第3話 寄生蝉
『彼の蟲の幼体は、土の中で長い時を過ごす。そして百年の年月を経た幼体は地表へと姿を現し、成体へと変容す。彼の蟲は全ての個体が雄である為、単独での生殖活動は不可能であり、故に他種の生物の雄に寄生することで、その目的を果たすのだ。彼の蟲に寄生された雄は同種の雌を強烈に惹き付ける特徴を持ち、多くの雌と生殖活動を行うことになる。
が、彼らは決して自らの子孫を残すことは出来ない。何故なら彼らの生殖機能は、既に蟲に支配されているからである。寄生蝉は、自らが寄生している雄と生殖行為を行った多種の雌との間に子を残し、死んでいく。
そしてその残された子は暫くの間、雌の子宮内に潜みながら時を待ち、約84日後の新月の夜に子宮から這い出して土の中へと潜り、百年後の羽化の時を待つのだ』
僕があの文献に書いてあった文を読み上げると、彼女は悲しそうな顔をしました。
「僕の家の蔵の中にあった古い文献にそう書いてあったんだ。色々な生物について書かれた文献だったけど、蝉の項目にその蝉のことが書いてあった。
今日、僕の身に起こった出来事って、もしかしてあの文献に書かれていた、あの蟲のせいじゃないかって思たんだ。
……君は知っていたんでしょ?あの女性達の行動が寄生蝉が原因だってこと。それに僕が、あの蟲に寄生されているんじゃないかってことも……」
僕の質問に、彼女は小さくコクリと頷いてから話し始めました。
「今朝、駅に着いて改札に向かう途中で蝉の鳴き声が聞こえたの。改札に近付く程に大きくなる蝉の声に、私は違和感を感じた。こんな大きな駅の真ん中で蝉が鳴いているのもおかしいし、何よりも聞いた事が無い蝉の鳴き声だった。だから私は……」
そう言って彼女は鳶色の長い髪をかき上げました。露わになった小さくて形の良い耳は、しっかりと耳栓で塞がれています。
「……驚いた。君には、僕の声が届いていないの?じゃあさっきから、どうやって僕と会話しているの?」
「
「くちびるって…… 君は、そんなことが出来るの?」
「ええ……
僕が驚いていると、彼女はもっと驚く話をし始めた。
「改札に近付いて行くと、周りの様子がおかしくなったの。だってキョロキョロと周りを見回している人が大勢いたんだもの。しかもその行動をしているのは、全員女性ばかり。ああ、この蝉の鳴き声は女性にしか聞こえていないんだって思ったわ。そんな中、あなたは人を搔き分けながらトイレに向かって走っていった。遠ざかっていく蝉の鳴き声と、そしてそれを追いかけようとする女性達。その時点で、私はあなたが寄生蝉に寄生されている可能性を疑い始めた」
「それだけで、よく寄生蝉に辿り着いたね。……君って、本当に凄いんだね」
「そんなことないわ。私も文献で読んだことがあるだけで、寄生蝉を見るのは初めてだったから確証は無かったのだけれど、あの蟲が人間に寄生したらこうなるだろうって考察は出来る。それにあの時の状況を観察していて分かった事もあるの。あの蟲が雌を惹きつける範囲は、約半径30メートル。それ以上離れると、鳴き声は聴こえても、惹きつけるまでの効果はないみたい。だから周囲を見渡せるこの公園に、あなたを連れてきたの。此処なら誰かが近付いて来ても、直ぐに対応出来るでしょ?」
「じゃ、じゃあ、僕の居場所は何で分かったの?救急車に運ばれていく僕を見ていたんでしょ?どの病院に僕が運ばれるなんて分からないし、君が僕のところに来るのがすごく早くなかった?」
「ああ、そのことなら……」
彼女は救急車が出発したのを確認した後、直ぐにタクシーに乗り込んだそうです。救急車が向かった方向を考えれば、どの病院に向かったのか判断するのは難しくなかったって。後は蝉の鳴き声を頼りに、僕の元まで辿り着くのは簡単だったそうです。
僕は本当に驚きながら、彼女の話を聞いていました。幾らあの蟲の情報を事前に知っていたとしても、彼女はあの一瞬の周りの状況を見てそれを推測し、考察しながら冷静に次に何をしたらいいのか考えていたんです。
「じゃあ、僕は君に本当に感謝しなくちゃいけないんだね。君がいなかったら、駅で、病院で、僕はどうなっていたかも分からない。……ありがとう」
そう言って僕が頭を下げると、彼女は、ううんと言って、はにかみました。
「お礼を言われるのはまだ早いよ。……これから、これから私達は一週間のうちに寄生蝉をあなたの体から離す方法を見つけないといけない。まだ六日もあるんだから、きっと見つかるわ。だから……」
だけど僕は、彼女の話を聞きながらゆっくりと首を横に振りました。
「……もう、いいんだ」
「――!!なんで!何で、もう諦めてるの!?きっと離す方法はあるからっ!!」
アーモンドみたいな形をした目を大きくして、彼女が戸惑っています。だから僕は、Yシャツの前を
「もう、いいんだ。これだけしっかり同化されたら、切り離すのは無理だと思う。それに元々、僕の体は……」
言葉を失くして胸を見つめ続けていた彼女が僕の唇に視線を戻すのを待って、僕は決して変えようがない事実を話し始めました。
「……この夏を、越せはしないんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます