Inferior-to-Fire ~陸軍学徒は天空に立つ~

@てくび

A memory

 風切り音が聞こえてくる。

 建物が根元から倒れていくのが見える。

 時々、どぉん、どぉんと響いてくる音に、身を縮こめる。そのたびに私は、私に背中を向けて立っているおじいちゃんに話しかける。


「ねぇ、なんでお外に行っちゃいけないの?」

「静かにしていなさいアテネ。もうすぐ外へ出られる」


 少し前の夜からずっとこうだ。おじいちゃんは何も答えてくれないし、横に倒れたキッチンの机から頭を出すのを許してくれない。

 空には真っ黒い雲が浮かび、ざーざーと降る雨が屋根に辺り、雨漏りしてきた水の粒がぽたぽた私の横に落ちてくる。景色もほぼ夜とかわらないというのに、お爺ちゃんは灯りを付けようとしない。暗くて、冷たくて、つまらない。

 こんな日がずっと続いていた。日が昇ったのか沈んだのかもわからない外を見て、ずっと机の横に隠れてる毎日。私はもう限界だった。

 私は大きく息を吸い込み、吐き出すのに合わせて――。


「おーじーいーちゃーん!! おなかすいたー!」

「ばか、大きな声を出すな!」


 おじいちゃんは私にしか聞こえないような小さな声で叱りつけた。


「そんなの知らない! おなかすいたからおなかすいたの!」

「静かにしていなさい! ……お前も十歳なんだから言う事も聞けるだろう?」

「いやだいやだ! ご飯出してくれるまで言う事きかないもん!」

「全く……普段は良い子にしているのに。……アテネ、キッチンで何する気だ。料理なんかしたことないだろう」

「フライパンをぶっつけて、大きな音を鳴らすの。もう喉が痛いから」


 私が流し台の棚からフライパンを二つ取り出し、頭の上で打ち付けようとしたとき、おじいちゃんの手が割って入ってきた。


「本当にやめてくれ、アテネ。笑い事じゃない」

「私だっておなかがすいてるの。笑い事じゃないわ」

「わかったわかった、食べ物は戸棚の奥に入ってる。だから、フライパンを下ろしてくれ」

「本当?!」


 私は戸棚の奥に手を入れ、手前にあった物ごと引きずり出した。ビスケットの缶を開け、中の物を二つ取っていっぺんにかじる。しつこいくらいに小麦の味がした。

 口の中で湿ったビスケットの滓を舐りながらおじいちゃんに聞いた。

 

「ていうかさ、おじいちゃん。なんで前から電気も付けないで、食べ物も食べないで、雨漏りも直してくれなかったの?」

「……雨漏りは先月からだ、アテネ……」

「そっか。で、なんでこうなの?」


 おじいちゃんは窓の外を指差した。外には飛行船より何十倍も広くて大きな地面が浮かんでいる。地面に向けられた風車が、雨なんか降ってないように勢いよく回っている。

 

「あれ、なに?」

「空中都市だ。戦争に行かない人間を避難させるために作っているのだ。は空を飛ばないからな」

「でも、どうやって行くの? あんなに高いと鳥でも行けないよ」


 そう言って私は両手をバタバタさせる。


「さぁ、それは知らんが……さしあたり飛行機とかだろうな」

「ひこうき……って、お空に飛んでる、あの?」

「そうだ。そういえば、アテネはアレに乗りたがっていたなぁ」

「ほんと?! やったぁ! 私、早く行きたい! ひこうき乗りたい!」

「待て待て、そう急がんでも、儂らはすぐ連れて行かれる。ここへ戻ってくることもない。だから、当分前から電気代を払うのをやめていた」

「へぇ、おじいちゃんって意外とけちなんだ」

「お前も世帯を持って、カネを稼ぐようになったらわかるさ」


 おじいちゃんが笑いかけたその時だ。何度も家のドアを叩く音が聞こえた。

 おじいちゃんはちょっとの間、身体が固まっていたけど、窓の外をちらりと見ると、ほっとしたような顔をした。


「おじいちゃん、今来た人は?」

「こっちの国の軍人さんだよ。儂らのような民間人を、空中都市へ連れて行くために来たのだろう」



 おじいちゃんは玄関の戸に手を掛けた。錆びてきたドアがきい、と鳴る。

 戸の奥には赤色の帽子の前の出っ張った部分に指を掛け、胸ポケットの下には金一色の四角いブローチをつけた、男の人が立っていた。

 男の人は耳元に指を当てて、静かな声で言った。


「ライサルト北部テスゥイタの町で難民を発見。指示を」

 

 

 おじいちゃんの言う『軍人さん』の使う言葉はよくわからない。だけど、おじいちゃんには何を言っているのか伝わったらしい。ひざをついて、お祈りするように言った。


「あなた方の助けを待っておりました。お願いです。私の孫を保護してくだされ」

「えぇ、もちろんです。そのお孫さんというのは?」

「今、部屋の奥にいるのです。アテネ、こっちへ来なさ――」


 私が横だおしになった机から顔を出したとき、おじいちゃんの話し声が止まった。それだけじゃない。重い石を何かにぶつけたような、そしてその後、みちみちと何かが裂ける音がした。その音が聞こえると同時に、顔にぺったりとひっついている生暖かいものに気づいた。鉄っぽい匂いだけれど、いつも鉄の工具を握っていて油臭い、お爺ちゃんの手の匂いとは違う。しかも、お爺ちゃんはさっきまで玄関の扉の前で立っていた。顔に垂れている赤黒いしずくの正体を知るのは、もう少し後になる。


 『軍人さん』は消えていた。その代わり、空の雲より真っ黒な布に金色の糸の刺繍がついたローブを着た男の人が、人差し指を上に向けて突っ立っていた。

 お爺ちゃんは「や……やめろ……」とうめきながら、床に倒れている。ローブの男の人はまた耳元を指で触れ、言い放った。


「こちらライサルト北部テスゥイタ、先刻の住民――ロス・ユリウスを処理しました。子供の方は如何なさいますか? ――始末、ですか。あぁいえ、決して慈悲などでは」


 何故おじいちゃんが倒れているのか、さっきの『軍人さん』はどこに行ったのか、何もわからないまま、私はおじいちゃんに近づいた。首を押さえているおじいちゃんの手からは血がだらだら流れて、止まりそうにない。

 

「おじいちゃん! ねぇおじいちゃん!」


 おじいちゃんはいよいよ声も出せなくなっているみたいだ。息が深く、荒くなっていく。おじいちゃんの手の力がみるみるなくなっていき、手が首から離れると、おじいちゃんの首には大穴が開いて、血がさらに流れてきた。

 怖くなって、私は男の人に向かって叫んだ。


「ねぇ、おじいちゃんに何をしたの?!」


 男の人の立てた人差し指がこちらに向くと、目には見えない何かがほっぺたの横を通った。

 擦れたところは、まるであついあつい鉄板を押しつけられたようだ。擦れただけでこんなに熱くて痛いのなら、おじいちゃんはもっと熱くて痛い思いをしたに違いない。

 早くおじいちゃんを助けないと。

 私はとっさに、階段の形のタンスに置いてある、おじいちゃんの拳銃を手に取った。


「物騒な子供だ!」


 またもや男の人が持つ『それ』が飛んでくる。当たったのは私の握っていた、おじいちゃんの拳銃。黒く光っていた銃は間抜けな音を立てて、ばらばらになってしまった。


「案ずるな。直ぐに老人と同じ所へ逝ける」


 そう私に語りかけた男の人は指を立てた。この後も必ず、よくわからないものが飛んでくる。私はそう感じていたけれど、一歩も動けない。男の人の指は私の情けない顔を捉えている。

 こうなると、もう私は泣くことしか出来なかった。死ぬのだって怖い、だけど、おじいちゃんを助けられなくなるかもしれない。そのことで涙が溢れてくる。

 私は食べたものを吐き戻すように口を開いた。


「死んじゃ嫌だ……死んじゃ嫌だ……死んじゃ嫌だ死んじゃ嫌だ死んじゃ嫌だ死んじゃ嫌だ――――死んじゃ嫌だぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 私が叫ぶのに合わせて、背中から風が吹いてきた。今まで感じたことのないくらい強い風だった。

 爆発、光、ガラスの破片。後ろから男の人に向かっていった。『割れたガラスは危ないから絶対に触っちゃならん』とおじいちゃんは言っていたけど、飛んでくるガラスのことは何も喋ってくれなかったから、私はどうすればいいか分からなくて身体を縮こめていた。背中にガラスが飛んできて、すごく痛かった。がらがら、お家の屋根のレンガとか、壁が崩れ落ちる。その時。


 ――私のヒーローが、そこにいた。




「動くな!」


 大人の男の人の声だ。そんな風に命令されたのは初めてで、私は床にダンゴムシみたく身体を丸めた。

 私の後ろから、背の高い、軍服を着た人が出てきて、ローブを着た男の人に近寄って、腕をきつく縛った。握っているのは、おじいちゃんの拳銃みたいに黒く光っているものだ。だけど、お爺ちゃんのよりずっと大きい。軍人さんは耳に手をあてて喋っている。

 

「天外省の『持つ者』を拘束。大本営まで連れて行きますか? ――反抗した場合の射撃許可は自由、了解。――ほら、立て。抵抗した場合は容赦しないぞ」


 そう言うと軍人さんはローブを着た男の人を立たせて、壊れた家の壁から出て行こうとした。

 私は助かった、のか。……でも、おじいちゃんはどうなるの?


「ね、ねぇ、待って」

「……ん?」


 軍人さんはゆっくりと振り返る。


「助けて、ほしいの――おじいちゃんを」

「……。――こちら、ライサルト北部テスゥイタ。女児一名、老人一名保護。老人は『持つ者』の魔法を受けて致命傷、女児は……なぁ、嬢ちゃん。何歳だ? あと、自分とお爺さんの名前も」

「――アテネ・ユリウス。10歳。お爺ちゃんはロス・ユリウス」


 私の名前を聞いた軍人さんの目はどきっとしていた、ような気がした。直ぐさま耳に手を当て、大事そうな話をしたあと、ため息をついて、私に向き直った。


「嬢ちゃん。悪いが、俺にはどうすることも出来ない。衛生兵、っつっても、子供にはわかんねぇか。お爺さんの傷を治してくれる連中を呼んでおいた。あとはそいつらに任せておけ」

「そのえい……、って人はいつ来るの」

「さぁな、なるべく早く来るよう呼びつけたが……何日後になるか」

「……! そんなにかかったら、おじいちゃん死んじゃうじゃない!! 今すぐ連れてきてよ!」

「それは出来ないんだ、ほんと、子供には苦しいことだと思うが……」

「なんで!」


 私は軍人さんに掴みかかりそうになった。おじいちゃんも救われると思ったのに、なんで、なんで……。

 軍人さんは苦しそうな顔をして――でも、目は元気なときのおじいちゃんみたいに厳しかった――、私の両肩に手を置き、言った。


「痛いほど分かる、その気持ちは。だけどな……、もういないんだ」

「……え?」

「何度も経験してるせいで、分かっちまうんだ。助かるかどうか


 私は後ろを向いた。おじいちゃんが倒れている。赤い赤い、血を噴いて。




 私は泣いた。わんわん泣いた。床の木がふやけるくらい泣いた。もうお爺ちゃんはいないんだ、というのは私にも分かった。分かってしまった。それを知ってしまって、さらに泣いた。軍人さんはその間、私の肩に手を置いてくれていた。




「嬢ちゃん。嬢ちゃんが大人になる頃には、俺みたいな奴が居なくなるといいな」




 軍人さんが去り際に言った言葉。意味が分かるのは、今よりずっと後だ。

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