第27話 トレーニングの日々 負けられない戦い


「――――ちょっと待って、お兄ちゃん。それって、どういうことなの?」


 如月ユメはベッドから身を乗り出して、兄の話を遮った。一方の兄は、ベッドの直ぐ脇で小さな椅子に腰かけながらバツが悪そうに視線を逸らす。



「ど、どういう事って……な、何がかな?」


 兄がオカルト研究部の朝練の話をし始めた時、ユメはワクワクした気持ちでその話を聞き始めた。しかし話が進むにつれて、その話の雲行きが怪しくなり始めた。そして、そのお天気の乱れはユメの機嫌を急激に悪くしていった。


 ―――今、ユメの胸の中は、まるで夕立前の積乱雲のみたいな荒れた感情が渦巻いている。


「………何がかな?じゃないよっ!二人に抱きつく必要なんて、あるの!?」


「ちょ、ちょっと落ち着けって。だ、だから、それは熊に襲われない為にだな」


「落ち着けないよ!それって!それって―――ッ!!」


 ユメは思わず、手に持っていた枕を兄に投げつけていた。


 ―――ぼっすっ!


 それを顔面で受け止めた兄が、うぷっぷっ!と変な声を出した。


 ゆっくりと枕がずり落ちると、そこにはこの世の終わりみたいに途方に暮れている兄の顔。その時ガチャリと扉の開く音がして、女性の看護師が顔を覗かせる。


「………如月さん、どうかされました?」


 な、何でもないんです!と、兄は慌てて看護師に説明しているが、何でもなくなんかないもん!


「い、いえ、本当に何でもないんです!ちょっと兄妹でケンカしただけで!な、なぁユメ!?」


 治まる様子のない気持ちを持て余して、ユメは無理矢理その場を治めようとしている兄の横顔をキッと睨みつける。


「………ほ、本当に、大丈夫なんですか?」


 そんな二人の様子を訝しげに見つめた後で看護師は、病室ではどうぞお静かに―――との言葉を残して病室から出ていった。看護師が扉を閉めると、病室内には気まずい空気だけが残った。妙に、緊張感がある空気だ。



 そ、そうかもしれないけど……!

 それって……それって!


 ――――う、浮気じゃない?



 看護師が立ち去った後も、じっとりとした目で兄を睨みつけていると、兄は困った顔をしてポリポリと人差し指で頬を搔いている。


「でも……さ、ユメの言う通りだと思う。こんなお兄ちゃん軽蔑されても、それは仕方ないよな。ああ、でも別にハグしたことを後悔しているわけじゃないんだ。だってそれがあったから二人のことをもっと知ることが出来たんだしさ。

 ………でも、やっぱりどんな理由があったとても、こんなこと続けるの良くないと思う。二人の為にも、ちゃんと話し合ってみるよ」


「そんなの当り前だよ!そういうのって、本当に好きな人としかしちゃいけないんだからね!」


 ユメがピシャリと言ってやると、兄は複雑そうな顔をしてコクリと頷いた。


 その態度が気に入らなかったユメは、ぶすっとそっぽを向いた。兄の話の続きは気になるが、このままではどうしても気持ちが治まりそうもなかったので、ユメはベッドをベシベシ叩いて兄に側に来るように促した。


「お兄ちゃん!ちょっとこっち!こっちに来てっ!」


「………な、なんだよ?」


 だからユメは、投げ付けられた枕を抱えながら恐る恐るといった様子で近寄ってきた兄の両側の頬をムニュ~と思いっきり摘まみ上げてやった。


「ひ、ひぃてへへ……!!」


「――――それで、どうなったの?まさか朝練って、ハグしているだけじゃないでしょうね?」


「ふぁ、ふぁ~い!ほ、ほんあほとないれす…… ほれはらぁ……」



 それから、ユメに両頬を摘ままれたまま―――涙目のユウが続きを話し始めた。





   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆彡  





「―――昨日は、5番目の祠まで行けたのね。ふふっ凄いじゃない」


 トレーニングは、7日目を向かえていた。


 耳元で囁かれた声に頷きながら、ユウは自分の腕の中にいる彼女に、ちょっと不安に感じていることを質問してみることにした。勿論、それは気を紛らわせる為だ。


「………先生。6番目の祠は崖の上にあるみたいなんですけど、どうやって行けばいいんです?」


 だけど暫く待ってもその人からの返事は返ってこなくて、二人の呼吸と鼓動だけが静かに流れていく。その静かな時間と柔らかな温もりは心地良過ぎて溶けてしまいそうだったが、胸の鼓動だけは不自然な程に高鳴っていて………アンバランス。




「ん………そうね。あそこは難関なのよね」


 やっと先生が質問に答えてくれたのは、日課になりつつあるハグが終わりお互いの体が離れた時だった。


 もう、この人と何度もこうしてハグしているが、慣れるどころか日に日に胸が苦しくなっていくのは気のせいだろうか?俺はきっと強くなる前に心筋梗塞か何かで死ぬんじゃないかと、最近は本気で思う様になっていた。



 だって―――さ。



 クイッと袖を引かれて、ユウは顔を引きつらせた。振り返るとやはり、青葉が恥ずかしそうに下を向いて立っている。



 だから、その顔を止めろって………!



「ちょ、ちょっと待って青葉。俺、なんだか胸が苦しくて――――」


 ユウが休憩を要請すると、青葉が心配そうな顔でコクリと頷いた。



 何でこんなことに、なっちゃったんだろう?と思う。


 これも、トレーニングの一環なのだろうか?


 ユウは、ゆっくりと深呼吸をしながら考えていた。先生と青葉と毎日ハグするとか本当なら喜んでもいい状況なのかもしれないけど、女の子に免疫など無い健康な男子高校生にとってこれは刺激が強過ぎる。 ………本気で胸が痛いんだけど。


 まあ刺激は強過ぎるが、全然嫌ではないのが困りものではある………のだ。



 (※注 三人は全く気が付いていませんが、この行為は、一歩間違えば完全なセクハラ行為であることに間違いありません。私達もお互いに気を付けましょう)



「………どうって、よじ登るしかないでしょう?ゴツゴツした岩場だから手や足を掛ける場所は幾らでもあるんだから……っ!」


 さっきまで優しかったのに、急にキツい話し方になった先生の声をユウは背中で受け止めた。そしてその声が聞えたからなのか、青葉がユウに回している腕にキュッっと力が入る。


「――――崖登りも大事なトレーニングメニューなのよ。体全体の筋肉とバランス感覚、瞬発力や考察力まで鍛えられる良いトレーニングなの。etc………!」


 先生の説明が長くなればなるほど腕の中の青葉はしっかりとユウに抱きついてきて、まるで抱っこから下されたくない小さな子供みたいに、簡単に離れてくれなかった。



 暫くして、ようやっと青葉が体を離すと、ユウは何度も二人に対してお願いしている内容をもう一度改めてお願いしてみることにした。このままでは、何時まで心臓が持つか分かったものじゃない。



「………トレーニングのことは分かりました、頑張ります。だけど………言いたくはないんですが、せめて………ハグするのは、どちらか一人だけにしません?」


 ユウが何度同じことを訴えても、今まで二人が耳を貸すことはなかったのだが、今日は少し様子が違った。



「――――だ、そうよ青葉。あなた、いい加減に気が付いたらどうかしら?如月君はあなたとのハグなんて望んでないみたいだけど………?」


 その言葉で、二人の間の空気がピーンと張りつめたのが分かった。


「………ね、姉さんこそ、気が付いて下さい。姉さんとのハグを、ユウが嫌がってるって気が付いて下さい」



「――――如月君が何故、嫌がるの?」



 ゴゴゴゴゴ・・・・・ッ!



 只ならぬ緊張感が辺りの空気を震わせる。まるで地震でも起きたかの様に大地と風が揺れ始める。


「………今日こそ一本取らせてもらいます。覚悟はいいんですか、姉さん?」


「ふふっ、笑わせるわね。十年早いって分からせてあげるから――――!」




「あ、あの……そ、それじゃあ俺、トレーニングに行ってきます」


「ええ、気を付けてね―――あなた?今日はトレーニングの後、少し時間が欲しいから早く帰って来てね」


「いってらっしゃい、ユウ。怪我しない様にくれぐれも気を付けて下さいね」


 そう返事を返してはいるが、二人共ユウの姿を全く見てはいない。


 二人の闘いは既に始まっているのだ。きっと、頭の中では想像もしたくない壮絶な死闘が繰り広げられているのだろう。


 ユウは、巻き込まれたらマジでヤバイと身を震るわせた。直ぐにこの場を離れないと、命が幾らあっても足りないだろう。いつ闘いが始まってもおかしくない緊張感に、ゴクリ……と生唾を飲み込むとユウは一気に山へと駆け出した。




 一つ目の祠から小石を拾って森の中に一歩足を踏み入れると、辺りは急にのどかな雰囲気へと変わり、ユウはほっと胸を撫で下ろした。


 両側を流れていく景色には、広葉樹や草花の優しい葉の色と色鮮やかな野花が彩を添えていて美しい。どうやら今の時期は、百日紅サルスベリ紫陽花アジサイが主役らしい。


 ユウが思いっきり空気を吸い込むと、早朝にしか味わえない新鮮で瑞々しい気配が胸の中いっぱいに広がる。暫くは緩やかな上り坂が続いて身体を慣らしていくには丁度良かったし、景色を楽しむ余裕があるのは今だけだ。


 この緩やかな坂を登りきると、心臓破りの階段が待っている。


 最初の三日間はとにかくキツくて、何度も泣いたり、もどしそうになったりした。今は少しずつだが、身体が軽くなってきているのを実感している。


 だけど、最後にはやっぱり泣く程にキツくなるんだけどな………!


 それでも日に日に少しずつ同じ時間内で辿り着ける距離が伸びていって、新しい景色を教えてくれるのが楽しみにはなっている。


 緩やかな坂道を抜けた処にある祠から緑色をした二つ目の小石を手に取ると、まだ辿り着いたことのない山頂に目を向けた。そこには大きな針葉樹林の足元に、苔むした石階段が長々と続いているのだ。


 ユウは躊躇なく階段を駆け上がっていった。この景色を、あの二人も見ていたのだと思うと不思議と力がみなぎってきた。

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