現世真理研究会

サンカラメリべ

現世真理研究会

「これこそ運命!!!」

「は?」

 志賀谷時任しがやときとうは中学を卒業した折、今年度から柴虎高校の新入生として華々しい学校生活が送れることを夢想していた。なに、それは叶うことのない夢幻であるとは知っている。どうせ中学とそう変わりはしない。そんなことを思いながら初登校の日を迎えた訳だが、登校途中に明らかに現実から一脱した少女と出くわしたのだ。

 長く伸びきった金髪は、染めたような硬さが無く、彼女の生まれ持った個性なのだろう。ピョンピョンところどころ跳ねていることから、結構ずぼらな性格であることが予想される。抱えたカバンにはもはやそういう類の呪いとも捉えられるほど山盛りのお守りが付けられており、重そうだ。顔と胸はまぁまぁ普通であるが、妙に神秘的な雰囲気を醸し出している。そして、その彼女の細い目から覗く瞳が曇りなく輝いているからこそ、彼女はまともではないとはっきりと感じ取れた。

「今朝の占いで登校途中に出会った一番最初の同級生が運命の人であると出てました」

「は? いや、は?」

「さぁ! ともに、学校へと参りましょう!」

「ええ…あの、無理です」

「そんな! 逃げないで! 私の幸運がぁ!」

 時任は走って逃げた。同時に、彼女の制服が間違いなく自身がこれから通うことになる柴虎高校のものであることを疑いようのない事実として受け入れていた。とんでもない人間と出会ってしまった自分の不幸を嘆きながらも、実のところ歓喜していた。彼女という存在を確認できたことで、自分が想像よりも非凡な高校生活が送れそうだと思えたのだ。


*****


「なぁ、知ってるか? 俺たちの代には超絶にヤバイ女子が三人いるんだぜ」

 知らねぇよ、と言うのをこらえて、時任はへぇと頷いた。彼に話しかけてきた男子は、志村秋月しむらあつきという。名簿の都合上、たまたま時任の後ろの席になった男子で、クラスでの自己紹介のときに趣味は人間観察だと恥ずかしげも無く言ってのけた恐ろしい男でもある。

「・・・そのうちの一人は知ってるかもしれん。今朝、当たり屋みたいに絡まれた」

「ほほぅ。そりゃ不幸だったな。そいつはキツネか? テルテルか? ムシアミか?」

「は?」

「そいつらのあだ名だよ。金髪で細目のやつがキツネ、両目が隠れるほど長い前髪のおかっぱ頭がテルテル、いつも虫網を持ち歩いてる不良っぽい奴がムシアミ。全員頭がイカレているうえ、三人集まっていつもよくわからんことをしているらしい」

「なんでそんな詳しいんだよお前」

「俺が特別なわけじゃないぜ。もともと有名人なんだよ、そいつら。むしろ何も知らない奴の方が珍しいくらいだ。お前こそなんも知らなかったのかよ」

「悪かったな」

 ムッとしながらも、時任は中学時代の微妙な記憶を思い出していた。そういえば、ちょっと離れた中学に頭のいかれた三人組がいるという話を聞いたことがあった気がする。高校受験の時期に入ってからは一切そんな話を聞かなくなったので忘れていた。

「俺が会ったのはキツネだな。運命だとか幸運だとか言って絡んできた」

「何だって! あっはっはっは! そうか! そりゃスゲェ!」

時任が手短に今朝の出来事を伝えた途端、秋月は爆笑した。それはもう痛快で心底面白いという風であったが、時任は呆気に取られていた。

「何がそんな面白いんだよ。まぁ、オレも傍から見てりゃ面白がったろうけどさ」

「いいや、そんな軽いもんじゃないね。キツネはお前との出会いを運命って言ったんだろ? それじゃあお前はもう逃げられないってことさ。教えておくけどよ、前からキツネは容姿からして神秘的で結構モテてたんだよ。頭がおかしいのは承知で告白した奴も多かった。けどよ、キツネはそれら全部を、貴方は運命の人じゃないって言って断ってたんだよ。だけど、お前に対しては運命だと言った。惚れられたな、お前」

「おい、待て。嘘だろ? あれがモテててたというのは万歩譲って受け入れよう。だが、オレに惚れる要素なんてあったか? 自分で言うのも何だが、オレは何の変哲もない男だぞ」

「お前がどうとかは関係無いさ。キツネは頭がイカレているが、占い師としては多くの女子から信頼されてるんだぜ。それは占い師としての腕が良いからだ。さて、そんな占い師から見初められたということは、もうどういうことかわかるだろう?」

 ゾッと寒気を感じた。時任が何もしなくとも、キツネはさっそく周りの女子たちに時任のことを吹聴して回るだろう。そうすれば時任にも何かしらがあると噂されて高校生活で浮くことになりかねない。

「いやぁ、ラッキーだった。まぁ、お前じゃなくて俺が、だけどな。キツネに見初められた奴と席が近いなんて、楽しい学校生活になりそうだ」

 うっせぇ馬鹿、という罵倒を飲み込み、時任は思考を巡らせる。確かに退屈で平凡な学校生活よりも刺激的な日々を送れるだろうさ。でも、頭がイカレた女子に追い回されるなんて想像もしたくなかった。周囲がザワザワしている。嫌な予感がする。

「ここですかぁ? 私の運命の人ぉ?」

 ねっとりとした声が聞こえて、秋月がニヤリと口角を上げた。恐る恐る時任は振り返る。

「キ、キツネ?」

「そうです。私がキツネです。と、き、と、う、くん」

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 時任は逃げた。全力で逃げた。まだ午後のレクリエーションが残っていたが、それも構わず逃げた。明日もどうせ彼女に会うことになるが、取り敢えず今は逃げることにした。ドンッと、曲がり角で誰かとぶつかる。それで時任は一瞬我に返った。

「あ、す、すみません。ちょっとこれには事情が・・・」

「ねぇ、キツネ? あなたが言っていた人ってこの人?」

「そーだよ、テルテルー!」

「え、テルテル?」

 見れば目の前の彼女はこじんまりとした座敷童みたいで、その前髪は両目を隠してしまっている。間違えようがない。彼女こそイカレタ女子三人衆が一人、テルテルだった。

「ひゃっ!」

 視線が前髪に遮られているにも関わらず、じとぉっと嘗め回されるように観察されているのがわかった。慌てて時任は方向を変えて走り出す。あのままあそこで突っ立っていたら、テルテルに捕縛されていた。立ち止まっている訳にはいかなかった。しかし、それこそが彼女たちの思惑であった。

「よぅし、いらっしゃい」

 不意に時任の目の前は真っ暗になる。驚きジタバタと暴れる時任が入った袋を軽々と何者かが持ち上げる。もはや絶体絶命となった時任は、逆に冷静になった。ここまで来れば、彼を捕まえた者の正体が何者かを推察する必要はない。

「あー、あの人が噂になってた男子かぁ。ムシアミちゃんに捕まったら、もう逃げられないよねぇ」

 キャハハと笑う幾人かの女子の声が、時任の耳をこだましていた。


*****


「ようこそ! 私たちの現世真理研究会へ!」

 袋から雑に取り出された時任は、ムシアミによって椅子に座らされた。

「はぁ」

 気の抜けた返事をする時任。もう彼は逃げることを諦めていた。と、言うよりも、現実を受け入れきれなくて放心していた。彼の目の前にはそれぞれ、キツネ、テルテル、ムシアミと称される女子の皮を被った怪物たちが彼を囲むようにして椅子に座っている。全員、特別美人だとかグラマラスだとか、そういった面での魅力はあまり感じられなかったが、むしろそんな要素が霞んでしまうくらい独特な雰囲気を三人は醸し出していた。

「私はキツネです! 偉大なる聖壁文の解読者にして、神の巫女! そして貴方の運命の人!」

 勝手に自己紹介が始まった。キツネと名乗る少女は、出会った当初と印象は変わらない。金髪で、長髪で、たぶんだらしなくて、なぜか神秘的。神の巫女を自称するだけはある。キツネが目くばせすると、座敷童さながらの少女が頷く。

「次はあたし。あたしはテルテル。この世を支配している魚頭人類を研究し、撲滅し、人間の為の世界を取り戻すために活動しているエージェントよ」

 何を言ってるのか全く理解できなかったが、時任ははぁ、と相槌を打った。テルテルは小学生と言っても通じそうな見た目をしている。しかし、彼女の周囲だけ空間がねじ曲がっているみたいな覇気がある。例えるなら真夜中の鳥居の先のような、別次元に繋がっていそうな底の知れなさ。最後に残ったのは、女性とは思えないほど逞しい体躯で、焦げ茶っぽい色をした短髪の女子。彼女はなぜか大きな虫網を背負っており、筋肉の荒々しさと涼し気な佇まいがコントラストとなって、武人というに相応しい気配を纏っていた。

「最後はボクか。ボクはよぉ、ハンターだ。未確認生命体とかのな。まぁ、どことは言えないが、ちょっとした組織に与している」

そんなもんどこだっていいわ! 心の中で突っ込みながら、時任はこれからの自分の処遇を想像した。このよくわからない三人組からキツネとの交際を強制され、そのままよくわからない団体に巻き込まれ、世間からも浮いた存在となる未来を。

「あー、えー、で、オレは、どうすればいい?」

「そうですね、協力して欲しい、かな?」

「協力?」

「そう! この世界の真理を探究するのに、協力してほしいんです!」

「なんでオレが」

「占いで出ました!」

「う、占いかぁ」

 占いとかおみくじは、この世で最もたちの悪いものの一つと言っていい。なぜなら、占いに論理性は関係ないからだ。これは占いの結果と同じではないか? そう思えれば、占いが当たったと解釈できてしまう。しかも、このキツネと称される彼女は多くの女子から信用される実績がある。

「オレは明確に拒絶反応を示していたが、それでも誘うのか?」

「はい!」

 迷いなく、キツネは言った。それだけ自分の占いに自信があるということなのだ。もう時任は自身が普通から外れてしまったことを自覚していた。今更彼女らを拒絶して、他の男子と同じように学校生活を送れるか? きっと、否だろう。しかし、彼女らに協力するにしても、頭がおかしい奴扱いされるのは目に見えている。詰み。チェックメイト。どうすることもできない。

「ああ!」

 突然、キツネが叫んだ。その視線の先には時計があった。時任は振り向くことで、その事実に気が付いた。もう午後の三時である。

「私の占いを待ってるお客さんがいるんでした! 早く行かなければ!」

 そそくさとキツネが退出する。続いて、

「ボクも仕事があるからな」

 と言ってムシアミが出ていった。後に残ったテルテルも、手元のスマホを確認してから、

「そろそろね」

 と意味深なことを呟いて出ていった。時任は呆然としながら彼女らを見送ると、狐につままれた気分で部屋から出た。扉には、オカルト部と書かれた紙が貼られていた。


*****


「お! やぁ、おはよう。時任くん。君は凄いねぇ。さっそくこの学校は例の三人組と君の噂でいっぱいだよ」

「気色悪いからその挨拶やめろ、志村」

「あっはっはっは! 悪い悪い。だけどな、昨日のことがあっても学校に来れたメンタルは称賛されるべきだと、俺は思うぜ」

「あいつらの為に休んでられるか。まだ高校生活二日目だぞ」

 出会って二日目だとは思えないほど親し気に絡んでくる志村を、調子のいい奴だと思いながら、時任は少しありがたくも思った。昨日のことを思い出すと、頭が痛くなる。何で全員入学したばっかの癖にオカルト部の場所を確保してるんだよ、とか、指摘したい細かな点は幾つもあった。指摘しても疲れるだけだと朝起きて直ぐに悟ったので、それらはもう放っておくつもりでいる。

「ああ、そうだ。お前の中学校の同級生を騙る奴らがさっそく好き勝手に噂を作ってるようだぜ。中にはお前の家族は新興宗教にはまっていてそこから彼女たちと知り合ったとドヤ顔で言ってる奴もいる」

「待て。俺らが入学してからまだ二日目だよな? どうなってんだこの学校」

「SNSだよ。今は高校に入学する前から既にある程度SNSで繋がってるもんなんだぜ」

「ああ、クソッ。SNSかよ」

 情報を共有するためには便利すぎるツールだ。時任はSNSアプリに興味が無かったため、個人間でのやり取りができるくらいのSNSアプリしか使っていなかった。そのおかげで時任はSNS上で好き勝手に言われていることを知らずにいられた。

「面白がって一年に紛れ込んでる先輩とかもいるし、今この学校は水面下のお祭り状態さ。たぶん今日帰った時にはお前の名前を騙る奴も出てくるだろうよ」

「どうすりゃいいんだそんなもん」

 頭を抱える時任を秋月は面白そうに眺める。しかし、秋月の影に隠れてコソコソと笑う他の男子どもよりも堂々としているぶん、一応は心配してくれているらしい秋月の方がよっぽど友人にするべき存在のように思えた。

「安心していていいと思うぜ。この高校には一学年につき三百人くらいいるから、まぁ、警察沙汰になりかねないことをしだす馬鹿がいてもおかしくは無い。でもな、よく考えろ。あの三人組がただイカレてるだけなら、もっと大々的にオモチャにされていただろう。それが、変な三人組がいるな程度の噂に留まっていたのはなぜだと思う?」

 秋月は不敵な笑みを浮かべた。

「馬鹿が馬鹿なのは、相手にしちゃいけない奴を見極めることができないからなのさ」


*****


 その日の授業は全てガイダンスで、これからどのように授業を進めていくかが説明されるだけのつまらないものであった。それよりも、クラスメイトだけでなく教師からも特異なものを見る目で見られていたことが、時任には辛かった。話しかけてくる奴らは殆んど友達になる気のない奴らで、その目には嘲笑にも似た好奇心が潜んでいた。それらは全て気のせいかもしれない。だが、自分を客観的に見れば、そりゃあもう面白いオモチャである。時任にはそれがわかっていたから、尚更辛かった。むしろ、時任ではなくこの状況をただ面白がっているだけの秋月の方が異常であった。趣味は人間観察だと豪語するだけある。ある意味あいつが一番イカレていると、時任は思った。

 ガチャリ。

 考え事から覚め、時任はハッと我に返った。いつの間にか自身がオカルト部の部室の扉を開けているという事実が、信じられなかった。放課後はさっさと帰るつもりだったのに。

「やっぱり来ました!」

 中から嬉しそうな声が聞こえた。キツネだ。相変わらず妖怪っぽい風貌のテルテルと、金剛力士像ばりの威圧感を放つムシアミも中にいた。この部屋の空気は、きっと世界中のどこよりも奇怪で異様なものだ。

「ジェシュラ社CEOミュレー・ドモケレイニ氏は魚頭人類と新人類のハーフよ。この前流れていた自殺のニュースは全くのデタラメ。実際には別次元にある本国に急遽帰国することになったから、それっぽい話でカモフラージュしてるのよ」

「いいや。それこそ赤きカデボレアが流した魚頭人類信奉者向けのデマさ。実際には他殺だ。赤きカデボレアの活動にはドモケレイニ氏は邪魔だったからなぁ。イタナミューラをはじめとする古株の秘密結社には筒抜けだったがな」

「なにを言ってるの? そうした何でも秘密結社に繋げる短絡的な思考こそ魚頭人類の思うつぼよ」

「何? それだったらあれはどうなんだ。一年前のA国防衛相殺害事件」

「あれは・・・」

 テルテルとムシアミの間では、滅茶苦茶コテコテの陰謀論が部屋を飛び交っていた。本人たちはいたって真面目に議論しているようだ。大真面目に陰謀論が繰り広げられているので、その空気に充てられて自分も陰謀論者になった気分になる。そんなことには目もくれず、キツネは椅子と飲み物を時任に用意してくれた。

「別に変なものは入っていませんよ!」

 わざわざそう申告してもらったものの、時任は用意されたお茶を飲む気にはなれなかった。

「さて、本題に入りましょう!」

 キツネの声で、テルテルとムシアミの議論は中断される。秋月の話によれば、彼女らの力関係は拮抗していて、心から互いを友人と認め合っているため、どちらかが一方的に話を聞く、ということはないらしい。できるだけ互いの邪魔をせず、争いを避けるために話し合うが、利害が一致した時の三人は凄まじい、とか。

「どうせあたし達のことを良く知らないこの学校の人々が騒いでるんでしょ」

「それなら、またキツネの信者たちが勝手に解決してくれるんじゃねぇか?」

 また? 信者? 深く突っ込みたくない単語が聞こえてくる。陰謀論にカルト宗教? どこのデパートで売ってるんだそんな役満弁当。胃が痛くなってきた。

「そうですね。なので、今回の主題は別です! せっかく今日は時任くんが来てくれたので、以前から行きたかった志岐宮トンネルの噂を検証しに行きましょう!」

「お! やっとか」

「ようやくね」

 何を盛り上がってるのか、時任にはわからない。わからないこと尽くしだ。ならば、わからないなりに、今を知ろうとしなければならない。

「現場に向かうための車は校舎裏に待たせてあります。それでは行きましょう!」

 逃げ出すこともできたはずだが、そんなことは無駄な抵抗である気がして、時任はそのまま大人しく彼女らの乗り込む黒塗りの車に乗っていった。彼女らが自分に何を求めているのかを知るために。


*****


 車を運転していた壮年の男性は、見た目は普通だが、時任を含め全員に対して慇懃な物腰で対応しており、それがかえって不気味であった。

「着きましたよ」

 到着した場所は、山の入り口にある小さなトンネルだった。ここの噂は時任も聞いたことがある。特定の条件を満たすと異世界に繋がるトンネルとして、志岐宮トンネルは有名だった。だけども、流れている噂の情報はどれも曖昧で、異世界に行く条件がものによっては時間だったり、恰好だったり、人数と男女比の組み合わせだったりする。

「異世界に行くのか?」

 時任がそう尋ねると、キツネは首を振った。

「ここは異世界に繋がってはいません。異世界に繋がってはいませんが、異世界に行った気にさせる何かがあります」

 ここは、という言い方に引っ掛かりを覚えたが、時任はそれを追及しなかった。どうせはぐらかされるか、説明されても理解できないかである。それならいっそのこと、本当に異世界に行けるという時に尋ねればいい、と考えたのだ。時任は自分でも気が付かないうちに、今の状況に慣れ始めていた。

「外人類のテクノロジーが働いてる形跡は無いわね」

「外人類?」

「人類以外の知的生命体の総称よ。普通は知らなくてもいいけど、時任君は覚えておくべきね」

「今回はボクの出番のよう・・・違うな、この感じは。神話生物とかその類だ。キツネの出番だ」

「わかるもんなのか?」

「ええ。私たちが特別っていうわけじゃないですよ? 経験からの勘です」

「ははぁ」

 キツネは川のせせらぎのような美しい声で祝詞を唱えだした。すらすらと、人の意識と空間を縫い合わせ、調和させ、森羅万象が平坦なものへとなっていく気がした。時間すらも。

 異質な灰色の影が、一瞬姿を現した。瞬き一つ程の時間であったため、普段であれば疲れてるんだとか勝手に理由を付けて気に留めなかっただろう。だが、今は違う。信じるしかなかった。何かしらのトリックが働いている舞台演出でしかなかったのだとしても。

「終わったわね」

「あいつらはこの世で形を留めておけないからなぁ。ああやって時空を歪めた巣を作る。ボクたちみてぇなハンターにとっちゃ、捕まえられないダミー人形さ」

 ダミー? あれが、ダミー? じゃあ、実体を持ったモノもいる、のか? それならあのコテコテの陰謀論は本当なのか? 秘密結社とかも? いやいや、あり得ない。アリエナイアリエナイ!

「オレは、まともなのか? 夢を見てるじゃないだろうな? 子ども騙しのトリックだった? そうじゃないのか? これは、現実? 現実、なのか?」

「と、き、と、う、くん!」

「アッ」

 キツネに肩を叩かれて、時任はビクッと身体を震わせた。キツネは、優しく時任の手を握りしめた。

「まともであるというのは、誰かから証明されるものでも、誰かによって保障されるものでもなくて、そう信じるだけなんですよ」

「信じる?」

「そうです! だから、時任くんは自分の感じたものを信じればいいんです」

「そう、か。オレが感じたものを、信じれば・・・」

「どうでした? 貴方には、私はどう映りましたか?」

 時任は落ち着きを取り戻しつつあった。自分を取り巻いている状況を俯瞰し、冷静になっていた。この世を生きる上で、非常に重要でありながら、同時に非常に難しいことでもあるのが、俯瞰する、ということである。己の常識を俯瞰し、疑い、修正する。そうして導き出した時任の答えは・・・。

「正直に言えば、お前の姿は神がかり的で、綺麗だった」

「えへへ」

「だが」

「だが?」

「常識というものは、積み上げてきたものだ。だから、今すぐ壊すわけにはいかない。オレは、まだお前たちを信じきれない。だからこそ、お前たちの活動に協力しようと思う。常識を見つめ直すために」

「そんなぁ! 信じてくださいよぅ!」

「ふーん。いいんじゃい? これくらい慎重な方が歓迎できるわ」

「ああ」

 キツネは悲しそうな顔をするが、他の二人は妥当だという反応を示した。こうして、時任は正式に現世真理研究の一員となったのだった。

 時任が帰る時には時刻は9時を越えていた。これにはキツネが根回しをしていたようで、時任の母は紳士的な壮年の男性から息子の帰りが遅くなることを知らされていた。おかげで余計な心配をさせずに済んだ。


*****


 翌日、時任が登校すると、妙なことになっていた。先輩を含む生徒四名ネット上で誹謗中傷を行ったとかで二週間の停学処分を受けた旨の張り紙が学校の方から出されていたのだ。実名までは晒されていなかったが、人の口には戸が立てられないので、なにもしなくても時任の耳にその四名の名前が入ってきた。

「俺の言った通りだろ?」

「何が言った通り、だ」

「馬鹿が痛い目にあった。痛快だね!」

「そのせいでますます孤立することになっても、か?」

「美人に囲まれてるんだからいいだろう」

「あいつらはそんな美人じゃないぞ」

 すると、秋月は愉快そうにヒュウッと口笛を吹いた。

「だったらお前にとっての美人はどんな顔なんだい、時任くんよ」

「あー、それは、だな、あー、ああ? なんだ? 思い出せないな。名前どころか顔も出てこない」

「おいおい、思い出せないのかよ? 美人を忘れるなんて罪な奴だな」

「幼い頃に会ったことがあるはずなんだよ。凄い美人な人に。昔過ぎて記憶が曖昧だ」

「ほほぅ。いいね! お前も始めからあいつらと同じだったって訳だ」

「は? 何の話だよ? どこにそんな要素があんのか言ってみやがれ」

「お前も普通じゃないってことさ」

 時任は秋月の言っていることが理解できず、首を傾げた。それを見て、秋月はより楽しそうに、より愉快そうに笑う。そして、時任の肩を叩きながら、こう言った。

「常識ってのは、自分の感覚のことじゃないんだぜ」

 不思議そうな顔をする時任を見つめながら、なおも秋月は笑っていた。

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