第六話 あの大きな木の下で……


 青葉は夢を視ていた。あの夢ではない。


 夕焼けで真っ赤に染まる公園で、泣いている小さな頃の自分。


 初めてあの夢を視始めた頃、現実の自分と夢の自分の区別がつかなくなって不安定になった時期があった。


 あの日もお昼寝の時間に視た、あの夢が原因で家を飛び出したのだ。




「どうしたの?迷子になっちゃった?」



 公園で一人、不安で泣いていると話し掛けてきた人がいた。その人は片膝を付いて、青葉の前にしゃがみ込んできた。


「…ううん。違うの」


 青葉は両手で涙を拭いながら、首を振った。


「哀しいの」


「どうして哀しいの?お兄ちゃんに話してごらんよ」


「分からない。でも哀しいの」


 また青葉は、首を振る。


「そっか。じゃあ、お兄ちゃんが哀しくなくなるまで、一緒にいてあげる」


「本当?」


「ああ、本当だ。一緒にいてあげる」


 その人は、優しく青葉の頭を撫でてくれた。


「うん!約束ね!」


 嬉しくって笑顔で答えながら、青葉は思う。


 この人って、夢の中のあの人と同じ色をしてる……


 目の前のその人は、確かに夢の中のあの人にそっくりな魂の色をしていた。



   ―――――――――――――――――――――



 そこで、ふっと目が覚める。


 気が付けば青葉は眠り込んでしまっていた。意識を失った彼をホームのベンチまで運んで、膝枕をしながら姉の到着を待っている時の事だった。




 ……あの時の人だ。


 ずっと探していた、あの時の人だ。




 あの後、探しに来た姉が駆け寄って来て、抱きつかれた。そして気が付くと、もうその人はいなかったのだ。


 その後も何度もその人を探したが、その人どころかその公園すら見付けることが出来なかった。姉も、そんな公園なんて知らないという。自分は道端で、ぼうっと立っていたそうだ。



 今、自分の膝の上で寝息を立てて眠っているのは、あの夕焼けの公園で逢ったあの人に違いなかった。


 また涙が止めどなく溢れてきて、我慢できずに彼の頭を優しく撫でる。


 彼が目を覚ましたのは、それから直のことだった。



「先輩?ここは?俺はどうして?」


 その質問に青葉は、無言で首を振った。言葉が出て来なかったのだ。


 彼は慌てて起き上がろうとしたが体に力が入らないのか、また膝の上に寝ころんでしまう。


「すみません。力が入らなくて」


 また青葉は無言で首を振った。


 優しく彼の頭を撫でながらも、涙は止まらない。溢れ落ちた涙が、彼の顔に落ちていく。



「何で、泣いているんですか?」



「……分からないです」


 消え入りそうな声で、青葉は答える。


「俺の事、心配してくれているんですか?俺なら、もう大丈夫ですから泣かないで下さい」


 今度は何度も頷いた。


 だが、涙は止まる様子はない。頭を撫でる手も止めなかった。



 ……ごめんなさい。


 私のせいで、ごめんなさい。


 こんな事、許される筈無い。


 私がこんな事して、許される筈無い。



 でももし、もし許されるなら。


 ずっと、このままでいたい。



 ただ、ただ……


 そんな想いが胸の中に溢れていた。すると頭を撫で続けていた青葉の頬に、温かい彼の手の平がふれる。



「でも先輩。ちゃんと泣いているじゃないですか。良かったですね」


 そう言うと彼は、震える手で青葉の涙を優しく拭ってくれた。最初は少し驚いたが、彼の優しさに包まれているような安心感に拭われるままにした。


 小さな声で「そうですね」と言った青葉は、まるで先程の小さな頃の自分に戻った様な気がしていた。



       

    ――― 最後の夢 ―――




 クリケットの葬儀が行われた日は、青空が哀しい日だった。


 埋葬を済ませて私達が集まったのは、もちろん彼女のお気に入りだった白いパーゴラの場所だ。


 少し遅れてやってきたソレイユに、スカーレットが優しく声を掛ける。



「……ゆっくり、話は出来たかいソレイユ?」


 無言で頷くソレイユ。


 二人が愛し合っていることは、ここに集まった全員が知っていた。まだ幼い頃に皆で約束したのだ。この中の誰がクリケットと結ばれても、恨みっこ無しだと。


 その約束通り二人が結ばれて幸せになることを、ここに居る全員が誰よりも望んでいた。


 しかし…… その望みは、叶わなかった。




 いつも彼女が座っていた椅子を抜け殻の様に力なく見つめ続けて、もうどれ位の時が過ぎただろう。



「……クリケットは、アースに無事に着いたかな?」


 レイが、ポツリと呟いた。


 暫く誰もそれに答えることは出来なかったが、かなり時間が経った後でソレイユがようやくその問いに重い口で答えたのだった。ああ、きっと…と。


 空を見上げれば夕焼けに染まりつつある青空の中で、禍々しくも真っ赤に光っている魔星アバロンが尾を引いているのが見えた。クリケットが自分の命と引き換えに、あの星の軌道を変えたをだと一目で分かる姿だ。




「……不思議ですね。いつも通りの綺麗な夕焼けの筈なのに、彼女がいないだけで色を感じないんです。この世界が変わってしまたんでしょうか?それとも、私が変わってしまったんでしょうか?」


 スカーレットが流した涙を隠す様子も無く、そう呟いた。


 それから三人は徐に立ち上がると、おぼつかない足どりで歩き始める。



 ……それでも、私達は続きをしなければならない。


 彼女が守りたかったこの世界と、新しい王女を守る為に歩き続けなければならないんだ。


 

 そして……


 そして約束を果たし、


 再び巡り逢える日を……


 

 黙って立ち去る男達の背中は、そう語っていた。





 その三人の後ろ姿を見送ってから、私は穴へと走った。


 十年以上もずっと、誰にも見つからない様に掘り進めてきた穴だ。


 もう彼らと会うことは叶わないだろう。私はこの命が尽きるまで、やり続ける。そして、やり遂げる覚悟だ。



 そして―――



 真っ暗な穴の中で、私は最後の力を振り絞ってを噛みちぎった。


 もう、意味のないことなのは分かっている。


 彼女をこの木の呪縛から自由にしたくて始めた途方もない戦いは、彼女がいなくなってしまった今では何の意味も無いんだ。


 だが、どうしても許せなかった。


 彼女と彼ら……


 私の大切な仲間を苦しませ続けたこの木だけは、どうしても許せなかった。


 私は十年以上かけて、時間を見付けてはこの木の根を食い破り、少しずつ命を奪っていったのだ。そして今、この巨大な生命に致命傷を与えた。


 私の様な矮小な生き物が、この世界樹という巨大な生命の命を絶ったことは決して許される行為ではないだろう。





 真っ暗な穴の中で、シアンはその小さな体を横たえた。もう呼吸する力も残っていない。直に、死ぬことになるだろう。


 走馬灯……と、言うのだろう。今まで過ごしてきた時間が、シアンの頭の中を駆け巡る。



 ……私だけが、見てきた。


 あの英雄と呼ばれる、四人の生き様だ。



 私は…… あの太陽みたいな笑顔をみせてくれる冒険者と、世界中を旅したんだ。


 私達は何度も命の危機に直面しながら、幾つもの国境を越えて魔境と呼ばれる場所も歩いて来た。もう駄目だと、何度諦めそうになった事だろうか……

 その度、彼は彼女の名前を口にした。そして涙を拭いて、また歩き出した。



 あの…… 神秘的な鳶色の瞳をした、魔術師ともそうだった。


 彼と共に恐怖に震えながら、世界の深淵を覗きに行ったんだ。そして幾つもの秘密を解き明かした。

 もう耐えられない位に精神が追い込まれ、彼は何度も弱音を吐いた。だが、その度に彼は彼女の名前を呼び続け、そしてまた謎に挑んでいった。



 そして…… あの寡黙で優しい騎士とは、何度も死線を潜り抜けながら戦場を駆け抜けたんだ。


 ふふっ、そう言えば聞こえはいいが……


 何度も私達は、泥の中を這いずり回った。何本も剣が折れ、何回も心が折れかけた。それでも彼は、諦めなかった。彼女の笑顔を思い出し、彼は泥水を飲みながら生き抜いたのだ。




 そして、そしてね……


 あの閉ざされた、部屋の中で……


 彼女は……ね


 全然、平気なんかじゃなかったんだ。


 彼女は全然平気じゃなかった。一人で恐怖と苦しみに耐えながら、何度も子供みたいに泣いていた。


 それでも……


 彼女は私達の名前を呼び続けながら、それに耐え続けた。


 それでも笑顔を失くさず、未来を諦めなかった。 私達の愛する、あの女性ひと……



 何も見えない真っ暗の穴の中で、シアンはゆっくりと目を閉じた。


 脳裏にハッキリと浮かぶのは、四人が笑い合う姿だ。



 ……それが、私の見てきた全て。



 私は許されることは無いだろう。 ……それでいい。


 だけど……


 だけど、もし……


 もし神様が、いるのなら……




 どうか再び彼らを、巡り合わせてあげて下さい。


 

 そして……


 どうか普通の平凡で……


 幸せな人生を、彼らに……



 

 全身、血と泥まみれになりながら


 シアンは最後にビックンと体を震わせると、もう動くことはなかった。




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