第21話

 皇宮で皇帝に会った日、この日は帝都にあるラヴァルディ公爵家の屋敷にそのまま泊まることになった。パパ曰く、帝都でいろんな用事を済ませたいので、ラヴァルディ領には帰らず、数日は帝都に留まる予定らしい。


 次の日、いつものようにパパの隣で目を覚ましたリディは、朝食をいつものようにパパとブリスと共にする。ちなみに、ブリスは一緒に帝都に来たのだが、ルシアンはラヴァルディ領にお留守番しているため、ここにはいない。


 今日の朝食のリディのお気に入りは、トマトのソースがかかったトロトロオムレツである。ちょっと半熟の卵は美味しい。トロトロで口の中からすぐになくなってしまったから、お代わりしてしまった。


 朝食が終わり、パパとブリスが話しながら歩く廊下を、後ろから上機嫌でスキップしていたリディは、勢いよく躓いた。


「……ふぎゃっ!」


 豪快に転び、美味しいものでお腹を満たして上機嫌なリディだったが、一転して涙目で顔を上げた。豪華な廊下には豪華な絨毯が引いてある。それに躓いてしまったらしい。


「何もないところで、何故転ぶ?」


 リディが転んだのに気づいたパパが、心底不思議そうにそう言いながらリディを助け起こした。


「顔は怪我していないな。手や足は痛くないか?」

「……痛くない」


 本当は痛いけど、転んだくらいで大人は泣き言など言わないのだ。しかし、パパには気づかれていたらしい。


「それで? 本当は痛いんだな?」

「……ちょっとだけね」

「まったく、なぜ痛いなら素直に言わない。ブリス、医師を呼べ」

「はい」


 転ぶことは、今まで何度もあった。転んだばかりの今は一時的に痛いだけで、血も出ていないし、こんなことは大したことではない。ただ、パパに心配されているようなので、それは嫌ではない。


 パパはリディを抱え上げ、リディのスカートに視線をやり、何かに気づいたような顔をした。


「転んだ時に破けたのか」


 リディのスカートの一部が裂けていた。たぶん値段の高いお洋服。さーっとリディは青ざめた。怒られるかもしれない。


「ご、ごめんなさい……」

「謝る必要はない。また買えば済む話だ。リディはもう少し、俺の娘だというのを自覚したほうがいい。遠慮はいらん」

「そうですよ、リディ。公爵家の娘なのですから、同じ服は一度しか着ないなどと、言ってもいい身分なんですからね」


 世の公爵家の令嬢は、そんな贅沢をしているのか。リディにその境地はまだ遠い。怒られなかっただけで十分だと思ってしまう。


「この際、帝都にいる間に、もう少しリディの服を増やすか」

「それはいいですね。前回はリディの好みも聞かず、色々揃えてしまいましたから。兄上、仕立て屋を呼びますか? それとも、店に行きますか?」

「そうだな。リディが店でいろんな服を見るのもいいだろう。服を仕立てるなら、店に行った後でもできる」

「承知しました。一番近い日程ですと、明後日の午後であれば、兄上の時間が空くかと思いますので、そこで予定を組んでおきます」

「ああ」

「パパ、お洋服のお店に行くの? 私も一緒に?」

「そうだ」


 パパと一緒にお出かけとは、嬉しい。ニコニコしてしまう。


 それから、パパは私の足を見たり、廊下を見たりしながら、口を開いた。


「この廊下の絨毯、俺が小さい頃にはすでにあったな。古臭いから取り替えるか。絨毯より、もう少し歩きやすい上質な木材か石材のほうがいいだろう」

「承知しました。専門業者を呼びます」

「え!? この絨毯代えるの? 高そうな絨毯なのに? 私が転んだから?」

「リディは関係ない。古臭いから取り替えると言っただろ」


 本当だろうか。やはりリディが原因ではなかろうか。そう思いつつも、パパがリディのことを大事にしてくれているような気がして、胸が暖かくなる。


 その後は、医師が呼ばれて、リディは痛いところを診てもらった。転んだ時に床についた手の平と膝小僧がじんじんしていたが、傷はなく、薬をつけるほどもない、という診断が下った。


 そして、執務室で仕事のためにソファーに座るパパの横で本を読んでいると、パパから舌打ちが聞こえた。顔を上げると、イラっとしたようなパパが、持っていた手紙をブリスに渡すところだった。その手紙に目を通したブリスが、苦笑いをしている。


「昨日の兄上との話では、納得いっていない、ということのようですね」

「昨日でこの件は最後になるはずだったんだがな」

「……昨日って、皇帝陛下に呼び出された話? 私が娘って、認めてもらえなかった?」

「そっちではありませんよ、リディ。皇帝陛下の方ではなく、皇女殿下の方です。兄上に娘がいるから、どうした、と皇女殿下が言ってきているのです。兄上の妻の座を、まだ諦めていないようですね。兄上が再度呼び出されています。しかも、リディと一緒にです」

「……私も?」


 どうして、リディも呼ばれるのか。首を傾げていると、パパが横に座るリディを抱えて、膝に乗せた。


「リディは行く必要はない。俺も無視する」

「……無視していいの? 皇女殿下なのに?」

「皇帝の娘というだけだ。皇帝でもあるまいし、なぜ公爵の俺が、皇女のわがままを聞いてやらねばならない?」

「昨日は聞いてあげたのに?」

「あれば、皇帝の呼び出しだ。その呼び出しに、勝手に皇女が付いていただけの話。そのついでで、その後十分程度、話をしてやっただけだ」


 聞けば、皇女の呼び出しはこれまで幾度もあったらしい。そのたびに無視していたが、昨日のように皇女ではなく皇帝から皇女絡みで呼び出しがあった時だけ、皇女と会う機会を作ってあげていただけだと、パパは言う。それも、いくら皇帝からの呼び出しとはいえ、皇女絡みだと面倒なので、毎回呼び出しに応じているわけではない、というから、皇帝や皇女と、パパの関係は、単純な上下関係に終わらないのだと、驚いてしまう。


「パパは、明日も皇帝陛下とお話があるって言っていなかった? 皇宮に行くなら、どちらにしても皇女殿下もいるのでしょ?」

「無視する」


 それは、根本解決にはならないのではなかろうか。


「パパ、私も一緒に行くから、皇女殿下とお話しよ? 私がパパを守ってあげる」

「……何?」

「パパは皇女殿下と結婚したくないのでしょ? 私がパパとの結婚は許しません! って、言ってあげる」

「……それは、俺の娘は頼もしいな」


 ふっと笑ったパパは、リディの額にキスを落とす。へらっと笑ったリディは、パパの首に手を回し、抱きついた。

 リディのパパは、リディが守ってあげるのだ。相手が皇女だろうと、リディだって負けない。内心気合を入れるのだった。

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