第三章 『獣の世界』

第三章1 『獣心を嘆く』

 ――乾いている。


 一つ息を吸えば、入り込んだ空気が少女の体内から水分を奪う。

 少女は今、砂漠の中心に佇んでいる。


 ――渇いている。


 喉ではない。水ならば、今現在少女の瞳から止めどなく溢れている。

 故に渇く。求めてしまう。

 暑苦しく首に纏わりつくが、心の底から鬱陶しい。


「……私……また『独り』なんだ……」


 もう一度だけ、彼女の手を握りたい。

 もう一度だけ、彼女と目を合わせたい。

 もう一度だけ、彼女と共に暮らしたい。


 後悔は無い。それは嘘じゃない。

 ただ思い出しただけだ。かつての自分がそうであったことを。彼女が忘れさせてくれた『孤独』の苦痛を。

 だから寂しい。だから苦しい――


 泣き崩れていた少女の地面は、既に茶褐色に固まっている。

 ひたすらに哭泣した。その意識が続く限り、流れる涙は滂沱として、涸れることも知らずに――


* * * * * * * * * * * * *


「…………うぅ……ん……?」


 身体が軋む。上体だけ起こして確認すると、どうやら木製のベッドらしき所に眠っていたらしい。

 落ち着いて周囲を観察する。

 丸太の柱が四つ、同じ長さで直立している。そしてその柱の天辺てっぺん同士を、横向きの丸太が繋げている。つまりは丸太の骨組みだろう。

 しかし壁は存在せず、外の景色が丸見えである。四阿あずまややパーゴラといった外観に近い。

 天井は全て緑色。かと思えば、黄色と茶色も点在している。目を擦り、視界に鮮明さを取り戻すと、それが全て葉で構成されていることに気づく。


「……ここは……?」


 直前の記憶では、少女は砂漠に居た筈だった。

 しかしどうしてか、少女の見渡す外界には木々が茂っている。森の中という既視感のある状況が、少女の不安を煽る。

 だが、ふと首元に手をやると、あの鬱陶しさを感じなかった。

 そして、ヘッドホンが無いことに気づくと同時に、奥から近づいてくる小さな光を発見した。


「おっ、やはりまだ生きていたか。わざわざ運んだ甲斐があったな」


 第一の印象は『美麗』だった。

 中性的な声と、整った顔立ち。艶のある白髪が、首元で揃えられている。

 身長は百七十強と言ったところだろうか。繊細かつ穏やかな淡い空色の瞳が、少女を見据えていた。

 一見すると端正なイケメンである。しかし唯一、少女の目に留まって仕方の無い部分がある――


「……あ、あの……」


は中々いいな。奇襲で首を狙われずに済む。着け心地も悪くないし、良かったらボクにくれないか?」


 そのイケメンは右手の人差し指で少女のヘッドホンを引っ掛けていた。おまけに花のような美しい笑顔を添えて。

 話から察するに、このイケメンが少女を運んだ人物で間違いなかった

 つまり、助けた礼を寄越せ、ということだろうか。そう考えると、『わざわざ運んだ』という言葉が確かに強調されていたように思えてならない。


「……は、はい……大丈夫……です……」


「何、いいのか!? ではありがたく頂戴しよう」


 どうせ使い物にならない。何より、返されたところで今は鬱陶しいだけだ。

 だが、イケメンの反応リアクションがいちいちわざとらしい。容貌と違って、性格はそうでもないのだろうか。


「……え、えと……聞きたいことが……あるんですけど……」


「ああ、どうした?」


 先程から目がそこにしかいかない。

 このイケメンの性格よりも、自分を助けた経緯よりも、まず先に聞きたい。


「……その……耳……が……」


「ん? ああ……そうか……」


 イケメンは耳をピクピクと動かす。普通の耳ではない。少女の世界で言うところの、いわゆる『ケモ耳』というやつだ。


「キミは普通のだからな。を警戒するのも当然か」


「……獣人……?」


「……何だその反応は? まさか獣人を知らないとは言わないだろう?」


 少女は小さく首を振った。

 するとイケメンはわかりやすく驚愕し、面食らった顔のまま暫く硬直していた。


「……砂漠で拾った時から妙だとは思っていたが……何やらキミには特殊な事情があるらしいな。なら、その件も含めて互いに自己紹介でもしようか」


 イケメンは左手のランプを柱に引っ掛けた。

 その後、手際良く小さな丸太椅子を二つ用意し、その片方に腰を落とす。

 少女も催促されるように反対に座り、イケメンの怪訝そうな瞳と目が合う。


「まずはキミの事情から聞かせてくれ。名前と、それから軽い身の上話を頼む」


 ヘッドホンを譲渡した時とは打って変わって、イケメンは真剣な眼差しを少女に向けていた。


「……五十州瑞香いぎすみずか……です。……ええとその……『異世界転生』をして……この世界に来ました」


 少女は話す前に色々言い方を考えたが、しっくりくる伝え方がなかったので仕方なくそのまま話した。

 そのせいで、再度イケメンの表情が固まっている。


「……一応確認するが……ボクを騙そうとしていたりするか?」


 少女は躊躇わずに首を振る。その行動が、またもや二人の間に沈黙を生んだ。


「……獣人を知らないという突拍子も無いことの理由まで突拍子も無いのか……。もし全て作り話なら、相当な道化だぞキミ……」


 イケメンは考え込んだ末に、「だがまあ……」と少し低い声を出した。


「何でもいいな。理由はどうあれ、人間が生きていたんだ。これを見逃す程、ボクは馬鹿じゃない」


 するとイケメンは立ち上がり、少女の方へと歩みを寄せる。


「今度はボクが情報を与える側だね。約束通り、教えてあげよう。知りたいのは……『獣人』について、かな?」


 高い背丈が少女の目の前に広がり、少し気圧される。

 少女が静かに頷くと、イケメンは口角を上げた。


「簡潔に教えよう。『獣人』ってのは……」


 イケメンは唐突に膝を落とし、少女の耳元に顔を寄せた。


「――人間をする生き物さ」

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