第12話 地獄行き「なんでそうなるの」

「奈落の底に落ちる」


 私はふとそんな言葉を思い出した。


 意識を失っていたのだろうか、気がつくと闇の中に倒れていた。


 地に足は着いていたので起き上がったら、薄暗い闇が延々と広がっている。


「やっぱりピンク色は超えられなかったのかな?」


 自分がどこにいるかわからないときも、体は灯りを求めるものだ。足下がよく見えないので注意深く歩を進めた。


 目が慣れてくるとだんだん歩調が早くなる。意識がハッキリするとともに耳や鼻それに皮膚の感覚が戻ってくると、あらゆる情報を取り入れようと集中した。


 闇が広がっていたはずなのに、遠くの方で炎が上がるのがわかった。何かが焼ける臭いがして、呻くような声も聞き取れる。


 不気味な感じはしたが、明るい方へ行こうとして足は止まることなく勝手にそちらへ向かった。


 やがてその光景が何であるか判別できるところまで近づいた。私は恐怖におののきながら、なぜか目を背けることができなかった。


 阿鼻叫喚とはこういうことをいうのだろう。


 たくさんの人間が燃え上がる炎に焼かれてもがき呻き、あるときは叫ぶ姿が衝撃的で首が固まってしまったように動かせなかったのだ。


「地獄に落とされた…」


 私は絶望した。ピンク色の向こうに行くつもりが、神様の罰に当たって地獄行きになるとは。もう家に戻れないどころか、炎の中でもがき苦しみ続けるなんて…。


 でもなんで?生きている間に悪いことをした人が亡くなってから、閻魔様が地獄に落ちるかどうか裁くんじゃないの?


 冷静に考えているとだんだん腹が立ってきた。


「私が何をしたっていうの! ゴイっちの本心を知ろうとしただけじゃん! だいたい、神様が地獄に落とすなんてルール違反でしょ!」


 周りには誰もいないようだったので大声でぶちまけてやった。どうせ地獄行きなんだからもうやけくそだ。


「静かにせんか」


「ヒッ」


 背後から野太い声がしたので肝を潰した。


 おそるおそる振り返ると、黒いスーツに身を包みサングラスをかけたプロレスラーのようにがっしりした男が立っていた。


「あの…どなたさまでしょう…」


 私は地獄に仏ならぬ謎の男が出現したため、テンションがおかしくなったようだ。場違いな言葉遣いで声をかけた。


「俺は鬼だ」


 男が無愛想に答えたので、さらに混乱してしまった。


「からかわないでください。私だって鬼ぐらい知ってますよ」


 男に敵意が感じられなかったこともあり、勇気を出して返した。正体を確かめようと思ったのだ。


「なにっ、鬼ぐらいだと! お前は鬼に会ったことがあるのか?」


 言い方が悪かったのか、男の機嫌を損ねてしまったらしい。


「鬼は空想上のものと思ってたし。私たちの世界では絵本とか漫画とかでしか見たこと…あっ、なまはげはニュースで見たことあるか…」


 私が言い繕うようにしゃべっていると、男の顔つきがみるみる険しくなった。


「バカモノ。我々鬼の世界でもファッションは変わるのだ。いつまでも虎柄のパンツをはいていると思うなよ」


「え?じゃあ本物ってこと…。まるで『メン・イン・ブラック』のトミー・リー・ジョーンズみたいな格好しているのに?」


 私はどうしても男が鬼だと思えなかったのだ。


「まあいい。話しが先に進まんから、特別に見せてやろう。ほら…」


 男はそう言うと、頭から2本の角をニュウッと生やしてみせた。それを見せられては反論の余地がない。


「すみません。本物の鬼さんなんですね」


「わかったか。では大人しくついてくるがいい」


 私にとって鬼が現れたことで事態は何ら変わっていない。ここが地獄であることを確信したまでのことだ。


「やっぱり、私も炎の中で焼かれるんですか」


「静かにしろ。閻魔大王の前で無礼を働くとただではすまんぞ」


 男は強い口調で釘を刺した。


 □閻魔大王と神様


 ブラックスーツ姿の鬼の後について歩いていると、見るも無惨な地獄絵図が次々と目に飛び込んできた。


 大きな臼状のなかに放り込まれて鬼から餅つきのごとく杵でつかれるさまは顔をしかめずにはいられない。


 静かにしろと言われるのを承知で聞いたところ「衆合地獄しゅごうじごく」だと教えてくれた。殺生や盗み、不倫などの罪を犯した者が落ちるそうだ。


 いくつかの地獄を横目に見ながら歩くと、やがて巨大で現代的な外観の建物に到着した。たとえるならば国会議事堂みたいに荘厳さがある。


 その中に入って広い部屋に通されると、大理石と思われる材質で作られたイスとテーブルが両サイドに並んでいた。中央には一段高いところに豪華な演台があった。


 広々とした部屋に鬼と私だけ。下手に口を開くと窘められそうで気まずい。変な汗が出てきて、そのうえつばきをゴクリと飲む音が聞こえそうだ。


 ストレスがピークに達しそうになったそのとき。


「閻魔大王がお見えだ」


 黒服の鬼が厳粛な声で告げた。


 私はその影が近づくだけで威圧感を感じた。そして部屋に一歩足を踏み入れた瞬間からオーラの凄さに身が引き締まった。


 閻魔大王は想像通りの姿だったのだ。正確には知らないが、三国志に出てくる劉備玄徳のような着物をまとい、聖徳太子が持つような笏しゃくを手にしていた。王冠のような被り物にもじゃもじゃの髭を蓄えており、常に真っ赤な顔をしているようだ。


 閻魔大王は中央の演台を前にして立ったまま、鋭い眼光を放ちながらこちらを向いた。


「お前がこのたびの被告、朱雀坂七津姫すざくざかなつきだな」


「被告ってどういうこと…」


「コホン」


 閻魔大王に聞き返そうとしたところ、黒服の鬼が咳払いして暗に制した。


 私は閻魔大王に失礼があってはただでは済まないという言葉を思い出して、言葉を飲み込んだ。


 ドキドキしていると、閻魔大王は私の発言など気にもせずに続けた。


「そして原告の菅原道真殿ですな」


「左様です」


 私は閻魔大王の問いかけに答えた声の主を見て驚いた。


 いつの間にか、私の席と対面する席に平安時代のような装束を着て笏を持った人物が立っていた。その貫禄から「学問の神様」として知られる菅原道真公であることは間違いないだろう。


 私は、菅原道真公から訴えられて閻魔大王の裁きを受けることになったらしい。


 こうして地獄での裁判が始まった。

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