第二十三章 陰謀渦巻く自由行動日

 「イケメンはともかく、ほかには誰にも会わなかった?」

 「いえ、特に誰とも。なぜですか」

 「実はね、サプライズがあるんだよ。ほら、私たちとは別に一家族が宿泊しているでしょ、隣のその隣りの部屋に。誰だと思う?」

 汐音もみのりちゃんも不自然にならないよう注意をはらいながら質問に答えた。

 「えー誰なの。サプライズって言うくらいだからまさかって思う人だよね」

 「なにかヒントはないんですか? 例えばベストセラー作家とかノーベル賞受賞者とか」

 「本は確か書いていたと思うけど、ベストセラーかどうかはわからないな。

 ノーベル賞は将来、受賞する可能性があるかも」

 「え~わかんない。外タレさん? 誰なのお」

 汐音がぶりっ子対応になっている。みのりちゃんは噴き出しそうなのを必死に堪えようと窓の外を見ている。

 「実は、アンドロイド・ラボの御茶水氏一家が泊まってるんだよ」

 「うそお! なんで、どうして? わたしたちを追っかけて来たとか⁉」

 みずほちゃんやファイヴ・カラーズにかけられた彼ら・彼女らへのおっかけ疑惑の言葉を、みのりちゃんがここぞとばかりに嫌疑をかけた者たちに返している。

 「御茶水氏も私たちがおっかけてきたのかとか、訳のわからないことを言っていたな。

 まあそれはともかく、偶然なんだろうね。

 私は御茶水氏にはさっき挨拶できたけど、汐音たちも朝一でお邪魔して挨拶だけでもしといてね」

 「はーい。みずほちゃんや双子ちゃんも来てるんでしょ。先生の奥さんとはお会いしたことないからちゃんと自己紹介しとかないと。ね、みのりちゃん」

 「そ、そうね」

 「あ、それからマロンちゃんとはやぶさ君も来てるよ」

 「え⁉ はやぶさ君も!」

 急にみのりちゃんの様子が変わった。

 「だって彼はニューヨークだかどこかでレコーディングをしてるって聞いてたけど……」

 「そうなの? 夜の十時過ぎに飛行機を乗り継いでわざわざやってきたそうだよ。

 ちょうど日本に帰ってくる用事があって、本当はアメリカにすぐ帰る予定だったんだけど、家族旅行に来るなんて今はもうなかなかチャンスがないし、せっかくだから無理して時間調節した結果、今夜から明後日まで時間を都合することができたらしい。

 御茶水氏とはやぶさ君とマロンちゃん、それに私とでビールで乾杯した後、御茶水氏とはやぶさ君は風呂に入りに行ったよ」

 「そうだったんですか」

 そう言いながら、みのりちゃんは自分の携帯をチェックしていた。

 「こんばんは」

 とだけ記されたはやぶさ君からのメッセージが入ってきているのを、露天風呂に入る前にみのりちゃんは気づいて読んではいた。

 しかし毎日送られてくる定時便だと思い、風呂から上がって返信すればいいと考えてそのままほっておいたのだ。

 もしあの時に返信しておけば、いま同じ旅館にいるよと教えてくれたのだろう。

 みのりちゃんのCPU内部では幾通りにもパラメータを入れ替えて、明日の最善の行動スケジュールをシミュレートしている。

 みのりちゃんの表情から彼女が思考モードに入っているの見てとった汐音が、私にみのりちゃんの邪魔をさせまいと質問を投げかけてくる。

 「ね、御茶水先生の奥さんってどんな人? マロンちゃんは元気そうだった」

 「いや、実はね、私も御茶水氏の奥さんとは会ったことがないんだよ。多分見かけたぐらいはあると思うんだけどね。

 あとマロンちゃんはいつもと変わらないみたいだったよ。ただ、本当は予定があったのに無理に御茶水家の旅行に付き合わされることになった、とも言っていたな」

 「そうなんだ。明日マロンちゃんから詳しくお話しを聞いてみようっと」

 汐音が横目でみのりちゃんを窺うと、思考モードからいつもの表情に戻っている。

 「さあ、汐音ちゃん、もう寝ましょ。明日はいろいろ忙しくなりそうだから」

 「そ、そうだね。明日は自由行動で計画盛沢山だから」

 「ふたりはどこかに行くの?」

 「みずほちゃんとマロンちゃんがいるんだったらカラオケでも行こうかな。

 ね、みのりちゃん」

 「そ、そうね。また明日お話ししましょう。おやすみ汐音ちゃん。藤村さんもおやすみなさい。お母さんはとっくに熟睡ね」



 「おはようございます。よく寝てましたね」

 「おあよおごあいまふ。なんでわたしコタツで寝てるの」

 「これのせいじゃないですか?」

 そう言って町田さんの前に置かれているビールの空き缶二缶を指さした。

 「わたし二本も呑んだの? でもそれくらいじゃ前後不覚になるほど睡魔に襲われたりしないと思うけど」

 「アルコールの度数が高かったんですよ。普通の二倍くらいあるから、いつも家で呑んでいる銘柄の四本分は呑んだのと同じくらいの効果があったんでしょう。

 それに一日中、未熟なドライバーの助手席で神経を使っていたから、その疲れもあっただろうし」

 「みのりたちはどうしたのかしら。昨日は何時ころ戻ってきましたか」

 「なにか朝から忙しくしてますよ。洋服選びとか化粧とか。

 露天風呂から戻ってきたのは、私も熟睡していていつだったか覚えていません」

 朝四時まで帰ってこなかったとは言わない方が良いだろう。

 御茶水氏一家がこの同じ旅館に宿泊していることも伝えておかないといけない。

 「昨晩、この部屋に来客があって、一応町田さんに挨拶してたんですけど、覚えてますか?」

 「あら、そう言えばわたし、夢を見たの。はやぶさ君とマリンちゃんが新婚旅行でここに来てるとかなんとか、そんなストーリーだったような気がするけど」

 「マリンじゃなくマロンちゃんです。断片的には記憶に残ってるんだな。

 新婚旅行じゃないけど、本当にはやぶさ君とマロンちゃんがここに泊まってるんです。

 そのふたりだけじゃなくて御茶水氏ご一家がこの旅館に来てるんですよ」

 「まあ! 同宿の一家族は御茶水さんだったのね。ここってそんなに人気があるのかしら。

 じゃあご挨拶に伺わないと」

 「それが、さっきお部屋を覗いてみたんですが、御茶水さんと奥さんは朝早く双子の姉妹を連れてハイキングに出られたそうです」

 「そうなんですの。わたしまだ御茶水さんの奥さまに会ったことがないんです。いつかご挨拶しないといけないってずっと思ってるんだけど、なかなか機会がなくて」

 「実は私もそうなんですよ。多分お姿を拝見したことくらいはあると思うけど、ちゃんと自己紹介をした記憶がなくて。

 ハイキングから帰ってこられたら、今夜にでもファースト・コンタクトを済ませようと考えています。

 それと御茶水氏から今夜の食事は合同でしませんかとお誘いがあって、私は『喜んでご一緒させていただきます』と返事をしたんですが、町田さんもOKで良かったですか? 心地良さそうに酔眠中だったので、起こして訊けなかった……」

 「それは楽しみ! まさか旅先でよく知った方たちと偶然出会って、呑み会ができるなんてこんなステキなサプライズはありませんわ」

 御茶水氏は《呑み会》とは言わなかったが、まあ夜の食事会なら呑み会とほぼ同義だろう。



 「ね、マロンちゃん、一緒に行こうよカラオケ。マロンちゃんのかわいい歌声を聞きたいな」

 「わたし、今日はずっとネットで動画サイトを見るの。

 ワイキキに行っているファイヴ・カラーズのファンの子がいて、その子がどこかから仕入れてきた情報によると、今日の午後、五人がビーチにきてサーフィンをするらしく、その映像を生配信してくれるそうだから、それが始まるまでずーっと待ってる」

 「でもさ、あのワイキキでの目撃情報もかなり怪しいらしいよ。

 スクープで掲載されていた写真を拡大してみると、確かに似ているけど鼻の高さや両目の間の間隔が微妙に違うって書いてあった。本人である確率は三十パーセントだって」

 「それでもいいの。一パーセントでも可能性があるなら、わたし待ってる!」

 説得上手な汐音にも、マロンちゃんの一途さを動かすのにはかなり難儀している。

 「あのね、実をいうと、奥の部屋に泊まっている受験合宿中の男の子たちから『合宿最終日にカラオケに行きませんか』ってお誘いがあったのよ。

 マロンちゃんはファイヴ・カラーズ以外の男子には興味がないだろうけど、その子たちも将来は芸能界入りする子もいるんじゃないかってレベルの、意外にイケメンカワイイ子ばかりで、わたしとみのりちゃんは『青田刈りしとこうよ』って話してたくらいよ。

 でもみのりちゃんはカラオケに行かず、はやぶさ君とどこかに行くみたいだし、みずほちゃんはなにか自分で計画を立てているんだって。

 マロンちゃんを無理に誘うわけにもいかないから、女子はわたし一人だけど行っちゃおう! いい子がいたら写メを送るね」

 「あの、実際に見たんですか、その子たち」

 マロンちゃんが少し興味を持ち始めたようだ。どうやら《イケメンカワイイ》に気を惹かれたらしい。

 「見たよ。て言うか夜中に混浴風呂で一緒だった。マロンちゃんも来ていれば、きっとその子たちがお気に入りになったはず」

 「ふ~ん。ファイヴ・カラーズより素敵な子なんていないけど、でもちょっと話してみるくらいならいいかなあ」

 「そうよそうよ。楽しくなかったら先にタクシーで帰ればいいし。ね、行こ行こっ!」

 「わかりました。でも本当に気に入らなかったら『用事ができたから』って店を出るよ」

 「それでいいよ。

 そうだ。そのタブレットを持って行って、ファイヴ・カラーズが現れるのをモニターしてればいいじゃない」

 「もちろん。本当は汐音ちゃんもファイヴ・カラーズのサーフィン姿を見たいんでしょ」

 「それはそうよ。ファイヴ・カラーズはどんなことしても、どんなダサいジャージを着ていてもカッコいいからね。

 じゃあ三十分くらいしたら出発だから準備しないと。あとで迎えにくるね」


 三十分後、汐音がマロンちゃんの部屋に行くと、出発する準備は終わっていたものの、いつものロリータ風衣装ではない。どうやら気合は入ってないらしい。

 「今日はナチュラルなファッションだね。でもそんな感じのマロンちゃんも新鮮で大人っぽくていいよ」

 「そうですかあ。でも田舎の男子高校生には最先端のファッションに見えるかも」

 完全に低モチベのマロンちゃん。数分後の彼女がどうなっているか想像すると、汐音はマロンちゃんの背後でほくそ笑んでしまう。


 旅館の玄関を出ると駐車場の一番奥で、すでにメンバーを乗せた車がエンジンをかけた状態で待っていた。

 窓は外から見えないスモークガラスなので、中の様子は窺えない。

 ドアに近づくと中から操作してくれたらしく、自動ドアのようにゆっくりスライドして開いた。

 「おはようございます! お邪魔しまーす」

 まず汐音が元気に挨拶しながら乗車した。続いてマロンちゃんが足取り重たく乗り込む。

 「おはようございます。よろしく」

 と言いながら、車内を見回すこともなくシートに座ってベルトを締めた。

 誰かがドアの《閉じる》ボタンを押して、ゆっくり静かに横に滑った。

 車が動き出すと同時に都斗が

 「汐音ちゃん、明け方近くまでお風呂を付き合ってくれてありがとうございました。

 それからマロンちゃん、お久しぶりです、元気そうですね」

 リーダーが代表してふたりに声をかけてくれた。

 「こっちこそ、遅くまでごめんね。でも楽しかった」

 汐音はもちろん彼らの正体を知っているので、普通に受け答えている。

 マロンちゃんは今聞いた声と記憶を分析照合している。そして身体をよじって振り返り、後部座席に座る五人の顔を一人ひとり視認し

 「……ファ……なんで……?」

 と言葉にならない声を吐き出している。

 「きゃーどーしよー ファッション最悪 もう汐音ちゃんなんで教えてくれなかったの⁉」

 「だって旅館の中では、まだファイヴ・カラーズ宿泊のことは極秘事項なので言えなかったのよ」

 汐音に文句を言いながらもマロンちゃんは、ファイヴ・カラーズのメンバーたちと握手している。目はすでに♡型、瞬秒でマックス・テンションに達したようだ。

 「朝ね、御茶水先生の奥さんに『マロンちゃんもカラオケにかならず一緒に連れて行ってね』ってたのまれたの。

 マロンちゃんを無理に温泉旅行に連れてきたのは、噂を信じてワイキキに行こうとしていたので、瑤子さんとみずほちゃんが必死に言いくるめて、ワイキキ行きを諦めさせたんだって。

 瑤子さんとみずほちゃんだけがファイヴ・カラーズもこっちに来ることを知っていたけど、さっきも言ったように極秘事項だったからマロンちゃんに言えなかったそうよ。

 明日は御茶水一家もファイヴ・カラーズも、そしてわたしたちも皆それぞれ帰っていくので、今夜はみんな一緒に食事をしましょうって」

 「そうだったんだ。わたし、無理に連れてこられて正直ちょっと怒ってたんだけど、理由が判ったんで、旅館に帰ったら瑤子さんとみずほちゃんにお礼とごめんなさいを言います」

 「ワイキキに行ってて、ファイヴ・カラーズが疑似物と判明し、大魔神みたいに柔和から憤怒の表情に変わる瞬間のマロンちゃんが生配信されるのも見たかったけど。

 ね、だから今日は歌いまくり聴きまくろうよ。メンバーが言ってたんだけど、明日からすぐ仕事で歌わなきゃならないから、今日は声出しの練習をたっぷりしとくんだって。

 それにマロンちゃん、自分のファッションを気にしてたけど、ファイヴ・カラーズも今日は部屋着のジャージ姿だから、ダサいのはお互いさまなので気を使わなくて済むよね」

 「汐音ちゃん、全部聞こえてるんだけど。一応このジャージは有名スポーツ用品ブランドなんだよね」

 最後部の座席にいる速斗が、汐音の『ダサいうんぬん』発言を咎めるように言った。

 「わたしはダサいなんて思ってないよ。ファイヴ・カラーズは何を着ても服の方で似合ってくれるもんね。

 あ、もちろん服が良いからって訳じゃなくて、どんな衣装でも着こなす才能がメンバーに備わってるって言いたいの」

 と、汐音とは見方が違っている旨を、即座にマロンちゃんが表明した。



 御茶水夫妻と双子の娘たちはハイキングへ行きました。


 「じゃあ、みのりちゃんも汐音ちゃんも元気そうだったんだね」

 「ええ。相変わらずの凸凹コンビぶりを発揮しているみたいでしたわ。あのふたり、似てないからこそ良い関係が成り立っているのよね。

 藤村さんは? お変わりなさそうでしたか」

 「うん。でも父親の雰囲気は出てきたかな。あくまでも《雰囲気》で《風格》じゃないけど」

 「あなたもそうだったけど、みずほが来たばかりの頃はかなり気遣いしてましたね。

 いきなり二十歳近くの娘ができちゃったんだから、それは右往左往するのが当たり前ですよ。

 それでもあなたには、双子の娘の子育て経験があったからまだ良かったけれど、藤村さんは全くの経験ゼロ状態で、いきなり成人の娘がやってきたんだから、それは大変だったと思うわ。

 でもみずほが汐音ちゃんから聞いた、藤村家に来てからの日々の生活の話しでは、藤村さんも楽しみながら困ったり悩んだりしつつ、父親として成長をしているみたい。

 なにか問題があっても一人で抱え込まず、汐音ちゃんと一緒にどう対応するか知恵を出し合って解決しているのが良いみたい」

 「藤村さんはトップダウン式の性格じゃないようだから、わりとはっきりした性格の汐音ちゃんにとって、相性の良いお父さんと出会えたよね。

 で、君はどうだったの、はやぶさが家に来た時の彼の印象は」

 「はやぶさと信頼関係を築くのは楽でしたわよ。性格が出会った頃のあなたそっくりだったから」

 「若い頃のわたしの性格にそっくり? どんなところが似てたの」

 「自信なさげでちょっと挙動不審、でも性格はやさしそう。話してみると押しつけがましいところがなく、こちらの話しをよく聞いてちゃんと合わせてくれる。

 年上の女性なら母性本能をくすぐられるタイプね。

 あの子はアンドロイドのプロトタイプの中でも一番最初に誕生したんでしょう。

 全くノウハウのない状況から彼の心の元となるプログラムを組んだのだから、開発者の性格が反映されているのも当然よね」

 「君と知り合った時、わたしは挙動不審に見えたの?

 まあ確かに人見知りが強くて、自信ありげな女性の前では、特におどおどすることもあったかもな」

 「でも頭の回転が速いので、物事を理解して自家薬籠中にすると、得意分野では一廉の人物になる可能性を秘めていた。あなたのそんなところにわたしは惹かれたの」

 「それはどうも。じゃあはやぶさにもわたしのその遺伝子は引き継がれていそうかな」

 「そう思います。今は歌の才能を発揮しているけど、将来はあなたのように科学の世界で功績を残すかも。

 ねえ、今の話しから推測すると、もしかしてみずほの性格プログラムは、わたしが土台になってるんじゃありません?」

 「……そうかもね。確かに似てる部分はある」

 「きっとそうよ。あなたの知っている若い時のわたしは、プライドが高くて気難しい頑固者、教授と意見が対立しても一歩も引かない強気な女、そう思ってたんじゃありません?」

 「まあそんなところかな。君は近づきがたい存在で、初めて会話らしい会話をしたのは大学に入って半年以上は経っていたよね。

 そうか! だからみずほが来て初めの頃、彼女に話しかける時は無意識に大学生だった頃の君の姿と重なって神経を使ったんだな」

 「それじゃあ大学時代、わたしと話す時は相当神経をすり減らしていたのね」

 「始めの頃だけね。その後は性格が理解できたから、研究や学問の上では対等に議論できたし、ランチタイムは普通に話せた」

 「みずほと会話をしていて、時々自分自身と話しをしている気がするの。こう言えばこんな答えが返ってくるだろうって予想したら、ほとんどその通りになることが多いわ。

 その理由が解ってまた少し、みずほとの距離が近くなったし、わたしの生き移しの存在と考えると妙な嬉しさと親しみがあります」

 「それならみずほも将来はすてきなパートナーを見つけて、幸せな人生を送ることになるだろうね」

 夫婦の会話に割り込むタイミングを見計らったように、双子の姉の晏那ちゃんが瑤子さんを呼び止めた。

 「お母さんお母さん、ちょっと」

 母親が振り向くと

 「月那がさっきからお腹が痛いって言ってるよ」

 見ると妹の月那ちゃんが腹を手で押さえて、やや俯き加減に歩いていた。

 瑤子さんが歩み寄り、月那ちゃんの顔色と額に掌を当てて熱がないか確認してみた。

 「いつから痛いの? 朝ごはんは全部食べた?」

 「十分くらい前から。ごはんは少し残した」

 御茶水氏も心配そうに戻ってきてふたりのやり取りを聞いている。

 「我慢できそうかい?」

 「わからない。多分大丈夫だけど長く歩けないかも」

 「じゃあ引き返そう。万一食あたりだったらわたしたちにも症状がでるかもしれない」

 「きっと昨日の夜中に飲んだスポーツドリンクのせいよ。喉が渇いていたから五百ミリリットルのペットボトル一本、全部一気に飲んじゃった」

 と月那ちゃんが思い当たる原因を弱々しい声で言った。

 「晏那は? なんともないの?」

 「わたしはいつもと変わらないよ。お父さんとお母さんは?」

 「わたしは元気よ。お父さんも特になんともないみたい」

 「だったらわたしが月那を旅館まで連れて帰るから、お母さんたちは予定通りにハイキングを続けてよ。せっかく来たのにどこにも行かないなんてもったいないから」

 「あなたひとりで連れて帰れるの? 月那が歩けなくなったらおんぶしなきゃならないかもよ」

 「わたし、学校では保健委員をやってるんだよ。今までに三回も付き添い看護したから任せといて!」

 晏那ちゃんが自信たっぷりに言うので、瑤子さんも少し安心したのか

 「じゃあ保健委員さんにお任せしましょうか。手に負えなくなったりしたらすぐに連絡するのよ、いい?」

 「うん、わかってる。じゃあ月那、帰ろうか」

 「うん。じゃあ先に帰るね。松茸採ってきてね」

 「はいはい。大丈夫そうね。旅館に着いたら連絡するのよ。忘れないで」

 「わかった! お母さんたちも遭難しちゃだめよ。

 さ、帰ろう。ほら、荷物持ってあげるから」

 晏那ちゃんが月那ちゃんを支えるように、双子姉妹は今来た道を戻っていった。


 姉妹がカーブを曲がって見えなくなるまで、御茶水夫妻はその場に立ち止まってふたりを見送った。

 「なんだか仮病くさいわね。どう思いました?」

 「自分の子供を疑うのはなんだけど、ちょっとくさかったな」

 「きっと旅館でマロンちゃんと一緒に、ハワイからの生配信が見たいのよ。

 でもマロンちゃんは多分、汐音ちゃんに誘われてカラオケに行っているだろうから、ふたりで小さな携帯画面を見てがっかりすることになるわ」

 「ああ、なるほど。ファイヴ・カラーズ絡みの仮病芝居だったのか。

 でもなぜがっかりするんだ。画面が小さくても見られればいいだろう」

 「そうね。それが本当にファイヴ・カラーズだったら満足だろうけど、ただのそっくりさんかもしれないし」

 「うちの子はともかく、そのハワイのファイヴ・カラーズが本物だったらマロンちゃんからわたし達はかなり恨まれるだろうね。特に君は。

 なぜあれ程マロンちゃんのワイキキ行きに反対したの?」

 「それは百パーセント確実な情報を元にしての計画じゃなかったし、国外に彼女をひとりで送り出すのは甚だ心配でしたからね。あなただって同じお考えでしょう」

 「あ、ああ、そうだね。向こうに飛んでファイヴ・カラーズに会えなければ、いや、そもそも彼らが行っていなければそれこそ落胆も大きいだろうから。

 偶然だけど汐音ちゃんやみのりちゃんと旅先で会えたことの方が、後々には良い思い出になるはずだし。

 あ、言い忘れていたけど、昨日の夜、藤村さんに今日の夜は双方の家族一同で夕食会をしましょうと誘っておいたけど、それでいいよね。

 女将にはうちの七人と藤村さん町田さん親子四人の、合わせて十一人で予約しておいたから」

 「もちろん大勢でお食事した方が楽しいに決まってますわ。

 五時までに旅館に戻ってお風呂に入れば、六時半の開始には間に合うわね」

 「そうだね。なんで六時半開始ってわかったの? 時間言ったっけ」

 「え⁉ 夕食会ならそのくらいの時刻から始めるのが一般的じゃなくて?」

 「そうだね。やっぱり君は勘が鋭いよ。

 それから女将が『十一人ですか? 十七じゃなくて?』って聞き返してきたけどなんでかな」

 「《じゅういち》と《じゅうしち》は聞き違えやすいから確認されたんですよ」


 朝イチで瑤子さんが社長兼マネージャーと女将に事情を説明した際、女将に今夜の夕食は三部屋の宿泊者全員で行う旨を伝えていたのだ。

 その直後に部屋の前の廊下で、まだ事情を知らない御茶水氏が十一人で女将に夕食の予約をしているのを聞いて。瑤子さんがすぐに女将のところへ走り、夕食の人数は十一じゃなく十七人のまま変更なしと訂正。

 それと社長から聞いた、ファイヴ・カラーズのメンバーそれぞれの好みのソフトドリンクを多めに追加注文もしておいた。

 《菖蒲の間》に宿泊中の団体客の正体がファイヴ・カラーズであることは、午後にでも仲居さんたちにお話ししておきます、ベテランばかりなので宿泊情報が外部に漏れることはないと女将が請け合った。



 同じころ、みずほちゃんは……


 列車とバスを乗り継いで出雲日御碕灯台を訪れていた。

 島根半島の最西端で日本海を照らす白い灯台だ。海面から灯台のてっぺんまでの高さは日本一らしい。その最頂部に近い高さの展望台に彼女は立っている。

 十一月の日本海から吹き付ける海風は冷たい。厚着はしているが体温調節のパラメータの数値を少し高めに設定する。

 それでも直接風があたる顔の表面温度は外気温とほとんど変わらない。

 初めて見る日本海の荒波に、みずほちゃんは感動している。

 アンドロイドや人間が機械で作り出すパワーなど、自然は簡単にねじ伏せてしまうだろう。

 この日は今の時季にしてはめずらしく快晴で、視程も二十キロ先まで見えている。

 優れた視覚能力の備わった彼女の目が、三キロほど沖の、潮の流れとは違う航跡らしきものをとらえた。その付近の海上を航行する船はないので、多分大型の海生哺乳類かジンベエザメか作戦行動中の潜水艦が海面直下を潜航しているのだろう。ダイオウイカやカグラザメの可能性もなくはない。

 海上だけではなく、海中の浅いところまでも海流の流れで観察と推測をするのが彼女は好きだ。それは家の近くの川や池、ダム湖に出かけた時もよくやっている楽しみのひとつ。

 しかし刻々と表情が変化する海は、いつまで見ていても飽きない。三十分以上、ずっと同じ場所から日本海を見続けた。

 しばらくすると観光で訪れたらしいカップルが上がってきて、彼女と反対側の位置に立った。

 そのふたりは高所恐怖症の彼氏を、彼女が無理やり転落防止の手すりまで引っ張って行き『怖いこわい』だの『男のくせに情けないわね』だのと言って騒いでいる。

 時計を見ると帰るバスの時間が近くなっていたので、またいつか来ることを誓い、灯台内部のらせん階段を降りた。


 バス停に向かう間、何軒かの出店があったので、立ち寄って家族と汐音ちゃんみのりちゃん一家その他に買って帰るみやげを物色した。

 双子姉妹には五センチ高の灯台ミニチュアの横に《努力》・《友情》と文字が刻印されたペン立てを。

 お兄ちゃんには大きな文字で『I ♡ SHIMANE』と大書された文字の背景に、灯台と鳥居と山のイラストをあしらったTシャツ。

 それぞれのイラストの下に名称がプリントされている。

 灯台の下には『出雲日御碕灯台』、鳥居は『出雲大社』、山には『大山』の極太ゴシック体の黒文字。

 「おおやま? 謂れのある有名な山なのかな」 

 両親へは『出雲日御碕灯台』の文字と灯台のイラスト入りタペストリー、それとなぜか鳥取砂丘のペナント。

 三種類の絵葉書十枚セットをそれぞれマロンちゃん、みのりちゃん、汐音ちゃんに。

 藤村さんと町田さんには出雲そばセット。

 ファイヴ・カラーズのメンバーと社長兼マネージャーさんには、小さな灯台のキーホルダー。

 まじめな性格のみずほちゃんは、おみやげセンスがいまひとつなのが欠点と言えば欠点だ。



 両親と別れて旅館に引き返すはずの双子姉妹たち。


 「もういいよ月那、見えない所まで来たから。自分の荷物持ちなさいよ」

 前かがみだった姿勢をまっすぐ起こして月那ちゃんは振り返り、晏那ちゃんの言う通りに両親が見えないか確認した。

 「良し、第一段階は成功!」

 月那ちゃんは自分のリュックから携帯を取り出し、ナビを表示して現在地を確認した。

 「ほら、今ここだから、この先にある下りのハイキング道を降りていくんだよ。

 登り口まで下りきると、旅館の方向から続いている緩い二車線の峠道に合流するから、そこでカラオケに向かう車を待ち伏せするの」

 「ねえ、本当に間違いないの? 月那とその人との距離はどのくらいあった?」

 晏那ちゃんがもうひとつ信用しきれない様子で月那ちゃんに問いただした。

 「距離は二~三十メートルはあったけど、SNSしてるふりをして携帯の望遠で確認したよ。

 顔は見覚えがあったし、あの時のと同じ《NY》マークの入った帽子をかぶってた。絶対にファイヴ・カラーズのマネージャーだって」

 朝早く目が覚めた月那ちゃんが旅館の周りを散歩している時、旧VIP部屋から降りてきて車に乗ろうとしていたファイヴ・カラーズの社長兼マネージャーを目撃したのだ。

 さらに晏那ちゃんが一階の自販機で冷たいお茶を買おうとしていた時、ロビーで話していたみのりちゃんと汐音ちゃんの会話が聞こえてきた。

 内容は『汐音ちゃん、悪いけどわたし、はやぶさ君と別行動するからカラオケに行けない』『ほんと⁉ じゃあわたし、ひとりで五人を相手にしないといけないじゃない。

 みずほちゃんはもう出ちゃったし、なんとかマロンちゃんを連れ出さないと。でもマロンちゃんにはまだ本当の事が言えないから、なんて言って誘いだそうか』というやり取り。

 晏那ちゃんがたまたま聞いた会話の内容と、月那ちゃんの目撃情報を総合して導き出した予測に、月那ちゃんはかなりの自信を持っている。

 「ゆえに受験合宿の名目で宿泊している高校生だか浪人生は、実はファイヴ・カラーズ本人たちである、って結論に月那は達したわけね。

 でもさ、話題になっているワイキキ・ビーチのファイヴ・カラーズはどうなのよ。あれは影模写?」

 「《影武者》って言うんじゃないっけ。

 どっちでもいいけど、あの動画を見る限り、わたしはハワイの彼らをファイヴ・カラーズとは認めません!

 プライベート・ビーチだから一般ビーチとは隔離されていても、もし本人たちだったらマスコミやファンが騒いでいるのに知らん顔してるわけない。少なくともファンに手くらいは振ってくれるはずよ」

 月那ちゃんの筋の通った言い分に、晏那ちゃんも幾分同調する気になってきた。

 「確かにそうね。でも事務所は否定も肯定もしてないよ」

 「そりゃそうだよ。だって勝手に騒いでくれてたら、本物探しは始まらないからね。

 それにうちの家族と汐音ちゃんたちが、たまたま同じ日の同じ旅館に泊まってるのは、かなり稀な一致だけど偶然の範疇に入る。

 でもそれにファイヴ・カラーズのマネージャーまで居て、そこにメンバーと思われる男の子五人がくっついて来ている。

 この広い宇宙の一点に二家族プラス一事務所の人々が、一時に集まることが偶然である確率は限りなくゼロに近いと考えるべきよ。

 これはきっと親しい間柄の人たちを集めて、親睦を深めるためのイベントが企画されているはずよ!」

 この月那ちゃんの仮説を聞きながら、晏那ちゃんは『(月那とみずほ姉ちゃんは理論派の母、わたしとはやぶさ兄ちゃんは成り行きにまかせる父の性格を受け継いでるのよね、きっと)』と漠然と考えていた。

 「でも、じゃあなんでわたしたちやマロンちゃんには秘密にしているの? はやぶさ兄ちゃんも知ってる感じじゃなかったし」

 「それはわたしたち姉妹や、特にマロンちゃんの知るところとなると大騒ぎするでしょ。 一日二日はメンバーを誰からも隔離して、しっかり休ませたかったからじゃない?

 はやぶさ兄ちゃんは知っていようがいまいが興味ないだろうから伝えてないだけよ」

 「じゃあさ、そのイベントとやらはいつあるのよ」

 「それは今夜の合同お食事会だよ。わたしたちだけのために、ファイヴ・カラーズがワンマンショーを開いてくれると思う」

 「そうかなあ。むしろメンバー達はゆっくりくつろがせて、お父さんやマネージャーさんや汐音ちゃんたちのカラオケを聞かされるんじゃないの」

 一瞬、間があって月那ちゃんが何か言おうと口を開いたが、適格な反論が思いつかなかったらしく、三秒ほど開けっ放しだった口を閉じた。

 その表情を見て晏那ちゃんは笑いそうになったが、なんとか抑えた。

 理屈は立て板に水の勢いで繰り出す月那ちゃんだが、相手のなにげない反論に対し、意外と簡単に屈することがよくある。

 でも今日の論理展開は、ワンマンショー以外の点でだいたい当っているのではと、晏那ちゃんも同意するのにやぶさかではない。

 「ほら、早く下りてかないと間に合わないよ。そろそろ向こうも出発する時間だから」

 草の上で体育座りしている晏那ちゃんを急かして、けもの道のようなハイキング道をふたりは駆け出した。



 カラオケ組とは別行動をとっている、みのりちゃんとはやぶさ君は……


 「二礼四拍手一礼がここの決まりよ。まずお賽銭を入れるの」

 「あ、はい。お賽銭っていくら入れるの」

 「気持ちでいいのよ。『気持ち』って入れるマネだけって言う意味じゃないからね。

 『ご縁があるように五円玉』や、誕生日にかけた額、例えば三月三日生まれなら三十三円とか、自分が思いを込めやすい数字分のお賽銭を入れてお参りするの」

 「ふーん。じゃあ小銭入れに入っている一円玉と五円玉を全部入れよう。邪魔になってたから丁度いいや」

 「いや、そうじゃなくて、ちゃんと心を込めて奉納しないとむしろ神様に失礼よ。

 ワンコインにしときなさい、ワンコインに」

 「一円玉や五円玉一枚じゃ神さま嬉しくないでしょ」

 「ワンコインっつったら普通五百円玉でしょうが」

 そう言いながらみのりちゃんが、はやぶさ君の小銭フォルダーから五百円玉を抜き取って彼の掌に握らせた。

 「ほら、まずお賽銭箱に投げ入れる。

 次に礼を二回、拍手を四回、最後にお礼を一回。

 はい、良くできました」


 ご本殿から各社殿を一通りまわって参拝は一応終わり。甘味処で一息ついて帰ることにした。


 「で、何をお願いしたの?」

 「お願い? いや、特になにも」

 「は⁉ なんにも祈願してないの?」

 「て言うか、どのタイミングで祈願するんだよ」

 「二礼四拍手一礼だから、最後の一礼で深く頭を下げた時にお願いするのが普通でしょう」

 「そうなの? 紙に願い事を書いてご神木に結び付けるとか、神さまポストみたいなのがあってそこに入れるのかと思ってた」

 「じゃあお参りしてた時は何を考えてたのよ」

 「いや、ただ神さまにご挨拶してるのかなと思ってた」

 「ったくもうっ!

 ほら、そのあんみつ、早く食べてしまいなさい。も一回参拝するから。今度はちゃんと祈願するのよ」

 「ね、みのりちゃん、ここの神さまって縁結びの神さまだよね」

 「出雲大社と言えば縁結びよ」

 「ねえ、わざわざここに二人で来たのはもしかして……」

 「もしかしてなによ」

 「遠回しのプロポーズとかじゃない?」

 「君ねえ、ほんっとにおめでたいCPUの持ち主だね。

 あのね、この出雲大社はカップルの縁結びだけじゃなくて、出会うすべての人たちと良き縁を結んでくれる神様なの。

 はやぶさ君はこれから世界を相手に歌で勝負していくんでしょ。あなたの歌声を聴いた全ての人たちと縁が結んでいけますようにってお願いするのよ。

 きっと天上界にも衛星向けのマイクロ波が届いているだろうから、電波に乗ったあなたの歌をここの神様も聴いているはずよ。

 だからしっかり思いを込めてお願いするの!」

 「へー、そうだったんだ。出雲大社の神さまって優しいんだね。

 じゃあ次は歌で縁が繋がっていくことを念頭に祈願します。

 ところで、みのりちゃんは何をお願いしたの?」

 「わたし? わたしはあれよ。世界が平和でありますようによ」

 「なんかフツーだね。特定の誰かとの良縁成就祈願はしなかったの?」

 「してないわよ。していても言いません。そもそも特定の人がいないし、いてもいるとは言いません」

 「否定しているのかいないのかよくわかんない答えだけど、早いとこ再参拝して帰ろうよ」


 再参拝でははやぶさ君が先に立って、きっちり二礼四拍手一礼を行った。

 最後の一礼は、毎回何かぶつぶつ言いながら、長めに頭を下げている。

 『(お願いは口に出さなくてもいいのに)』とみのりちゃんは思ったが、彼らしい素直さと受けとった。


 帰りの列車でみのりちゃんは、はやぶさ君があんみつを食べながら『遠回しのプロポーズとかじゃない?』と言った時、強い口調でそのノーテンキぶりをバカにしたような対処をしてしまったが、そんな風に返されたはやぶさ君の照れ笑いの中に、少しだけ寂しそうな表情が混じっているように感じたのを思い出していた。

 『(ちょっと言い方がまずかったかな。なんでこの子にはいつも強くあたってしまうんだろう)』と、隣の席で本気寝しているはやぶさ君の、心を傷つけたかもしれない自分の言葉を後悔していた。



 一方、双子姉妹は、けもの道を下りきって車道の合流点に達したところだった。


 「はあ はあ はあ はあ 間に合ったか?」

 「十分もかかってないから はあ 大丈夫だよ はあ はあ。

 月那さあ、普段はゆっくり系だけど、こんな時は足が速いよね。しかもこんなオフロードなのに」

 「通常は省エネモードだけど、いざとなったら力を発揮するタイプなんです。

 さ、ほら、旗を組み立てないと。急いでいそいで」

 ふたりがリュックから取り出したのは、組み立て式の《止まれ》と書かれた赤い旗。百均のおもしろグッズコーナーで見つけたものらしい。

 ちょうど組み立て終わったところで、二百メートル先のカーブを曲がって、見覚えのある、旅館の駐車場の隅っこに停めてあったワンボックスカーがこちらに向かって来るのに気付いた。

 「来たよ晏那! そっち側の車線をふさいで旗を振って! わたしはこっち」


 「なんだありゃ。工事中か? それとも故障かな」

 運転手役の社長が速度を緩めて二人の二十メートルほど手前で停車した。

 「どうしたの、社長さん」

 見ていた携帯画面から顔を上げて汐音がフロント・ウィンドを覗いた。

 なんと御茶水双子姉妹が道路封鎖のように旗を振る仕草をしてこっちへ歩いてくる。

 「なんであの子たちがいるの? マロンちゃん連絡した?」

 「わたししてないよ。ずっと五人と話してたから携帯さわってない」

 「えーどうしよう。ファイヴ・カラーズのこと、バレたのかな。

 瑤子さんにはマロンちゃんだけ誘ってって言われたけど、あの子たちは両親とハイキングに行ったからまだメンバーのことは知らないはず。

 御茶水夫妻が口を滑らすとは考えられないから、ファイヴ・カラーズが宿泊していると信じるに足る情報を収集して推測し、両親と別れてわたしたちを待ち伏せしていたのよ、きっと」

 「どうしようか。このまま突っ切って進むわけにもいかないし」

 「わたしが話しをするから社長さんは旅館の人っぽく装ってください。

 マロンちゃんは寝たふり。後ろは隠れてかくれて!」

 晏那ちゃん・月那ちゃん姉妹は車のすぐ直前まで迫っていた。


 汐音が窓を開けて白々しくなり過ぎないようふたりに話しかけた。

 「晏那ちゃんと月那ちゃんじゃない。どうしたの? ハイキングは?」

 「用事があるからって引き返してきたの。汐音ちゃんはどこ行くの?」

 「わたし? わたしはマロンちゃんとカラオケでも行こうかなと思って」

 「ふたりで行くにしては車が大きいよね」

 「旅館の人に頼んだらこれしかなかったんだよ。ね、運転手さん」

 「はいです」

 「国分さん、どこのカラオケ店に行くんですか」

 「この先の信号を左折して少し行くとカラオケボックスがあるらしいからそこに。

 あ」

 「ね、やっぱりマネージャーの国分さんだった! わたしの目、確かでしょ」

 とドヤ顔の月那ちゃんが晏那ちゃんに向かって言った。

 女子中生の簡単なひっかけにかかって、国分社長兼マネージャーはハンドルに突っ伏している。

 「ね、わたしたちも連れて行ってよ。そんな騒がないし、ファイヴ・カラーズと一緒に居られるだけで嬉しいの」

 晏那ちゃんの素直な気持ちの言葉を聞いて、リーダーの速斗が隠れていた後部座席から顔を出して言った。

 「一緒に連れていってあげようよ。今さらこそこそ隠れたりしても、どうせ夜は一緒に食事会に出るんだから、もう情報公開してもいいでしょ。ね、社長」

 「俺はかまわないよ。今あの旅館に泊まっているのは全員が顔見知りだから、秘密にしておく必要性はない。

 そもそも俺も今朝まで、旅館があんな状況になっていたとは知らなかったし」

 と、国分社長は若干ふてくされ気味だ。

 「あの社長さん、コクブさんって言うんだ。知らなかった。

 ねえマロンちゃん、もう寝たふりしなくてもいいよ。なんか話がついちゃったみたい。

 それはそうと御茶水先生たちは知ってるの、ふたりがカラオケに行くこと」

 「いや、月那がお腹が痛くなって旅館に帰ったことになっている」

 「だったらカラオケについて来ているってちゃんと連絡しとかないと、お父さんたちが心配するよ」

 「うん。でも……」

 晏那ちゃんと月那ちゃんがもじもじしながら顔を見合わせた。

 「でも仮病だったとは言いづらいよね。じゃあわたしが少ししたら連絡してあげるよ。

 旅館に帰ってきたらすっかり治ったんでカラオケに誘われたことにすればいいから、ね!」

 「わーありがとう汐音ちゃんだいすきっ!♡」

 車の窓越しに月那ちゃんが汐音の首に抱き着いた。

 「わかったわかった。早くふたりとも車に乗って」

 隠れていたメンバーもそれぞれ起き上がって、新参者の女子中生ふたりに『よっ!』とか『久しぶりだね』と声をかけた。

 先頭の助手席に乗り込んだふたりは振り向いて、メンバーたちにあどけない笑顔を振りまいている。

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