吉川家(よしかわけ)

 目を覚ますと黒ずんだ天井板が見えた。


 しっかりとした黒い柱が聳え立ち、天井板が間仕切りの障子や襖より上の吹き抜けとも言えるような空間に規則正しく並んで見えている。そして、脇に純白の髪と右側を伸ばした髪で隠した可愛らしい顔立ちをした女性が1人、寝息を立てていた。

 天井から吊り下がった蛍光灯の光が女性の全身を輝かせているようにも見える。神々しいとまでは言わないが、それ以上にその寝息と、そっと冷えた手を握ってくれている女性の手が温かい。


「綺麗だ…」


 思わずそう呟きながらじっとその顔に見入ってしまう。

 体はあちこちが痛くて皮膚のひりひりとした感触が全身を包んでいる。なぜこのような状況になってしまったのか、と思い浮かべてそして帽子を掴み、そのまま極寒の雪水が流れる用水路へと落ちたことを思い出した。死ぬ一歩手前であったことに気がつき、ゾッとして背筋が寒くなった。手が震えたのだろうか、寝ていた女性が目を覚ました。


「あ、目を覚まされましたか…」


 丁寧な言葉遣いが作りモノでない言い回し、普段から話慣れているのであろうという口調だ。


「ごめんね、迷惑をかけてしまったみたいで」


 謝ると困ったような顔をした女性が首を左右に振ってそれを否定する。


「帽子が飛ばされなければこんなことにならなかったのですから…、本当にすみません」


「いや、私が軽率だったから…本当に申し訳ない」


 互いに謝ってしばらく見つめ合っていると不思議と笑みが零れて笑い合ってしまう。


「私、吉川友子と言います、ここは私の家で運び込んで貰いました。脱がした服や濡れてしまったものは洗って囲炉裏で乾かしていますから安心してください。ご自宅にも駐在さんが電話を入れてくださってますから、事態をご存じです」


「重ね重ね迷惑をかけて申し訳ない…、ということは…もしかして数日間寝込んでた?」


「えっと…」


 答えに戸惑っている女性にさらにゾッとしてしまう。どれほど寝てしまっていたのだろう。


「ごめんなさい。数時間しか過ぎてませんから安心してください。でも、目を覚まして貰えて本当に良かった…」


 涙目になった女性を見ていて改めて恐怖した。

 融雪の用水路に落ちると言うことは死を意味するものに等しいのだ。あっという間に体は冷えて、低体温となり、筋肉は収縮して、やがて意識を失って死に至る。毎年毎年、雪国では悲しい事故としておこるのだ。


「私は大川幹人と言います。そう言えば名前を聞いていなかったね」


 安堵からだろうぽろぽろと涙を零していた女性が袖口で涙を拭う。


「私は吉川友子と言います」


「吉川さん、泣かないでね。ドジって迷惑をかけたのも私なんだからね」


 何とか起き上がり全身の痛みに耐えながら吉川さんの頬の涙を近くにあったティッシュで拭った。女性にこちらのドジでここまで心配させてしまったことに強烈な罪悪感が沸いてくる。


「あ…」


 髪に隠れた反対側の目の涙を拭こうとして髪を退かす、瞼からおでこにかけて色素が抜けてまだら模様になっているのが見えたが、気にすることなくその綺麗な目から溢れてくる涙を拭った。きっと気が動転してしまっているのだろう、隠していることも忘れて安堵で泣きじゃくっている吉川さんは、やがて落ち着きを取り戻してくると、紙で隠していた部分が見てることに気がついて驚きのあまり固まる様に身動きを止めてしまった。両目がこちらをしっかりと捉えて見据えているのが良く分かる。視線合わせたままで微笑みながら涙を拭き、そして身勝手ながら子供の頭を撫でるかのように、優しくそっと手を当てて撫でてしまっていた。


「もう、大丈夫だから泣かないで」


「は、はい…」


 それから暫く吉川さんが落ち着くまでその美しい髪の頭を撫で続けた。やがて落ち着きを取り戻した吉川さんと話をした後に、私は再び眠気を覚えてしまい、布団へと横になった。


「傍にいますのでなんでも言ってください」


「うん、ありがとう」


 そう言った直後に意識は眠りに落ちてしまった、翌朝、目を開ければ昨日と同じ姿のまま吉川さんが寝入っていて、手をしっかりと握ってくれている。その温かさが何とも言い表せないほどの心地よさで、恥ずかしながら目を覚まされるまで、じっと温かさを味わい続けていた。

 

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