第二十一章 混浴風呂の遭遇

 露天風呂。


 「誰も来ないね。女の子でもいいから、誰か来たらお話しができるのに」

 「もう一時過ぎてるからみんな寝ちゃってるよ。もう上がろう」

 「あーあ、せっかくビキニ着たのに、夏まで出番なしかー。もったいないよねー」

 「なにがもったいないの? また洗って使えるじゃん」

 「違うの。宿泊客の人たちがわたしのビキニ姿を見られずじまいでもったいない」

 「はいはい。わたしが見て上げてたからそれで大満足でしょ。さ、上がろ上がろ」

 そう言いながら、みのりちゃんが上がり場で掛け湯をしようとした時、男性の脱衣場から声が聞えてきた。

 みのりちゃんは反射的に浴槽に戻って、汐音の手を引っ張って男性入り口から最も離れた浴槽に再び入り、首まで浸かって出来る限り気配を消そうとした。

 汐音にも同じようにするようジェスチャーで知らせている。


 「あのお、どなたか入っていらっしゃいますか」

 若い男性の声だ。みのりちゃんは口に指を立てて何も答えないよう汐音に合図している。

 「誰かいるような気がしたんだけどな」

 「大丈夫だって。誰も入っていそうにない時間を見計らってきたんだから」

 「誰もいないなら素っ裸でいいんじゃない」

 「そりゃまずいよ、女の人が入ってきたらどうすんの」

 何人いるかわからないが、このまま返事をしないと図らずも男性ヌードを観せられる事態になりそうだ。

 「ほら、みのりちゃんって。何か言わないと出られなくなっちゃうよ。下手すると痴漢と間違われるかも」

 「もう、なんでこっちに戻ってきたんだろう。脱衣場に入れば良かったのに。しょうがないなあ」

 みのりちゃんが意を決して声を上げた。

 「いますよー。女子が二人入っています!」

 「……」

 なぜか男性客たちは絶句しているようだ。健全な男子なら勇んで浴場に飛び込んでくるはずなのに。

 みのりちゃんも汐音も聴力をマックス値に上げて、男の子たちの会話に聞き耳を立てている。

 「まずいんじゃない? 中は明るくないけど輪郭や声でわかるかもしれない」

 「でも今夜入っとかないと、結局温泉らしい温泉に入らないで帰ることになる」

 「多分、警戒して二人ともこちらには近づいてこないだろうから、自分たちも彼女たちのいる浴槽の反対側に固まっていればいいんじゃない」

 「どうする? リーダー」

 リーダーと呼ばれた男性が少し考えて決断を下した。

 「じゃあ取りあえず海パンに着替えよう」

 そして風呂にいる女性たちに向って言った。

 「あの、男五人です。水着は当然ですが、上半身は新品のTシャツを着用するので、極力不快感を与えないようにします。入ってもよろしいですか?」

 「え⁉ とっても紳士的じゃない。ねえみのりちゃん」

 「そうねえ。言葉も信頼できそうだし、とりあえずオーケーしてもいいか」

 「そうよ。いざとなればみのりちゃんの空手が炸裂するぞって、牽制すればいいし」

 「だから、わたしの空手は役に立たない空手形だって」

 「うまいうまい、型だけに空手形(型)なんだね」

 「誰に解説してんのよ。もういいわ」

 みのりちゃんも決心がついたらしい。

 「わかりました、どうぞお入りになって!」

 みのりちゃんの許可を得ると、男の子たちは代わるがわる掛け湯場で湯を浴びて浴槽に入って来た。


汐音たちも男の子たちも互いに背を向けて、それぞれ何もしゃべらずじっと浴槽にしゃがんだままでいる。

 そのうち男の子たちの何人かは湯船から出て、端っこの岩に腰かけ夜風にあたったり、星空を見上げつつ佇んでいる。

 汐音とみのりちゃんも気にはなるので時々チラ見をしているが、角度的に男の子たちの顔までは確認ができない。



 そのまま三十分が過ぎた頃、一人の男の子が

 「じゃ俺、先に上がって部屋でゲームの続きやってるから」

 と言って湯船から上がり、掛け湯場に向って歩き出した。

 掛け湯場は男女それぞれの脱衣場出入り口近くに設置されており、浴槽から男性脱衣場前の掛け湯場へ行くには、必然的に汐音たちの居る方向に向けて何歩か歩かなければならない。

 たまたまその男の子を見ていた汐音が勢いよく湯船から飛び出して、掛け湯を始めた男の子目掛けて早足で向っていった。

 みのりちゃんは訳がわからずただ汐音を目で追っているだけ。

 掛け湯をしている男の子以外の男子たちも、ビキニスタイルの女子がびちゃびちゃと勢いよく足音をたてて歩いていく様の成り行きを見ている。

 汐音がその件の男の子の横に立ち、自分の両腰に拳を当て

 「速斗くん、こんなとこで何やってんのっ⁉」

 いきなり詰問をくらったそのハヤトくん。一瞬ノッペラボウのように無表情となった。が、次の瞬間、驚愕の表情へと豹変した。

 「し……汐音ちゃんなんでここにおるん?」

 「わたしが訊いてるんです! 君さ、こんな混浴風呂に興味があるわけ?」

 「いや、あの、混浴には興味がないことはないけど、露天風呂に入りたかったから来たの」

 「だいたいさ、君がこんな山奥にいること自体、おかしいでしょ」

 「いま一週間の休暇中で、温泉に来てるんだよ」

 「わたしの知らないうちに悪い友達とつるんで遊びまわってるんじゃないの?」

 そう言って汐音は、あっけに取られて二人のやり取りを、周りで傍観しているほかの男の子たち一人ずつ睨みつけようとして、正面左に立っている一人目の子に鋭い視線を投げた。

 『(あれ? この子、知ってる)』と彼女のCPUの記憶領域が情報を検索し始めた。

 隣の子に視線を移すとやはり見たことのある顔である。

 反対側で呆然としている子、その隣でまだ事態が把握できていない子、全員見覚えがあるし話したこともある子たちだ。

 数百万分の一秒後、汐音の記憶の検索結果と視覚情報が一致した。

 「ファイヴ・カラーズだ…… なんで? どーして?」

 「だからさ、休みがとれたのでみんなで温泉旅行に来てるんだって」

 ファイヴ・カラーズで黄色担当の速斗が、さっき汐音に言ったことを繰り返している。

 浴槽の中で事態を分析していたみのりちゃんがゆっくり近づいてきて状況をまとめた。

 「つまり偶然、わたしたちの家族旅行とファイヴ・カラーズの事務所旅行が重なったって事?」

 「僕たちがここに来ることは超超超極秘事項なんです。僕たちの家族すらも知らない。

 なのにどうして……」

 そう呟いたのはファイヴ・カラーズでリーダーを務める赤色担当の都斗。

 その呟きが耳に入ったみのりちゃんが気色ばんで

 「言っとくけど、あなたたちを追っかけてきた訳じゃないですからね。

 ここの女将さんに訊けばわかるけど、この旅館を見つけて予約したのは、時間系列的にわたしたちの方が早かったんだから」

 みのりは相手が誰であろうと、たとえば画面に映ると泣く子も喜ぶ超人気アイドルであっても、自分が正しいと確信すれば議論では一歩も引かない。

 「あ、いやいや、別にそんな疑ってなんていません。

 あの、みのりちゃんでしたよね。それと汐音ちゃん。東京ではお世話になりました。今さらですがお久しぶりです」

 みのりちゃんはちょっと言い過ぎたと感じたのか、珍しく恐縮したような表情をしている。

 「ああ。あの、お久しぶりです。こちらこそ東京ではお世話になりました。

 すみません。ちょっと言葉がきつかったかもしれません。まさかのあり得ない展開だったからちょっと興奮しちゃった」

 「いいんです。自分たちも吃驚で、こんな奇跡みたいなことって実際に起こるんだと思ってる。予期せぬ再会でまさに『感激』ですよね」

 汐音はようやく状況が理解できたが、強い態度で出すぎたため素直になれず、バツの悪そうな表情で突っ立っている。

 「ところでさ、汐音ちゃんはなんで混浴風呂なんかに入りに来たの?」

 速斗からソフトに逆襲されている。

 「ただの興味本位です! それに露天風呂で大星夜を見上げたかったから」

 「ふーん、そうなんだ。それにしてもビキニ着て、気合入ってるね」

 「そうそう、ちょっと寒くなったから、みんなお風呂に浸かろうよ」

 ちょうど吹いてきた冷たい風に助けられ、汐音が速斗のツッコミをうまくかわしてみんなを湯船の中に誘導した。


 「じゃあ月曜日に着いて、その日と火曜の夜までずーっと寝てたの?」

 汐音が信じられないと言う口ぶりで訊ねた。

 「そう。アンドロイドだから寝ないでも大丈夫なんですよねってファンから言われるし、自分たちでもそうだよって答えてるけど、でも一週間のうちにトータルで一日分くらいはCPUの思考回路を完全休止状態に置きたい。

 だから今回の休暇の主な目的は、できる限り多めに寝溜めすること。その点に関しては目的を達成できた。

 これで年末年始はまた思いっきり活動できそう」

 緑色担当の鳴斗が旅館に着いてからの二日間の経過を語った。

 「え⁉ じゃあ着いて二日間は一歩も部屋を出ていないの? 旅館の外にも?」

 今度はみのりちゃんが呆れたような口調で問い質した。

 「そう。ただただ寝てただけ」

 「社長さんも一緒でしょ。彼は人間だからずっと寝てるわけにもいかないし、何してたの?」

 「あの人はゲーマーだからゲーム機と動画サイトを見てれば何日でも過ごせるらしいよ」

 紫色担当の博斗が、ちょっとオタクをいじるような口調で社長兼マネージャーの生態を紹介した。

 「そうだとしても、人間だから何か食べたり飲んだりしなきゃならないでしょ。

 そう言えば、あなたたちの泊まっている《勝負の間》に、一度も仲居さんが出入りしているのを見てないわ。

 あ、今わかったけど、表向きは受験勉強の合宿で来ているから《勝負の間》に入れてもらったんだね」

 「《菖蒲の間》だよ、汐音ちゃん」

 みのりちゃんが《菖蒲》と表示した携帯の画面を汐音に示して小声で訂正した。

 「実はあの部屋には秘密の階段があって、そこから自由に屋外への出入りができるようになってるんだよ」

 ファイヴ・カラーズが入っている菖蒲の間。実は数年前までVIP専用の宿泊施設だったらしい。

 今は本館と繋がっているが、以前は完全に別棟で、川に挟まれた中洲の森の中に建つ独立した棟という立地条件が警備に適していたため、VIP御用達となっていたのだ。

 その名残りとして今も利用されている、当時はVIPとSP以外しか使えなかった秘密階段を使って、階下に停めている車で社長兼マネージャー氏は、コンビニやスーパーに買い出しに出かけているとのこと。

 「そうだったんだ。仲居さんの出入りもだけど、学生の研修旅行なのに研修生や引率の先生の姿をまったく目撃しなかったのも不自然だとは思っていたの」

 みのりちゃんも奥の部屋の団体宿泊客にはちょっと不審感を持っていたらしい。

 「じゃあ昨日の夕飯はどうしたの? 二日近く寝てたからお腹がぺこぺこだったでしょう。

 社長さんにコンビニ弁当を買ってきてもらったの? それとも何かエネルギー変換できるもの?」

 「いや、社長の運転でみんな揃ってコンビニに買い出しに行った」

 「みんなで⁉ あなたたち五人揃って買い物に出かけたの? よく気付かれなかったわね!」

 みのりちゃんが信じられないといった意味を込めて、ファイヴ・カラーズの五人それぞれの表情を順に見ていった。するとリーダーが

 「自分たちもどうなるかわからなかったし、特に社長は気が気じゃなかったと思う。

 でもその社長も含めて『多分正体はバレないだろう』という妙な確信もあった」

 どんな変装をして行ったのか汐音が興味を持って訊ねた。

 「ね、どんな格好で出かけたの? 帽子を深くかぶるくらいじゃ勘のいい人には見破られちゃうでしょ。わたしだったら絶対にわかると思う」

 「特に何も細工してないよ。起きたままだったから寝癖があっちこっち向いてたし、社長も自分たちも赤地に白二本線の同じジャージ姿だったから、まさか芸能関係の一団とは誰も思わなかったと思う。

 そもそも店内には立ち読み中の男性客と、弁当の製造日時を一つずつ丹念に調べている女性客、それに外国人の男性店員さんひとりの三人だけで、誰もこっちに関心を示さなかった。

 勘の鋭い汐音ちゃんでも見分けるのは困難だっただろうね」

 「SNSではワイキキ・ビーチでファイヴ・カラーズのメンバーを目撃したって情報が飛び交っているらしいよ。ほら」

 みのりちゃんが防水対応のモバイル画面を汐音とメンバー達に見せた。

 「自分たち、どこか特定の場所へ行くとは一言も言ってないのに、一部のマスコミ情報を信じ込んでハワイに向かったファンもいるらしいから、どうしようもないけど責任感じる」

 「それは仕方ないよ。有名人なら誰でもついてまわるデマ情報やフェイクニュースが無くなることはないから、それに惑わされないようなしっかりした調査力と判断力を、ファンもデマの対象になる人物も培わないと」

 みのりちゃんの意見を聞いてメンバー達も頷いている。

 今ここにいるアンドロイドたちは、年齢設定が皆だいたい同じで、世代的にはファイヴ・カラーズのメンバーがプロトタイプで誕生した第一世代となるが、その後の世代に当るみのりちゃんがこの場ではもっともお姉さん的存在となっているのは、誰にとっても明らかだ。


 ちょっと雰囲気が重くなったところで汐音がメンバーに訊いた。

 「ね、あさってまで居るんだよね。明日は何するの?」

 「明日? 明日は今のところ自由行動の日になっている」

 と速斗が答えた。

 「どこかへ観光に行く予定があるの?」

 今度は北斗が

 「いや、別に。さすがに昼間、五人揃ってぞろぞろ観光地を巡るのはいくらなんでも……」

 終わりまで言わずとも判るだろうと汐音に微笑む。

 「だったらさ、カラオケ行かない? カラオケボックスなら密室でほかの人と出会う機会が少ないし、どうせ他に行くとこないんだったら、せめて歌って騒ぐくらい良いんじゃない。ね、みのりちゃん!」

 「わ、わたしに振るの⁉ ま、まあいいんじゃない。

 でも大丈夫? カラオケボックスなんかだと、ファイヴ・カラーズのポスターがたくさん貼ってあるから面が割れるよ」

 すると汐音が

 「わざと寝癖をつけて、さらにダサいジャージ姿だったら絶対わからないって、ねえリーダー」

 「ええ? ああ、そう かも ね」

 「わたしたちはどうするのよ。まさか同じように寝癖と赤ジャージ着ていくの?」

 「みのりちゃんとわたしは部活の女子マネ役でいいじゃない。ちょっとフォーマルっぽくしてさ」

 「社長に訊いてみないとわからないけど、多分、連れて行ってくれると思うよ。

 それに休み明けから歌の仕事が入っているので、ちょっと声出ししとかないと不安もあるし。

 北斗も鳴斗も速斗も博斗も明日はカラオケでいいかい?」

 都斗以外のメンバーが両手で頭の上に大きな〇を作っている。つまり全員賛成。

 「じゃあ、そうと決まったらそろそろ上がりましょう。もう三時近いわよ」

 みのりが混浴ミーティングの打ち切りを宣言した。

 「ほんとだ! 明日は午前十時出発でいいかな」

 「了解です。みのりちゃんもオーケーよね」

 「オーケーです」

 「じゃあ、もう数時間後だけどまた明日」

 そう言って都斗たちは手を振って男子の洗い湯場の方に歩き出した。


 「あ、ちょっと、都斗くん!」

 みのりちゃんが都斗を呼び止めた。戻ってきた都斗にみのりちゃんが確認の質問をした。

 「ねえ、今夜わたしと汐音ちゃんとがファイヴ・カラーズに会ったことを、わたしたちの親には言わない方がいいよね」

 都斗は少し考えて答えた。

 「うん、できればまだ秘密にしておいてくれた方がいいかも。

 明後日、それぞれが帰路についてから話題にするのはいいけど。今の時点では一応極秘旅行だから。

 それと、うちの社長にはみのりちゃんたちが来ていることを言っといていいよね。明日、カラオケに行く時は社長に運転してもらわなきゃならないから」

 「いいです。でも同じ宿に泊まっているのは単なる偶然だってことをしっかりと伝えといてね! けっして後を追ってきたんじゃないって。

 じゃあ湯冷めしないように、おやすみなさい」

 「おやすみなさい」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る