう口には出しつつもそんな気はない。

 たぶん二度とおまえとは会わないよ。

 心の中だけで言葉を吐きながら、帰っていく天ヶ瀬の背中を見送る。


 僕はドアを開けて玄関へ入り、部屋で泥のように眠る。はずだった。


 一人になったことで安心したのか、僕の身体から急に力が抜けた。

 そして玄関に入った後、盛大に倒れてものすごい音を響かせた。


「才!??」


 帰ろうとしていた天ヶ瀬が戻ってきて、玄関へ入ろうとする。

 だめだ、いけない。


 うちへ踏み込んだ天ヶ瀬は、予想どおり絶句した。

 僕が怠惰で積み上げてきたゴミの山で、玄関には雪崩が起きていた。


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