第23話

「――つ、捕まえてぇぇぇぇぇぇ~っ!」


 外へ出てすぐに、辺りに響く声が耳朶を打った。

 自然と声が聞こえた方に、四人同時に意識を向ける。

 少し先には、必死に手と足をばたつかせて走ってくる中年女性がいて、その少し先には小さな影が道を駆け抜けリントたちの方へ迫って来ていた。

 リントは咄嗟に三人の前に立ち、影の正体を見極めようと目を凝らす――と。


(……あれ? あの子は……!)


 影がかなりのスピードでリントの懐へ向かってきて、そのまま突っ込んだ。


「せ、先生っ!?」


 ニュウが心配して叫ぶが、リントは無事だった。

 突進してきたものの身体を、両手でがっつりと掴んでいたのである。


「あ~やっぱりお前だったのかぁ」


 リントは掴んだ存在の姿を見て思わず苦笑する。

 その存在は素早くリントの腕から抜け出し、腕を伝って顔まで来ると舌でペロペロと舐めてきた。


「ははは、よせって。くすぐったいから」


 それでも嬉しそうに舐めるのを止めない。

 そこへ走ってきた女性が、息も絶え絶えといった感じで、


「ぜ~は~え~は~……ま、まあ!?」


 息を整えた女性が、リントの顔を見て愕然とする。リントは「どうも」と短く言って会釈をした。


「あ、あ、あなたは野蛮な医者ではございませんかぁ!」


 彼女は以前【ミツキ診療所】にやって来た利用者である。

 そして今、リントに懐きまくっているのは、その時に診察したホーンウルフという額に小さな角を持つモンスター。


「クレバーさん、でしたね。ご無沙汰しています」

「は、早くその野蛮な医者から離れなさぁい、ルーちゃぁぁぁん!」


 明らかな不機嫌面で、縋りつくホーンウルフを引き剥がし始めるクレバー。

 しかしホーンウルフは、離れるのが嫌なのか必死にしがみつく。……爪を立てて。


「い、痛い痛いっ! 引っ張らないでぇぇぇっ!?」


 こういう痛みも、モンスターを診ているとしょっちゅうだが、痛いものは痛い。

 ホーンウルフがリントの痛がる様子を見てハッとなり、自らリントから離れる。


「は~い、ルーちゃぁん、怖かったでちゅね~」


 腕の中に沈み込むホーンウルフはとても苦しそうだ。


「ったくまあ、何しにここへ来たのか存じ上げませんが、お金なら渡しませんことよぉ!」

「はは、別にいりませんよ」

「まあ! 何て言い草でございましょうか! ふん、さっさと行きますわよ、ルーちゃん! ああ、不愉快!」


 不愉快なのはこちらなのだが。

 それでも感情に任せて怒鳴らないのは……。


〝ごめんね、先生。ご主人はあとでおしっこかけとくから〟


 こうしてホーンウルフが、心の中で謝ってくれるからだ。

 リントは笑みを浮かべて「元気で良かったよ」と一言だけ伝えた。


〝うん。先生のお陰だもん。ほんとうにありがとうね。じゃあまたね~〟


 ワフワフゥッと、吠えながら去っていくホーンウルフに手を振ると、それを見咎めたクレバーに睨まれたので、すぐに視線を逸らした。


「……い、一体何なわけ?」

「あの方は前に診察を受けに来られたのであります」


 ランテの唖然とながらの質問にニュウが呆れながら答えた。


「う~ん。でも何か険悪だったよ?」

「リリノさんの仰る通り。診察の時に、先生が暴走しちゃいまして」

「ぼ、暴走!? もしかして所長ってばメスで突き刺したの!?」

「おいこらランテ、さすがにそんなことしたらオレは今頃檻の中だろうが」

「あ、それもそうね。でもだったらどうしてよ?」


 ニュウがその時のことを説明すると……。


「何よそれ! 所長は悪くないじゃない!」

「うんうん。所長さんはあの子のことを考えてあげただけだもんねぇ」


 ランテとリリノールが、リントの肩を持ってくれるのはありがたい。


「いえ、お客さん商売である以上は、どれだけカッとなりそうなことがあっても冷静にならないといけないのであります。せっかく……せっかく、セレブとの繋がりができるかもでありましたのにぃ……」


 まだ後悔しているようだ。

 確かにクレバー家は有名貴族でもあるから、横の繋がりを得られたと考えれば、ニュウとしてはショックかもしれないが。


「でも、ちゃんと治療はしたんでしょ?」

「おお、バッチリな」

「ならそれに対してはお礼をするのは当然よ! アタシちょっと言い聞かせて――」

「ちょ、いいっていいって」


 クレバーを追いかけようとするランテの腕を掴む。


「どうしてよ? 明らかに向こうの方に非があるじゃない!」

「いいんだよ。オレとしては患者を治せたってことでもう満足してるんだ。それに……」


 笑顔を浮かべて、クレバーが去った方向を見つめる。


「あの子も元気そうだ。何だかんだ言っても、注意したことは守ってくれてるみてえだしな。オレはそれでいい」


 診療所にやって来た時は、過保護に可愛がりずっと家に閉じこもらせていて具合を悪くさせたが、ちゃんと外に出して散歩させていたようだ。

 まあ、可愛がり過ぎている部分に関しては否定できないけれど。


「…………本当にモンスターバカよね」

「ふふふ、でもそこが所長さんの良いとこだと思うよぉ」

「ニュウは、もう少しだけ貪欲になってほしいのでありますが……」


 三者三様の感想が、耳に入ってくる。


「おいランテ、誰がモンスターバカだよ」

「所長よ所長。ま、言っても分かんないんだろうけどね。ほら、次行きましょう」


 何だかとてもバカにされている気もするが気のせいだろうか……?


「ほ~ら、先生もさっさと行くでありますぅ!」

「……へいへい」


 気のせいと思うことにしておこう。

 そうして四人で、街を巡り堪能していく。

 やはり女性が集まるとショッピングに時間がかかる。男としては甚だ疑問に浮かぶことが。


(何で買う気もねえのに、店を何軒も回るんだろうなぁ)


 同じ服しか売ってなさそうに見える店を数軒回り、試着を楽しむだけ。

 買わないなら店員としても迷惑なだけだと思う。


 ただニュウがとても楽しげなので、水を差すつもりはないが。

 普段彼女には普通の青春を送らせてあげていないから、こういった時くらいはリントは何も言わずに従うようにしている。

 目が回るほどの店を回り、徐々に手荷物が増えていく。


 ……ニュウさん、お金がないって言ってませんでしたっけ?


 と、思わずツッコミそうになるが、きっと彼女にとって必要なものなのだろう。

 それによく見たら、男物のネクタイや靴などもある。


(そういや幾つかの店で試着させられたしなぁ)


 文句を言わずに流れに任せていたので、まさか購入しているとは思わなかった。

 ちなみに金はニュウに持たせてあり、リントが持っているのは、ポケットに忍ばせてあるがま口に入るくらいの金銭だけである。


 昼を少し過ぎたかというくらいで、今度は食べ物屋へと向かうことに。

 何でもランテたちがオススメしたい店があるとのこと。

 国事情に明るい彼女たちに任せて、リントとニュウは二人について行った。


 ――案内されたのは、《千食通り》と呼ばれる、食事処がひしめき合う場所。


 いつも昼時は店同士の激戦が繰り広げられ、客の呼び込みがそこかしこで確認できる。

 この異世界でも、地球のような料理が存在していた。

 ただどちらかというとパンを主食とした民性を持っているので、米を愛する日本人だったリントとしては若干テンションが下がる食事事情ではある。


 それでも中には米を中心とした店もあり――。


「ま、ま、まさかここは……っ!?」


 目の前に立つ店。その看板を見て愕然としてしまう。


〝どんぶり屋 おこめいち〟


 その名前から簡単に想像することができた。

 ここには――米がある、と。


「感謝しなさいよね、所長。ニュウから所長がお米好きって聞いて、ちゃ~んと予約してあげてるんだから」

「マジで!? ニュウ……お前って奴は」

「べ、別にお礼ってわけではないのでありますよ? ただ日頃お世話にひゃわっ!?」

「ありがとう! さすがはニュウだ! 最高の助手だよお前はぁ~!」


 彼女の心遣いに感極まって、ついニュウを抱きしめてしまう。


「はわわわわわわわわわぁ~っ!?」


 顔を真っ赤にして絶賛混乱中のニュウだが、そんなこと関係なく彼女の頭を撫で続ける。


「ああ~所長さんだけズルイ~。私もニュウちゃん抱きしめたい~!」

「はぁ。所長、そろそろ放してあげないと、ニュウ……死ぬわよ」


 見ると、腕の中にいたニュウが「きゅ~」と目を回していた。


「おわっ!? しっかりしろ、ニュウ! くそっ、誰がニュウをこんなに!?」

「アンタだし……ほら、バカやってないで、さっさと入るわよ」


 どうもランテはノリが悪い。ツッコムなら、もっと心を込めて熱い感じでお願いしたいものだ。

 店構えもどことなく和風な感じで、引き戸の入口もそれっぽくて実にいい。

 ただいつもはランテが先に入っていくのだが、何故かリリノールが先頭に立っている。

 そして引き戸を開けると、驚く言葉を放つ。


「――ただいまぁ~」


 思わずニュウを抱えたまま「え?」となったが、ニヤニヤしながらランテが説明してくれた。


「あ、言い忘れてたけど、ココ……リリノの実家だから」

「え……ええぇぇぇぇぇぇっ!?」


 その驚き声で、「はにゃ?」と目を覚ましたニュウだったが、すぐに「おにゃかいっぱい~」と言いながらまた目を閉じた。

 起きろよというツッコミすらできずに、しばらく固まってしまったリントだった。



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