第二十章 偶然です!

 「ウィーーーーン」と玄関から自動ドアの開く音が聞えた。続いて

 「こんばんはー」

 と男性の声がした。

 こんな時間にチェックイン客か、と思いつつゲーム画面からは目がはずせない。

 目は正面を、左耳はエントランス方面に聴域を向けつつ、打った球数のカウントを間違わないように気をつけた。

 フロントでは奥から夜番の従業員が出てきて応対をしている。

 「桔梗の間にご宿泊のお客様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました。

 どうぞお履き物を脱がれてお上がりください。お部屋の方へご案内いたします」

 どうやら同宿のもう一家族の連れらしい。

 「ああ、ありがとうございます。すいません遅くなっちゃって」

 「いいええ、お客様こそお疲れになられたでしょう。どうかごゆっくりお寛ぎくださいまし。お風呂はいつでもお好きな時にお入りになれますから」

 耳に入ってくるやり取りに、聞いたことのある声だと私の記憶領域が反応した。

 そう感じたのとほぼ同時に、テレビを視ていた女の子が、今入ってきた男性に向って駆け出して行った。

 「はやぶさくんっ!」

 「あ、え⁉ マロンちゃん! なんでここにいるの?」

 「成り行きで付いてくることになったんです」

 「成り行き? まあマロンちゃんは家族同然だから居ても当然って感じだけど……

 ほかに何か予定があったのに無理やり連れてこられたとか」

 「ええまあ…… 今となってはこっちも楽しいから結果オーライだけど」

 「ふーん、そうだったんだ。でもまあ、取りあえず部屋に行こうよ」

 「あ、ちょっと待って。コーヒー牛乳を置いたままだから取ってきます。テレビも切っとかないと」

 とマロンちゃんがこちらに戻ってこようとして、私が二人の様子を窺っているのに彼女が気づいた。

 「ね、はやぶさ君、変な人がこっちを見てる。一緒にきて」

 「変な人?」

 そう言ってこちらを見たはやぶさ君と私の目がばっちり合った。

 「藤村さん! 藤村さんですよね」

 「はやぶさ君、どうしたの? なんでここに? それにマロンちゃんも」

 「ああっ! 汐音ちゃんのお父さんじゃないですか! まさかマロンを追っかけてきたんじゃないですよね」

 「んなばかな! もしかして私たちと同宿のもう一家族は御茶水氏一家?」

 「じゃあ偶然、同じ日に同じ宿をとってたってことなんでしょうか。ぼくもいま着いたばかりなので、まったく事情がわかりません。マロンちゃん、何か知ってるの?」

 「わたしも藤村さんが来てるなんて今初めて知りました。じゃあ汐音ちゃんも一緒ですか?」

 「汐音も一緒だし、町田さんとみのりちゃんもいるよ」

 「え? と言うことは汐音ちゃんのお父さんとみのりちゃんのお母さんって、もしかして……」

 「いや、まあその辺の事情は話すと長くなるから後にして、部屋に帰ろうかえろう」

 ゲーム機に戻るとすでに『GAME OVER』の表示が出ていた。

 私はコントロールパネルの上に置きっぱなしにしていた小銭入れを回収、マロンちゃんはリモコンでテレビの電源を切り、残りのコーヒー牛乳を飲み干して、三人は一階の共有スペースを後にした。



 「私たちはここに泊まっているよ」

 《伽羅の間》と札がかかった襖の前で立ち止まった。町田さんがいるはずなので、サプライズゲストを紹介しておこう。

 「ちょっとここで待っていて。呼ぶからそしたら中に入って来てね」

 そう言って二人を残し、襖を明けて中のガラス引き戸を軽くノックした。

 「私です。開けてもいいですか」

 「……」

 返事がない。

 「町田さん、居ます?」

 やはり反応がないので少し戸を開いて覗いてみると、町田さんはビール缶二本をコタツの上に置いたまま、座椅子から首を横にはみ出させて眠っている。

 旅館側で最初から冷蔵庫に用意していた地ビールを風呂上りに呑んだらしい。 

 アルコール度数が八度と比較的高いので、お酒にはそんなに強くない町田さんには、風呂上りでもあり効果てきめんだったのだろう。二本目はほとんど口付かずで残ったままだ。

 「町田さん、町田さん。ほら、こんなところで寝てると湯冷めしますよ。もっと深くコタツに入らないと」

 「あら、藤村さん。遅かったわね。わたし待ちきれずに一人で乾杯してました。さあ呑みなおしましょう」

 そう言って起き上がろうとするが、うまく座椅子に腰かけられない。

 仕方ないので彼女の両脇の下を抱えて引っ張り上げた。

 「あの、町田さん、ちょっとびっくりさせたいんだけど、意識ははっきりしてます?」

 「あたし? あたしはぜんぜん平気! ちょっとくらいじゃびっくりしません」

 外の二人が見える位置に私が体をずらして合図したので、はやぶさ君とマロンちゃんが部屋に入ってきた。

 「あら、はやぶさ君じゃない。それとマリンちゃん。こんばんは。どうしたのこんな遅くに。新婚旅行?」

 「あ、いや、ただの旅行です。結婚はまだ誰ともしてません。こっちはマリンじゃなくてマロンちゃんです。

 それと、こんばんは。お久しぶりですね。ご機嫌そうでなによりです」

 「そうなの。気分いいわあー。でもね、すごく眠たいから明日お話ししましょうね。

 おやすみ」

 言うだけ言って座椅子に深々と沈み込んだ。

 「ご覧の状態だから明日また改めて引き合わせようね。今のことはすっかり記憶に残ってないだろうから、今度は期待通りに奇遇を喜んでくれるよ」

 「みのりちゃんと汐音ちゃんは?」

 「あの不良少女たちは混浴露天風呂で不順異性交遊をしている最中」

 「混浴露天風呂⁉ そんなのあるんですか! 進んでますねーこの旅館」

 「はやぶさ君もやっぱオトコだよねー」

 そう言いながらマロンちゃんが鋭い横目線ではやぶさ君を射抜いた。


 宿泊客用の丹前を上からかけて、町田さんはそのまま寝かせておいて部屋を出、はやぶさ君たちと桔梗の間へ向かう。私だけでも御茶水一家にご挨拶しておこう。

 マロンちゃんが襖を開け、引き戸をノックして開くと御茶水氏がひとりで本を読んでいるところだった。

 「はやぶさ君が着いたよ」

 一応、御茶水氏とマロンちゃんは社長と従業員の関係だが、プライベートではタメ口らしい。

 御茶水氏は読んでいた本をテーブルの上に置き、眼鏡を外しながら

 「遅かったな。メシにする? 先に風呂に行くか」

 と訊ねた。彼ははやぶさ君と風呂に行くつもりだったので、ここへ到着してまだ温泉に入っていないらしい。

 「じゃあ先に軽くごはんを食べて、それから風呂に入る」

 「もう時間が遅いから、そのメニューに載っているものしか注文できないよ。何にする?」

 「えーっと、じゃあ唐揚げ定食」

 御茶水氏が受話器を取り上げてフロントを呼び出し、出前の注文をした。途中で送話口を押さえ

 「ビールは?」

 とはやぶさ君に訊くと

 「少しだけ呑もうかな」

 「それと瓶ビールを一本お願いします。コップは三つ」

 「えーわたしも呑まなきゃですかー」

 とマロンちゃんがかわい子ぶるが、当然の反応として誰もつっ込まない。

 「コップは四つにしてもらって」

 「四つ? 瑤子が風呂から戻ってきたの」

 「いや、実は知り合いの人と下でばったり会っちゃって……」

 そう言われて、私はバツが悪そうに入っていった。

 眼鏡をかけていないにも関わらず、私の顔は識別できたらしい。通常は御茶水氏の細い目が今は異常に真ん丸に見開かれている。

 「藤村さんっ! どうされたんですか!」

 「ども、こんばんは。あの、旅行で来てます」

 「わたしたちがここに泊まっているのは誰にも知られていないはずですが、一体どうやって調べたんです?」

 「いえ、別に探索して追っかけてきたわけじゃあないです……。

 それにこの旅館を見つけて予約したのは、私たちの方が先みたいです」

 「あ、そうでしたか。すみません。動揺して言っていることが支離滅裂になっている」

 御茶水氏がこんなに取り乱している姿を見るのはもちろん初めてだ。

 今や《アンドロイドの創造主》のひとりとして一般にも広く知られるような立場になったので、家族同伴の際は特に隠密行動をとっているのだろう。

 いつもの冷静さを取り戻して

 「どうぞここへお掛け下さい」

 と自分の向かいの安楽椅子を勧めてくれた」


 「それでは稀に見る奇遇を祝して乾杯っ!」

 と御茶水氏の音頭で四人がコップをそれぞれコツンコツンと合わせ、男性三人は一気に、マロンちゃんは三口ほどでビールを呑み干した。

 はやぶさ君は朝食以来の食事にようやくありつき、大好物の唐揚げを手掴みで骨までしゃぶりつくすように味わっている。指と口まわりは油でピカピカ。

 マロンちゃんははやぶさ君から、最近のニューヨークやハリウッドで話題のゴシップを聞き出そうと躍起だ。


 「宿泊予定はいつまでですか」

 御茶水氏が訊ねてきたので二泊三日と答えると

 「じゃあ私たちと一緒ですね。明日はご予定があるんですか」

 「いえ、特に予定は組んでいません。汐音とみのりちゃんがいることだし、それぞれ自由行動として過ごすことにしています」

 「そうですか。じゃあそれもわたしたちと同じですね。若者たちは年寄りと居たくないだろうし、それに我が家の若者は、マロンちゃんも含めてそれぞれ個性が強いから、スケジュールを組んでも予定通りにはまず進まない」

 「せっかく自由を求めて知らない地に来ているんだから、危険じゃない限り勝手にさせるのが一番なんでしょう」

 そう言うと御茶水氏が微笑んで

 「だんだん父親感覚が身についてきたみたいですね」

 と私の保護者熟練度を評価してくれた。

 「そう見えますか。肯定的に言えば自由放任主義、別の言い方をすれば単に気遣いが面倒くさくなっただけです。

 親が心配して気を掛けても、子は子でその時その時に最善の判断をして、大体の状況を切り抜けているのが最近ようやく見えてきました。

 親が乗りださなければならないような状況もいつかは来るでしょうが、まあ今のところは大丈夫そうです」

 「みのりちゃんとの交流も良い影響があるんじゃないですか」

 「それは大きいですね。汐音はご存知のように考えるより先に行動に出るタイプなんですが、最近はみのりちゃんを見習ってか、石橋を渡る前にしっかり叩いて安全を確かめた上で一歩を踏み出すようにしているみたいです。

 逆に石橋を叩き過ぎて叩き落してしまい、渡れなくなるほど安全対策に万全を期すみのりちゃんが、汐音から逆影響を受けて行動が少し大胆になってきている」

 「ほう。たとえば?」

 御茶水氏が興味を示したので、現在進行中の二人の行動を聞かせた。

 「この旅館の露天風呂は、零時を過ぎると混浴になるのをご存知ですか」

 「さっき、この旅館の入浴ガイドブックを読んで知りました。うちのみずほとマロンちゃんは興味を示さなかったのですが、中学生の双子はおとなになったらまた絶対に来るとか言ってました」

 「そうですか。汐音とみのりちゃんはいま現在、その混浴風呂に入浴中です」

 「あのみのりちゃんがですか! 汐音ちゃんならわかるけど…… あ、いや失礼。

 つまり、性格的にわたしの知っている限りのみのりちゃんなら絶対に混浴風呂なんて入らない」

 「もちろん水着着用が原則だから、その辺も考慮して汐音に付き合っていると思うんですけど、それにしても御茶水さんが言うように、初めて出会った頃のみのりちゃんからは考えられない行動ですよね」

 「確かに。でも人間でもそうですが、堅いだけじゃ社会は渡れないし、つまらない生き方しかできないかもしれない。

 だから汐音ちゃんとみのりちゃんは、それぞれに良い相乗効果をもたらしている関係なんでしょう」

 「そうだといいですね。親としては、娘が素晴らしい友と出逢えて本当に良かったと心から思います」

 「町田さんも多分、同じようにお感じになっていると思いますよ」


 「でもほら、あの人、若い頃に離婚経験があるんでしょ? こないだ昼ワイドで言ってたよ」

 「だからさ、それは本人が認めていないから本当のことはわからないよ。多分永久に真偽は判明しないし、そもそも一か月もすれば大衆はほかのゴシップに夢中になっている」

 「じゃあさ、じゃあさ、あの女優さんが駆け落ちした相手、アラブの元王室の大金持ちなんだって? アラブだけに油で大儲け、ちって」

 「もう勘弁してよマロンちゃん、ごはん食べ終わったし早くお風呂に入りたいし」

 「わかったわかった。またお風呂から戻ってきたら質問攻めにするからね」

 「はいはい。じゃあ待ってる間、この曲を聴いてみてよ。とっても気分良くなるから」

 「はあい。ん? なんかよく聞こえないよこのイヤホン。ボリューム上げてもだめ」

 「そりゃ耳の穴につっ込む方向が逆だからだよ。

 しっかり集中して聴くとこの曲の良さがわかるから」

 マロンちゃんはコタツに入って横になり、テレビを視ながらはやぶさ君から渡された音楽を聴き始めた。


 「実はあの曲、すごく催眠効果があって人間なら十分、アンドロイドでも二十分くらいで寝ちゃうんだ。

 風呂から上がってきて、またゴシップ話しをさせられたんじゃまいっちゃうし」

 まだ目がギンギンに覚めているマロンちゃんを残し、御茶水氏とはやぶさ君はお風呂に向った。

 私も自室に戻るため一緒に御茶水氏の部屋を後にする。

 私の部屋の襖を開けようとした時、御茶水氏が

 「どうですか、明日の夜、特にご予定がなければ二家族一緒に食事をしませんか。

 たしか宴会場もこの旅館にはあったから、そこを借りて旬の料理を用意してもらいましょう」

 「ぜひご一緒させてください。町田さんもきっと喜ぶでしょうし、汐音やみのりちゃんも、はやぶさ君やみずほちゃんやマロンちゃんたちと再会できて感激するはずです。

 もちろん双子ちゃんたちにも」

 「じゃあきまりですね。昼はそれぞれ自由行動で、夜は六時半集合でよろしいですか」

 「了解です。楽しみにしています。じゃあ親子水入らずでごゆっくりお湯を楽しんできてください」

 「ありがとうございます。では明日」

 「みのりちゃんと汐音ちゃんにもよろしく」

 そう言って御茶水父子は階段を下りて行った。

 家族旅行なら六人、マロンちゃんを入れて七人か。

 うちが四人だから、あわせて十一人ならそこそこの宴会になるだろう。

 御茶水一家の一人ひとりの顔を思い出してみるが、奥さんの顔だけ記憶にない。

 考えてみれば、御茶水氏の奥さんとは正式に挨拶を交わしたことがなかったのではないか。

 見かけたことくらいはあるかもしれないが、ちゃんとした会話はまだしていないはずだ。

 明日お会いした時に今さらながらのご挨拶をしておかなければ。


 部屋に戻ると、町田さんはまた座椅子からずり落ちていた。

 丹前だけ掛けなおして、あとは娘たちが戻ってくるまでそのままにしておくこととする。

 娘たちと言えば、もう一時間以上経つのにまだ混浴風呂でボーイハントをしているのだろうか。

 ったく不良娘どもめが!

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