わたしは『96時間』で恋をする?
大隅 スミヲ
第1話
シャンソンだった。
真っ赤なドレスを着た女性が生歌を披露している。
生でシャンソンを聞くのは初めてのことだったが、その女性が歌っている曲は知っていた。
映画『キミの薔薇』で流れていた曲だ。
「普段はどんな映画を見るんですか」
わたしの前に座る眼鏡を掛けたスーツ姿の男性が、ワイングラスを片手に持ち、にこやかに笑いながら話しかけてくる。
「えーと、そうですね……」
彼との出会いは、マッチングアプリだった。自分の年齢、趣味などを登録しておくとAIが自動的に相手を見つけて来てマッチングしてくれるというもので、この男性とは相性78%でマッチングされたのだ。
趣味は映画鑑賞。これが決め手になった。とAIの診断書には書かれていた。
映画鑑賞とひと言でいっても色々なタイプがあると思う。映画館に行く人、自宅でネットサービスを使って見る人、最新作の映画が好きな人、古い映画が好きな人、アクション映画が好きな人、恋愛映画が好きな人、などなど。
趣味が映画鑑賞といえども、それを共通点としてしまうのはどうかと思う。
まあ、趣味の欄に映画鑑賞と書いた、わたしもわたしなのだが。
「僕は『摩天楼にかける橋』が好きなんですよ。あれは、何回も映画館で見ましたし、ブルーレイディスクも持っています」
彼は饒舌に語った。ワインのせいなのか、それともこういう人なのか。まだ出会って1時間も経っていないので、わたしには判断できなかった。だから、わたしは彼の話に耳を傾けながらも、彼がどんな人間なのかを分析しようとしていた。
「――でね、そこで友人に言ってやったんだよ。お前のセンスを疑うわって」
あ、彼の分析に集中しすぎて、彼の話を聞くのを忘れてた。
よくわからないが、彼はゲラゲラと笑っている。そういえば、いつの間にか敬語からタメ口に変わっているし。アルコールのせいだろうか。それともわたしとの距離を少しでも縮めようと敬語を使うのをやめたのだろうか。
きっと彼は前者だろう。その証拠に頬が少し赤らんでいる。
お酒、弱いのかな。
わたしはそう思いながら、ワインをひと口飲んだ。銘柄は知らないものだったが、かなり口当たりが良く、これだと知らず知らずのうちに酔っぱらってしまうかもしれないと冷静なわたしが分析をはじめていた。
仕事上、わたしはどうしても相手のことを分析しがちだ。職業病のようなものなのだろう。相手のことを無意識下で分析していることが多い。
もしかしたら、彼はこの口当たりの良いワインでわたしを酔わせようとしていたのかもしれないな。そんなことを思いながら、わたしは彼の顔をじっと見ていた。
酔わせるつもりだったはずの彼は、呂律が怪しくなるくらいに酔っぱらってしまっている。目の座り具合を見ても、彼がそうとう酔っぱらっていることは確かだった。もしかしたら、緊張をごまかすために、いつも以上にアルコールを摂取してしまったのだろうか。もし、そうであれば、わたしのことを酔わせてどうにかしようと考えていたという勝手な妄想を抱いたことを謝らなければならない。
「――でね、そこで友人に言ってやったんだよ。お前のセンスを疑うわって」
同じ話のループだった。この話はさっきも聞いたはずだ。冷静なわたしはじっと彼の顔を見つめながら思っていた。
佐智子、あんたって本当に酒つよいよね。
友人と飲むたびに言われることだった。別に酒に強いというわけではない。ただ、人前では酔っぱらった姿を見せないように心がけているだけだ。
それを証拠にわたしは、自分の部屋に戻ると同時に記憶を失う。翌朝に目を覚ました時は、全裸のままベッドで眠っているということも、しばしばある。これはシャワーを浴びた後で、そのまま眠ってしまうためだ。酷い時は、全裸のまま冷蔵庫に頭を突っ込んで眠ってしまっていたこともある。この時は、きっとミネラルウォーターを飲もうと思って、そのまま眠ってしまったのだろう。もし、そのまま死んでいたら事件性ありと判断されてしまうかもしれない寝方だった。
「そろそろ、店を出ましょうか」
わたしは彼にそういうと伝票を手に取って席を立ちあがった。
彼は酔っぱらっているため、なかなか席から立ち上がることができなかった。
「ここは、僕が払いますよ」
呂律の回らない口調で彼がいう。しかし、彼は自分の財布がどこにあるのかもわからなくなってしまっているらしく、持っていたバッグの中身をその場に全部引っ張り出したりしている。
「いえ。割り勘にしましょう」
はっきりした口調でわたしはいい、合計金額の半分の値段を支払った。
ホテルのバーであったため、わたしは彼をラウンジに連れて行き、そこに座らせた。
「大丈夫ですか?」
「ええ……大丈夫です」
そう言いながらも、彼は床をじっと見つめている。
明らかに大丈夫ではないな。そう思ったわたしは、ペットボトルの飲料水を買ってきて、彼に渡した。
「すみません……飲みすぎてしまいました……」
水を少し飲んだ彼はボソボソと話した。まだ呂律はまわってはいない。
彼も大人だ。もう大丈夫だろう。そう判断したわたしはラウンジのソファーから立ち上がった。
「きょうは、ありがとうございました」
「あ……」
彼は何か言いたげな顔でこちらを見ている。
「何か?」
この期に及んで、まさかもう一度会ってほしいとか言うのではないだろうか。
わたしは警戒しながらも、彼の次の言葉を待った。
「あの、ここのホテルに部屋を取ってあるのですが……」
「そうですか。じゃあ、ちょうど良かったですね」
わたしはにっこりと微笑むと、そのままラウンジを後にした。
思っていた以上の馬鹿だった。最初はインテリ眼鏡だと思っていたのに、化けの皮が剥がれたいまは偽インテリクソ眼鏡だ。
ホテルの部屋を取っているって、どういうこと。最初っから、そのつもりでいたのかよ。最低だわ。やっぱり、わたしのことを酔わせて、あわよくばと考えていたんだ。
あーあ、心配してやって損しちゃったな。
心の中で毒づきながら、わたしはネオンが輝く街へと足を向けた。
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