第三章 アンドロイド・ラボと御茶水博士
アンドロイド・ラボは、繁華街から二筋ほど離れた道路に建ち並ぶ雑居ビル群のひとつに入っていた。三階までエレベーターで上がり、通路の奥の、いま歩いて来た道りに面した側に進んで行くとオフィスのドアがある。インターホンで来訪を告げると、事務職と思しき女性がドアを開け迎え入れてくれた。
「担当の者が参りますので、しばらくこちらでお待ちください」
と来客スペースに通される。
事務所は五〇平方メートルほどの床面積で、パーテンションによっていくつかのスペースに区切られた構成になっている。特に凝った装飾はなく、しかし整理整頓が行き届いた清潔感のある職場のようだ。
出されたお茶をすすっていると、昨日の番組に出演していた心理学者の男性が
「藤村さんでいらっしゃいますね。今日は急であったにも関わらず来ていただきありがとうございます」
と頭を下げながら入ってきた。昨日電話をかけてきたのもこの人だったらしい。
私も立ち上がり同じく頭を下げて
「あ、どうも」
と、いい歳をした社会人にしてはボキャブラリーが貧困と思われそうな挨拶をした。
「オサミズと申します。よろしくお願いします」
と差し出された名刺を受け取りその名前を見る。《御茶水博士》と印刷された文字を『(おちゃのみずはかせ?)』と頭の中で読んだ。
「おさみずひろしと読みます」
と、彼が私の心の内を読み取ったかのごとく、正確な読み方を教えてくれた。
「名刺を渡すとほとんどの方がまず怪訝な顔をされます。妙な人間に出くわしたのではないかと警戒するのでしょうね」
「あ、いやそんなことは……」
「笑っていただいて結構ですよ。まあ、親と名前を子どもは選べないですからね。でもこの名前のお陰で学究の徒になれたかもしれないですから」
番組出演時と同じ物腰のやわらかい喋り方は、こちらの緊張を和らげてくれるのにとても効果的だ。
「子供の頃はモノクロの鉄腕アトムをテレビで視た世代だから、親御さんが命名されたお気持ちも共感できます」
と私。
「自分も白黒アトムを見ました。再放送だったと思いますが、それでもほぼ同世代人ですね」
と言って彼が笑った。メガネの端のタレた目じりがさらに下がり、話し方同様、表情でもこちらを和ませてくれる。
「では実演の場所にご案内いたします」
「あ、説明会の参加者は私ひとりだけですか?」
「そうなんです。今回に限らず毎回一人から多い時で五人くらいでしょうか。
取り扱っているものが特殊で、またそれなりの価格もしますから、そんなに多くの方がお見えになることはまずありません」
新車の試乗会のような雰囲気を想像していたので少々拍子抜けした感じだが、言われてみれば、確かに大勢が集まるような製品ではないし、説明会応募のリンクもけっして目立つ位置ではなかったので、一字一句読み落とさないくらいの気持ちで見ないと気付かない。
であるなら、この説明会に参加した人は相当の購入意欲を持ってこの事務所を訪れたことになるだろう。
事務所を出る際、御茶水氏が私を迎えてくれた女性に声をかけている。
「笹木さん、業務用の携帯は置いていくので、緊急の要件は私用携帯に廻してください。ほかの電話は帰り次第、折り返し連絡すると先方に伝えておいてください」
「わかりました。帰りにコンビニでセロファンテープを買ってきてもらっていいですか」
「一個でいいの?」
「三つほど買っておいてください。それから今日は第二会場ですよね。じゃあついでに亀屋の鯛焼きも……」
「黒あんだったっけ?」
「白あんですっ!」
「あーはいはい。二つくらいでいいの?」
「できれば三つか四つ……」
呆れたという顔で御茶水氏がこちらを見たので私はつくり笑顔を返した。
御茶水氏の運転する車で会場に向かう。道すがら、昨日テレビで言っていたことを改めて詳しく聞かせてくれた。彼の解説は専門知識に疎くてもわかりやすい例を挙げて話してくれるのでとても助かる。
説明が一段落して会話が途切れたので私から質問をしてみた。
「今は何体くらいのアンドロイドが実際に人間と生活しているんですか」
「二十五体です。内わけは男性が八体、女性が十七体。実はこれからお邪魔する場所もその中の一体が生活しているご家庭なんです」
「え、そうなんですか⁉ 私はどこかのイベントホールで行われているとばかり思っていました」
「申し訳ありません。実演説明会では協力を得られたご家族の家に伺って、日常のアンドロイドがどのような生活をしているか、その様子を見てもらう機会にさせていただいております。
募集案内の中に個人宅訪問と表記するとご迷惑をかける恐れがあり、そのためどこかの大きなホールで実演を行うニュアンスをもたせているのです」
確かに個人情報はちょっとした不注意で漏れてしまう危険があるので、その点はアンドロイド・ラボがかなり気を使っているのも理解できる。小さな会社なのに企業コンプライアンスがしっかりしている点はとても感心した。
「御社の雰囲気もすてきですね。事務員さんとのやりとりを聞いていてとてもアットホームな感じがしました」
「実は」
と御茶水氏がちょっと言うのをためらうようなそぶりで切り出した。
「うちの事務を担当している笹木さんですが、アンドロイドなんですよ」
その発言を私の脳が処理できず数秒絶句していると
「イメージと全然違うでしょ?」
と彼がこちらの心中を察して言った。
「あの事務員さん……笹木さんは、あの、人間じゃないんですか? とてもそうには見えない」
「SF映画に出てくるような、もっとぎこちない動きをする無表情な機械人間の印象を漠然と持っていらっしゃったでしょう。でもご覧になった通り、人間となんら変わるところはありません。会話もまったく不自然じゃないでしょう」
「……いやー、驚きました! 想像をはるかに上回っています」
「動作や言葉の受け答えはもちろんですが、肌や毛髪も手触りや質感が人間のそれとほとんど変わりません。全く同じと言うわけではありませんが、通常の接触程度では違いはわかりません」
まだ驚嘆から完全に立ち直っていない私に御茶水氏が続けて
「これからもっと改良を加えていけば、列車や飛行機で隣に座っている人物が実はアンドロイドとは気付かなくなるくらい進化するでしょう」
と言った。
「今現在の笹木さんが街中を歩いていても、それと……アンドロイドと判る人はいないでしょう。これ以上進化したら人間との違いがほとんどなくなってしまうのではないですか?」
「そうなるかもしれないですね。私としてはそれが夢ですが」
「でも、いつか人間がアンドロイドに席巻されて、立場が逆転するなんてことになりゃしないですか」
「さあ、どうでしょう。未来のことはわかりません。でも私はうまく共存できる社会になると考えています」
と、メガネの奥の細い瞳は遠い将来を見ているようだ。
「その根拠は?」
「さっき『人間との違いがなくなってしまう』とおっしゃいましたね。まさしくその通りで、アンドロイドは自分を人間と同化するようになるでしょう。厳密に言えば人間とアンドロイドは同じ環境で共生する仲間と考えるようになるのです。仲間ですからお互いが助け合って生きていかなければならないし、どちらか一方だけ繁栄すれば他方は衰退してしまうことになる。そういう状況は双方にとって損失であり、協力しあうことで膨大な利益を生み出す。つまりアンドロイドは究極の《性善者》なのです」
「それはアンドロイドに性善者となるようなプログラムが組み込まれていると言うことですか」
「その通りです」
「しかし、昨日の番組と先ほども説明していただいた中で、空間の概念を認識させておく以外はアンドロイドが日々の生活で学習していくと言われましたよね」
「疑問に思われている事はわかります。この性善者プログラムは数少ない例外で、犯罪に手を染めたり、極端な支配欲を持たないようにするための、心の防波堤になる深層プログラムのひとつです。
新参者のアンドロイドが人間と共存する以上、あらかじめ最低限の規範を守るように設定しておかなければ社会に受け入れてもらえないでしょう。つまり性善者プログラムは、人間にとってアンドロイドが安全な存在であることを保証する、最重要の行動原理となるのです。
そしてこのプログラムを組み込んだことで、国の認可を受けることもできました」
「と言うことは国のお墨付きがあるんですね」
「そうですね。あまりお役人からとやかく言われたくないですが、販売の許認可をもらわなければならないので仕方ありません」
御茶水氏の話を聞いているうち、先ほどから感じていた疑念を思い切って訊ねてみた。
「先生、先生ももしかして……」
「先生はやめてください。名前で呼んでいただいて結構です。
いや、違いますよ。私は人間です」
と笑って答えてくれた。
「アンドロイドに運転免許証を交付するところまでは日本は進んでいません。自動車や船や飛行機も、人間と同じように教習を受ければ操縦することは可能ですが、それが認可されるのはまだまだ先のことでしょう」
アンドロイドの能力を充分に聞かされた後なので、自動車の運転くらい朝飯前だろう。朝飯……。そう言えば笹木さんが鯛焼きを買ってきてくれるようお願いしていた。
「食事も人間と同じように摂るんですね。笹木さんは鯛焼きがお好きなようですが……」
「食事を楽しむこともできます。人間の味覚にあたるセンサーが備わっていて、成分を分析し自分の好きな味であれば美味しく感じます。嫌いなものも当然あります」
アンドロイドが好き嫌い? 次から次に湧いてくる質問をどれから口にするか頭の整理をしていると
「さあ、着きましたよ。質問はまたあとで。まずは実際にアンドロイドと交流してみてください。
『百聞は一見にしかず』と言いますが、会うことで今ある疑問のいくつかが解消できるでしょう」
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