第三十四章 家族へのカウントダウン/エピローグ
それから数日経ったある日。
動物家族たちの食事時間になり、散らばっていたボステリたちがリヴィングに集まってきた。
皆それぞれのカップに自分用の食事が用意されるのを、ソファーやイスやカーペットで座ったりスフィンクス座りをして待機している。
あしるはボステリたちが食べ終わった後、ひとりでゆっくり食べるのが好きなのでまだ出てこない。
祐風貴ママが四つのカップを両手に持って、ひとりずつ名前を呼んでカップを置くと、自分のカップの前にやってきて待つ。
四人分を配置し終わり
「はい、じゃあいただきまーす」
祐風貴ママが言うと一斉に喫食が始まった。
体重も年齢も違うボステリたちなのでご飯の量や好みの味も微妙に違う。
最初に食べ終わるのはアクア、次がマイルス君、リニーとハナちゃんが同じくらい。全員の食事が終わるまでだいたい十分程度。
その頃合いを見計らってあしるの分を用意していると、彼がリヴィングにやってくる。
ところが今日はなかなか姿を見せない。
祐風貴ママが
「あしるくーん、ご飯できてるよー」
と声を上げるが来る気配がない。
「ねえ、汐音ちゃん、あしるくんを見てきてくれない。ご飯に来ないの」
「はーい」
あしるの立ち回り先と思われるお気に入りの場所をまわってみたがどこにもいない。
汐音の自分の部屋を覗くと、窓際でジッと外を見ているあしるがいた。
「あしるくんご飯よ、何してんの? おいで」
しかしあしるはチラッと汐音を見ただけで、また外に顔を向けて一点を見つめている。
「どうしたの、何かあるの」
と言いながら汐音が窓に近づき、あしるの見ている方を見やると、雨が降りしきる中、花壇の仕切りのブロックに一匹の猫が佇んでいた。白い毛色のようだが、かなり泥をかぶって黒ずんでいるように見える。
「あの子が気になってたのね。ちょっと待ってて。見てきてあげるから」
汐音があしるを残して部屋を出て行った。
足元がぬれてもいいよう靴下を脱ぎスリッパを履いて玄関を出る。
傘をさし、件の猫に寄っていくが逃げるそぶりは見せない。
「どうしたの? 迷ったのかな。それとも野良ちゃん?」
そう言いながら一掴み持ってきたあしるのご飯を口元に近づけると、猫は顔をそむけた。
「ほら、これ美味しいよ。お腹すいてないの? 食べてみて」
もう一度顔の前に差し出すと、今度はにおいを嗅いでふた粒口に入れて食べてくれた。
気に入ったのか残りの粒も全部平らげてしまった。よほど空腹らしい。それに寒いのか少し震えてもいる。
このまま放っておくことはできないので、持っていた携帯電話を取り出してみのりちゃんに電話をかけた。
「はい。どうしたの? どこから? 今日どっか行くって言ってたっけ」
「いま家の庭にいるんだけど、ちょっと厚手のバスタオルを持ってきてくれない」
「いいけど、どうかしたの」
「庭に猫が迷い込んできて動けなくなってるの」
「ほんと? ちょっと待ってて。探して持っていくから」
「お願いね」
待っているとみのりちゃんがバスタオルを持って庭に出てきた。
「あら、かわいそうに、震えてるじゃない。いつから居たのかな」
「わからないけど、あしるがずっとこの子をわたしの部屋から見ていたのね。それでわたしが気づいて様子を見にきたの」
「とりあえずさ、身体を拭いてあげてシャワーで温めてあげようよ」
「そうね。じゃあわたしが抱いていくからみのりちゃん、傘持ってくれる」
汐音が猫の身体をバスタオルで覆い、前脚の両脇を持ち上げるようにして玄関先まで連れていった。
「シャワーの用意をしてくるから、汐音ちゃん、この子の身体を拭いていて。あとで呼びにくるから」
「うん、ありがとう」
窓からずっと見守っていたあしるが玄関近くまで出てきて、みのりちゃんの動きやドアの外の状況を窺っている。
ケガや皮膚に疾患があるかもしれないので猫用シャンプーは使わず、身体にお湯をかけて温めるだけにしておく。
男の子で首輪や去勢手術の跡はなく、誰かに飼われていたのか野良ネコかは判断がつかない。
次第に震えは収まり落ち着いてきたようだ。
あしるは中の様子が気になるようで、浴室の前を行ったり来たりする影が見える。
「どうするの、この子。うちで預かる?」
祐風貴さんが汐音に訊ねた。
「今から病院に連れてって、病気とかケガしてないか診てもらってくる。それから警察と保健所に行って保護猫の届け出をするよ。
多分うちで預かることになると思う。いいかなあ」
「いいわよ。助けを求めてうちにやってきたんだから、責任もってみてあげないと」
「そうよね。たまたまだろうけど、ここに入ってこなかったら行き倒れてたかもしれないし。
じゃあ病院に連れて行ってくるね」
「ひとりで大丈夫?」
「みのりちゃんが付いてきてくれるって。わたしが猫を抱っこしてみのりちゃんに運転をしてもらうの」
「そう。気を付けていってらっしゃいね」
夕方になってふたりが戻ってきた。保護猫は汐音に抱っこされて眠たそうにしている。
動物病院では血液検査や触診で骨折などのケガがないか診てもらったが、特に異常はないそうだ。
ただ栄養失調気味なので、体力が回復するものをあげてくださいとのこと。
その病院の先生に保護のいきさつを説明すると、診察料を半額にしてくれ、更に写真を撮ってパソコンで《迷いネコを預かっています》ポスターを作ってくれる親切さ。
さっそくその動物病院に一枚貼ってもらい、町内会の掲示板と行きつけのスーパーにお願いして、そこの掲示板にも貼ってもらうことに。
交番で拾得物の届け出をし、飼い主が見つかるまでうちで預かる旨を伝えると喜ばれた。
交番と保健所にもポスターを一枚ずつ渡して一通り手続きが完了。
「三か月経っても飼い主さんが見つからなければ、うちに所有権が移るんだって」
汐音が発見から届け出までの流れを一通り説明し終わるとみのりちゃんが
「もし見つかったらこの子にとっては喜ばしいことだけど、でもわたしたちは情が移っちゃってるから、送り出す時は寂しいだろうね」
「そうよね。でもうちの子の誰かが同じことになったら、やっぱり自分の家に戻ってくれることが一番じゃない。その子にとっても、家族にとっても」
祐風貴さんの意見はもっともだ。しかしその祐風貴さんにしても縁あってうちにやってきたこの猫ちゃんと別れる時が来たら、笑顔で送り出してあげても心では泣いてしまうだろう。
「名前をどうする? 名無しのネコちゃんじゃかわいそう」
祐風貴さんがいくつか案を出した。《ミーコ》《舞子》《きょん》。
どれもイマイチで誰も賛意を示さない。もっとも《舞子》は迷子をもじったもので、ダジャレ世代の私は共感を覚えた。しかし彼は男だ。
汐音が試しに猫に訊いてみた。
「あなた、名前なんて言うの」
するとその猫は
「ぱおん」
と返答した。彼は『にゃおん』と言おうとしたのだろうが、我々には『ぱおん』と聞こえたので、名前は《ぱお》に決まった。
あとは先住家族との顔合わせだ。さっきから汐音の足元でボステリたちがうろうろしている。
「ちょっとみんな、集まって。新しいお友達です。名前は《ぱお》。しばらく家で預かるけど、三か月したら家族の仲間入りよ。仲良くしてあげてください」
そう言って汐音がボステリたちの前に抱っこしたぱおを差し出した。
しきりに匂いを嗅いだり舐めたりしている。ぱおの方も不思議な生き物を見るように目を丸くしてきょろきょろしているが、特に威嚇したりボステリたちのボディ・コンタクトをいやがったりしていない。ファースト・コンタクトはまずまず友好的に終えることができた。
あしるは汐音とみのりちゃんがぱおを連れ帰ってからずっと付いてまわっている。
汐音が抱っこしたままぱおを離さないので、汐音の横にずっと陣取っていても、まだ直接の挨拶は交わしていない。
「次はあしるくん。ぱおはあなたが見つけたんだから、ちゃんと面倒見てあけなきゃだめよ。はい」
そしてあしるの前にぱおを座らせた。
最初は互いに牽制しあって知らん顔をしていたが、多分あしるより若いぱおの方があしるに近づいて顔舐めを始めた。
あしるもいやそうな表情はせず、しばらくそのままぱおの挨拶を受けている。
あしるは朝からの気疲れで、ぱおは久しぶりの暖かい環境に安心しきって、結局そのままふたりともくっついて寝入てしまった。
そしてぱおを拾得物として届け出た日から明日が三か月目。
今日までに遺失者が現れなければ、午前零時をまわった瞬間に晴れてぱおを正式に家族として迎えられる。
その時間まであと一分。リヴィングに家族が集まってその瞬間を待っているところだ。
十一時五十九分三十秒、四十秒、四十五秒、十秒前からは自然にカウントダウンが始まった。
「十、九、八、七、六、五、四、三、二、一、ゼローッ!」
時ならぬ拍手が起こり、ぱおは居候からわが家の一員となった。
訳はわからないが大人たちが喜んでいるので、逢詩も嬉しそうでテンションが上がってカーペットの上をはいはいして回っている。
人類であれ動物であれ、これだけの命が縁あって二つ屋根の下に暮らすこの偶然。
私や祐風貴さんはいつかみんなと時を異にすることになるが、汐音やみのりちゃんが今一緒に居るみんなの記憶や記録を後の世代に、可能な限り繋いでいってほしいと心から思う。
今日は日曜だが仕事の打ち合わせがあり、これから出かけなければならない。
みのりちゃんははやぶさ君が帰国して実家に帰省中なので、彼とお出かけ。
マイルス君、ハナちゃん、リニー、アクアは同じリヴィングでお昼寝タイム。彼ら彼女らのいびきの合唱が住人には子守歌に聞こえる。
その子守歌を聞きながら祐風貴さんもリヴィングでテレビを視つつのうとうと寝。
外出の準備をして逢詩の顔を見ていこうと育児部屋に寄ってみると、逢詩はベッドで気持ちよさそうに寝ていた。
そのベッドの横で汐音もお昼寝中。
汐音の背中に持たれかかってぱおが、そのぱおに重なるようにしてあしるが連れ寝をしていた。
みんな安心しきった寝顔。
汐音がやってきて始まったこの幸せ物語、この先もずっとずっと続いていくのだろう。
足音をたてないよう、そっと部屋から出た。
藤村家のヴィーナスの誕生 藤田アルシオーネ @fujimurashione
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