第2話

 気持ちを落ち着かせようと思って、ふらりと入ったバーでわたしは終電を逃していた。


 カウンタースツールに腰をおろしながら、ウイスキーのロックを飲む。

 気分はまるでハードボイルド小説の主人公のようだった。

 何杯飲んだのかは覚えていなかった。ただ、酔いつぶれるほどの量は飲んでいないことは確かだ。


 マッチングアプリからの通知が何件か来ていた。その通知はメッセージを受信したというものであり、メッセージを確認してみるとそれは全部からのものであった。そのメッセージは全部読まずに削除し、ブロックリストに彼のことを入れておく。もう二度と会うことは無いだろう。


「あーあ、わたしの王子さまはどこへ行ってしまったんだろう」


 思わず心の声が独り言として口から洩れてしまう。

 ヤバいと思って、慌てて周りを見回したが、運よく誰にも聞かれていなかったようで、わたしの方を見ている人は誰もいなかった。


 アラサー、独身、彼氏無し。毎日の仕事はやりがいを感じているし、別に彼氏がいなくてもいいやって思っている節もある。でも、地元に帰った時に同級生が小さな子どもを連れていたりするのを見ると、結婚もいいかもしれないと思ったりもするのだ。


 マッチングアプリをはじめたのは、ちょっとした好奇心からと、仕事の役に立つ可能性があったからだった。マッチングアプリ上には、わたしは普通の会社員として登録しているが、実際の職業は警察官だった。それも刑事。素性を明かせば、大体引かれるということはわかっているので、会社員ということで押し通すようにしていた。

 無意識に業務用のスマートフォンを定期的にチェックしてしまう。何かがあった場合には、こちらに連絡が入るようになっている。今夜はまだ通知は無かった。


 グラスに唇を当て、舐めるようにウイスキーを飲む。

 この飲み方を教えてくれたのは、何人目の彼氏だっただろうか。

 なにやってんだろう、わたし。

 ウイスキーが喉を通り、胃の中でカッと熱くなる。

 趣味、映画鑑賞か……。

 最後に映画館に行ったのは、いつだろうか。

 思い出せないくらい、映画館へ行っていないことに気づく。その癖、趣味に映画鑑賞なんて書いていたのだから笑ってしまう。


「良い飲みっぷりですね」


 不意に左隣から話しかけられた。

 目を向けると、いつの間にか隣の席に男性が座っていた。

 歳は三十代後半から四十代半ばといったところだろうか。ハイネックのセーターの上にジャケットを羽織るといったスタイルで、琥珀色の液体が入ったグラスを傾けている。


不躾ぶしつけに声を掛けてしまって、すいません。あまりに良い飲みっぷりだったんで」


 その人は笑顔でそう言った。

 見られていたのか。そう思うと、なんだか恥ずかしかった。


「良かったら、もう一杯どうですか。おごりますよ」


 彼はそう言うと、バーテンダーを呼んでわたしのグラスを指さして、同じものを二杯と注文した。

 どうやら、彼も飲むようだ。


 バーテンダーからウイスキーを受け取った彼は、わたしに向かって「乾杯」と言ってグラスを掲げて見せた。


「佐藤って、いいます」

「高橋です」


 お互いに簡単な自己紹介をした。

 佐藤は俳優をやっているとのことだった。そう言われて、わたしはじっと佐藤の顔を見ていた。俳優であるならば、どこかで見たことがあるかもしれない。そう思って、記憶をたどりながら、佐藤の顔を見続けたのだが、まったく見覚えのない顔がそこにはあった。


 記憶力には自信がある。特に人の顔に関しては、一度見たら忘れない。これは特技だと言っていいだろう。警察では、見当たり捜査と呼んでいる捜査方法がある。これは、人通りの多い場所で、街ゆく人をじっと見て、その中から指名手配犯を見つけ出すという捜査方法なのだ。わたしはこれを得意としており、この捜査方法で今までに指名手配中の犯人を三回逮捕したことがあった。


「普段は舞台でやっているだけだから、あまり知られていないかもしれませんね」


 あまりにわたしが佐藤の顔をじっと見てしまったため、佐藤が苦笑いをしながら言った。

 やばい、気まずい。


「あ、でも映画には何本か出ましたよ」

「そうなんですか」

「ええ。アクション映画ですけれど」

「なんてタイトルですか?」

「四日間」

「え?」

「映画のタイトルが『四日間』です」


 ごめん、知らない……。わたしは内心そう思いながら、会話を続ける。


「どんな映画なんですか」

「ああ、えーと、元刑事が主人公でして……」


 佐藤によれば、その四日間という映画は、元刑事の主人公が誘拐された娘を探すという物語で、タイトルの『四日間』というのは誘拐事件が発生した際に、被害者を四日以内に探し出すことができなければ事件は迷宮入りしてしまうというタイムリミットなのだそうだ。


「96時間……」


 思わずわたしは呟いていた。


「え?」

「それって、96時間」

「ああ。ご存じでしたか」


 佐藤はわたしの呟きに苦笑いを浮かべた。

 そう、佐藤がわたしに説明してくれたのは、リーアム・ニーソン主演のアクション・サスペンス映画である『96時間』の内容にそっくりであった。リーアム演じる元CIAが誘拐された娘を助け出すために、悪者相手に大暴れする作品である。


 わたしは、この映画が大好きでシリーズは全部見ていた。

 あ、そうだ。わたしが最後に見た映画。それは96時間だ。それもパート3。パート3はちょっと面白さに欠けたな。そんな感想を抱いていたのだ。

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