辺境伯家令嬢(15)のわたしが、繰り上がりの王子(36)と婚約いたしまして……

英 慈尊

出会い

 ――盛大といえば、これほどまでに盛大な催しもかつてないだろう。


 王都を縦断する中央街路には、老若男女問わず様々な種類の人々が押しかけており、その中には、地方からわざわざ訪ねてきた旅人と思わしき姿も多い。

 人垣の中を練り歩くのは、王宮勤めの近衛騎士隊や楽団といった面々であり、これだけを見れば、何らかの祝い事であるかのように思えるだろう。

 しかし、彼らの中心で守られるように歩んでいるのが精霊神に仕える僧侶たちであり、着用している祭服が黒一色であるのを見れば、行列の正体も判じられる。


 ――国葬。


 それも、尋常なものではない。

 何となれば、僧侶たちが運びし棺の数は、両手の指で数えきれないものなのだ。

 しかも、その棺全てに、不死鳥を模した王家の紋章が飾り立てられているのである。


 ――第一王子以下、王家の一族そのほとんどが、奇病により死に絶えたり。


 ここ最近、王国内でまことしやかにささやかれていた噂は、真実であったということである。

 残された王家の者といえば、これは僧侶たちの中心で、棺の群れへ寄り添うに愛馬を歩ませる老王ローハイム十六世ただ一人……。

 生粋の武人として知られるその五体は、年齢を感じさせぬ鋼のごとき力強さを宿しているが、色艶の抜けた長髪は、否が応でも先の短さというものを感じさせた。


「この先、王国はどうなってしまうんだ?」


「一体、誰が王冠を受け継ぐんだ?」


 ひそやかに噂し合う人々の中で、誰かがそういえばと呟いた。


「確か、末っ子の第四王子が、ずいぶん昔から修行の旅に出されていたんじゃなかったか?」


 それをきっかけに、皆が忘れられていた王家の生き残りを思い出す。


「まあ……この国葬にも駆けつけない大うつけだけど、な」




--




 一度ひとたび、街から離れたのならば、いつ魔物に襲われてもおかしくはない。

 そんなものは、物心ついたばかりの幼子にも分かる世の理である。

 で、あるから、フロレント辺境伯家の娘であるリーナを乗せた馬車には、同家が誇る屈強な騎士を三人も護衛に付けており、魔物の対策は万全であると思えた。

 それが、普通の魔物であったならば……。


「ぐ、うう……」


「ば、馬鹿な……!」


 輝かんばかりだった鎧は、無惨にひしゃげ、破壊されており……。

 破れた箇所から流れ出る血の量を見れば、重傷であることが分かる。

 護衛についた騎士の内、二人までもが戦闘不能となり、無念の表情で膝をついていた。


「リーナ様だけでも、お逃がししろ!」


 唯一、健在な騎士……。

 この護衛隊を預かる隊長が、御者に向かって叫ぶ。

 彼の眼前で両腕を振り上げ、威嚇の構えを取るのは――魔物。

 それも、尋常ではない強さのそれである。


 全体的な特徴としては、熊によく似ていた。

 しかしながら、爛々と輝く瞳は明らかに邪悪な魔力を宿しており……。

 胸に存在する輪のごとき模様は、発火し、灼熱の炎をまとっている。

 また、爪の鋭さと毛皮の頑強さも生半可なものではなく、腕を震えば鋼の武具がたやすく切り裂かれ、騎士たちが必死の思いで打ち込んだ剣は、毛の一本すらも刈り取ることができないでいた。


 リーナたちの知識には、一切存在しない魔物……。

 明らかに、通常見かけられるそれよりも強大な個体である。

 それが、おだやかな街道を行く一行の前に突如として姿を現し、襲いかかってきたのだ。


「くうっ……お」


 さすが、この隊を任されるだけのことはあると言うべきだろう。

 隊長が、左手の盾を巧妙に扱い、魔物の攻撃をしのぐ。

 まともに受け止めれば、盾ごと潰されて終わるところを、受け流し、いなすことで、どうにか戦闘を継続させられていた。

 だが、そんなものは時間稼ぎに過ぎない。


「は、早くお逃がししろ!」


 それを分かっているから、隊長が叫んだ。


「う、馬たちが怯えて、走りません!

 リーナ様! かくなる上は、ご自身で走ってお逃げ下さい!」


 馬車を諦めた御者が、御者台から飛び降り、客席の戸を開く。

 リーナは、そこで……連れてきた侍女に抱き締められながら、ただ震えるばかりであった。


 肩口まで伸ばされた薄桃色の髪は、枝毛一つなく……。

 十五という年齢を感じさせる華奢な肢体は、辺境伯家令嬢という身分に相応しい上等な衣服に包まれている。

 顔つきは、まさしく可憐の一言であり、故郷においては、辺境の地へ咲いた一輪の花として、大いにもてはやされていたものだ。

 それが、今は死の恐怖に怯え、身を縮こまらせていた。


 無理もない。

 少女が、初めて経験する修羅場なのだ。

 また、自分の足で逃げたところで、最後の騎士を打ち倒した魔物が容易に追いついてしまうのは自明であり……。

 つまるところ、どう足掻こうとも、助かる道はなかったのである。


「――――――――――ッ!」


 それを証明するかのように、魔物が咆哮を放つ。

 同時に、口から吐き出されたのは――燃え盛る火炎!

 これまで、肉弾戦一辺倒だった相手が繰り出す新たな能力に、隊長たる騎士は成す術がなかった。


「うおあっ!?」


 かろうじて盾を構えたものの、火炎の勢いはすさまじく、防ぎ切れるものではない。

 全身を炎に包まれた騎士は、その場で転げ回り……そして、動かなくなる。

 地面をのたうつという、無様にも思える対処が功を奏したか、炎は消えている。

 だが、ぴくりとも動かぬのを見れば、戦闘継続が不可能であるのは明らかだ。


 ――全滅。


 故郷からリーナを守るために同行した騎士たちは、ついにその全員が戦闘力を喪失したのである。


「隊長っ……!」


「くそ……!」


 先に倒されていた騎士たちが、最後の力を振り絞ろうとした。

 だが、彼らの膝は笑っており、許容以上の痛手を受けた肉体が、精神の思い通りになることはないという現実を、知らしめている。


(わたし……ここで死ぬんだ)


 動けぬ者に興味はないということか。

 膝をつく騎士たちは一顧だにせず、魔物が馬車へと迫ってきた。

 その歩みは、一歩、一歩、ゆるりと大地を踏み締めるものであり、あえてそうすることで、獲物の恐怖を増大させようとするかのようである。


 もはや、これまで。

 リーナも、彼女を抱き締める侍女も、せめて盾となろうとする御者も、全員がそう覚悟したが………。


「――そこまでだ」


 街道に響いた声が、魔物の前進を阻んだのであった。


「火の輪グマ……か。

 こんな王都周辺部に、生息するはずのない魔物なのだが……な」


 そう言いながら、馬車の前に立ち塞がった人物……。

 それは、旅の戦士としか言いようのない人物である。


 年齢は、三十中盤といったところか。

 無精髭の目立つ顔立ちは、精悍そのもので、精神・肉体・技量のいずれもが絶頂に達していることをうかがわせた。

 旅装束は青を基調としたものであり、そこかしこに存在する汚れや染みが、かえって風格というものを感じさせる。


 武装は――腰に下げた剣のみ。

 やや大振りのそれは、片手でも両手でも扱えるように調整されており、鞘に収まった状態でなお、使い込まれた業物特有の風格があった。

 しかも、鍔は不死鳥を模したこしらえとなっており、芸術品としての風格すら漂わせているのだ。


「お嬢さん方、危ないところだったな。

 このおれが来た以上、もう安心だ」


 口元に小さな笑みを浮かべながら、戦士がそう告げる。

 そこには、完全武装した騎士三名をたやすく倒す魔物への恐怖というものが、一切存在しないのであった。


「どうした? かかってこないのか?」


 戦士が、気安く魔物に語りかける。

 対する魔物の方は……。

 これは……怯えていた。

 両腕を振り上げ、いつでも襲いかかれる体勢でありながら、しかし、両足はじりじりと後退している。

 圧倒的な強者と出会った際、野生動物が見せる威嚇と退避の行動だ。


のがしはせんぞ。

 お前を放って、周辺の村などが襲われては困るのでな」


 そんな魔物を鋭く見据えながら、戦士が剣を引き抜く。


(何て……美しい)


 武芸者ではないリーナであり、男児が刀剣に注ぐ愛情というものは、これまで理解できずにいた。

 そんな彼女をしてなお、美しいと感じさせる剣である。


 分厚い刀身は、緩やかな曲線を描きつつ中央部で一度膨らみ、そこから剣先へ至って再び引き絞られていた。

 中央部には、無数の神聖文字が彫り込まれており、そこに精霊神の加護が宿っていることを直感させる。

 剣身が放つ輝きは、神秘性が感じられるものであり、何らかの希少金属が素材であるのは間違いない。


「さあ、覚悟を決めてかかってこい」


 戦士が、魔物に最後通告を行う。

 それで、戦うしかないと悟ったのだろう。


「――――――――――ッ!」


 魔物が、再びあの恐るべき火炎を放った。


「――むうん!」


 しかし、それが――通じない。

 戦士が剣を振るうと、颶風ぐふうが巻き起こり……。

 それは、火炎の息を飲み込んで、消し去ったのである。


「――はあっ!」


 今度は、戦士が仕掛けた。

 飛び上がりながらの、首を狙った一撃。

 飛び込む速さも、剣筋の鋭さも、魔物が反応し切れるものではなく……。

 そして、見た目通り素晴らしい切れ味を誇る剣は、あれだけ強靭だった魔物の毛皮を容易く切り裂き、その首まで落としたのだ。


 ――ズズン!


 ……という音を立て、首の無くなった魔物が地に倒れた。

 同時に、胸に宿る火の輪も消えていく。

 それは、そのまま、命の火が消えたことを表している。


「悪くは思うなよ」


 戦士はそう言いながら、血の一滴もついていない愛剣を鞘に収めたのだった。

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