第四話 最後の笑顔
――― 昨日 ―――
灯篭の明かりに照らし出された池の
如月ユウが帰った後、青葉は自室で外の景色をぼ~っと眺めながら今日の出来事を思い返していた。
あの男の歓迎会は、いずみちゃんが参加したこともあって、想像していたよりも悪くない時間だった。と、言うより色々と想定外の出来事もあり、思っていた以上に楽しんでいた自分に今になって気が付く。
”コンコン”
その時、ノックの音がして姉が自分を呼ぶ声がした。
「………青葉、ちょっといい?」
ガチャリと扉を開けて、姉が入ってきた。何故か悪戯っぽい笑顔を浮かべた姉に、悪い予感しかしない。
「ねぇ青葉。如月君のこと、どう思う?」
………やっぱり。
姉は自分の普段とは違う様子に、目敏く勘付いたようだ。
「どうって…… 嫌な奴? ………です」
青葉のぶっきら棒な言い方に、姉はまた悪戯っぽい笑顔をみせた。
「ふふっ、嘘言わないでよ。あなた如月君のこと、気に入ったんでしょう?」
別に気に入った訳ではないが、色々な意味で気になるだけだ。だがそんな心の内を素直に姉に話したら、自分をからかうのを生き甲斐にしているこの人を喜ばす事態になるのは目に見えている。
それに夢の話しは姉にも、いずみちゃんにも話したことは無かった。話す必要のない夢、………いや、話してはいけない夢だと分かっていた。何故なら彼女達にも関係するかもしれない夢だからだ。
あの夢の中に出て来る二人は、彼女達によく似ている。
こんな事で悩むのは、自分一人で十分だった。今の人生には関係の無い夢の中の出来事に、二人を引っ張り込む必要も無いだろう。
黙り込んでしまった青葉の頭を、姉は優しく撫でてくれた。
「ねえ、青葉。あなたが何を考えているのか、何を悩んでいるのか、私には分からないけれど……ね。 ……私ね、彼を信じてみようと思ってるの。
………何故かな? なんでか分からないけれど、彼と話していてそんな気持ちになったの。でもあなたが恐れている様に、また傷付くことになってしまうかもしれない。………そしたら、ごめんね」
青葉は心の中で、小さく溜息をついた。
……自分が、悩んでいること。
昨夜、本堂で一晩明かした事を、この人は知っていたのだ。
そして青葉は改めて誓ったのだった。姉の気持ちを聞いた以上、
あの夢の内容は誰にも話すまい、と……
―――――――――――――――――――――
「こら、どうしたの?そんなに処に隠れて……」
笑顔を浮かべたクリケットが、自分の背中にしがみついたまま顔を見せようとしない女の子に話し掛けている。その笑顔と声は、その子のことが愛おしくて仕方ない彼女の気持ちで溢れていた。
……女の子の年の頃は、十歳位だろうか?
私にはその女の子が昔のクリケットの姿と重なって見え、二人の姿が涙で滲む。
「ほら、ちゃんと御挨拶しなさい。何度も話している様に、これからあなたを助けてくれるお父さんみたいな人達なんだからね」
「……いや、クリケット。せめてお兄さんってことにしといてよ」
すかさず笑顔でツッコミを入れるところが如何にもレイらしいが、その瞳は笑ってはいなかった。笑える筈、無かった。
しかし本当の名前で呼んでくれた事に、クリケットは嬉しそうに目を細めている。
「……紹介するね。新しく女王になるミューズちゃん。ご覧の通り恥ずかしがり屋さんなところもあるけど、とっても頑張り屋さんな子なの。彼女はね、羊飼いのお家で育ったんだけど、とっても楽器を吹くのが得意な子なのよ」
「へ~、それは素敵ですね。では御挨拶のかわりに……」
レイはポケットからハーモニカを取り出すと軽く吹いてみせた。そして演奏し始めたのは、牧羊が盛んな西の地域で親しまれている民謡だ。
最初は隠れていた女の子だったが、気が付くとクリケットの背中から顔を半分覗かせて、瞳を輝かせ始めている。
そんな彼女にレイは軽くウインクすると、ハーモニカを吹きながら楽し気に踊り出した。この曲には、楽しい踊りがつきものなのだ。
そこでスカーレットが、何事か小さく呟いた。すると周りが、楽し気なお祭りの風景へと変わっていった。
「さあさ、ほらみんなも一緒に踊って!」
レイはスカーレットとソレイユを促すと、三人で輪になって踊り出した。その三人の肩の上には、もちろん楽し気に踊るシアンの姿もある。
照れ臭そうに踊る男達の様子がおかしくって、クリケットが吹き出している。
「……ねえ、ミューズ。楽しそうだし、私たちも踊ちゃう?」
クリケットが手を取って楽し気なステップを踏み始めると、最初は恥ずかしそうにしていたミューズも段々と一緒になって踊り始めた。そして慣れてくると、笑顔で皆の踊りの輪の中にまじっていった。
10分程そんな楽しい時間が過ぎてレイが演奏を止めると、五人と一匹は肩を抱き合ってお互いの健闘を称え合いながら大笑いした。すると周りの景色も、いつもと同じ庭園の景色に戻っていった。
「スカーレットもソレイユも!あなた達の踊り最高!それにミューズも!あなたって踊りも上手なんだね!」
クリケットに褒められて、顔を赤くしたミューズが大きな瞳をクリクリさせる。
「……うん。踊るの、好きなの」
「うん、とっても上手だったよ。君は、音楽が本当に好きなんだね」
「うん!大好き!」
「それじゃあさ、僕たち一緒だね。……ねえ、ミューズ。僕たちも君の友達になっていいかな?」
レイがそう言って微笑みかけると、彼女は嬉しそうに頷いてくれた。クリケットは三人の前でも自然な笑顔を見せ始めたミューズに気付かれないように、そっとレイにウインクをした。………ありがとう、の意味なのだろう。
「じゃあ踊ってお腹もすいたし、食事にしましょうよ。今日はミューズと一緒に、皆が好きな食べ物をいっぱい用意したからね」
パーゴラのテーブルの上に目を向けると、そこには皆の大好物の料理が所狭しと並べられていた。
「ふふっ、貴方たちがろくに食事も摂ってないの知ってるんだから。いつも頑張ってくれている分、今日はたくさん食べていってね」
「ねえ、スカーレット。またアースのこと、教えてよ」
「ふふっ、またその話?クリケットは本当にアースのことが気になるんですね」
その話になったのは、テーブルの上の料理が綺麗に無くなってレイが珈琲を淹れてくれている時だった。クリケットがスカーレットに、またアースの話をねだっているのだ。
「ええ。だってこの世界と繋がっている、もう一つ別の世界があるなんてロマンがあるわ」
この話になるとクリケットは決まって大きな目を更に大きくさせて、キラキラと好奇心でいっぱいの顔になるのだ。そしてそれは、皆も一緒だった。シアンでさえもヒマワリの種を食べる手を止めて、二人の会話に聞き入っている。
「じゃあまずは、おさらいから……
アースは、この世界と繋がっているもう一つの世界。私達の生きている世界、アクアから見れば裏の世界と言ってもいいかもしれませんね。もっとも向こうから見れば、こちらが裏ですけどね。
他にも星の数ほど別の世界があるけど、アクアとアースは関係が深い。何故なら二つの世界は環境がほぼ一緒で、そこで生きている生物もとても似ているからです。大きく違うのはこちらが魔法が発達したのに対して、向こうは錬金術が発達したという処です。こちらにも錬金術はありますが、あちらの錬金術は僕達の想像を遥かに超えています」
そこまで黙って話を聞いていたクリケットは、鼻息を荒くした。
「そうそう!その錬金術の話をこの前聞いたのよ!大きな鉄の鳥が空を飛んだり、鉄のクジラが海を泳いだりしてるんでしょ?後は大きな鉄の蛇が物凄い速さで地上を走り回ったりしているのよね!」
クリケットの勢いに押されて珈琲を飲む手を休めると、まぁ落ち着いてクリケットと、スカーレットは苦笑いを浮かべた。
「今クリケットが話してくれた通りの出来事が向こうでは日常です。他にも鉄のサイや象に乗って移動したり、小さな鏡で遠くの人と顔を見ながら会話したり、その鏡で情報を共有したり、言い出せばキリが無い位の驚くべき錬金術が日常の中で行われている。こちらでも魔法を使って同じ様な事が出来ますが、向こうはそれが錬金術で行われている」
「向こうには、魔法は無いの?」
「あるよ。でもこちら程は発達していないし、日常には溶け込んではいない。一部の人だけが使える特別な力という意味合いが強いね」
「ふーん、じゃあこっちの錬金術みたいな感じだ」
スカーレットはレイの言葉に頷くと、興奮冷めやらぬクリケットを愛おしそうに見つめた。
「………で?クリケットは、アースに行ってみたいの?」
その神秘的な色をした瞳に見つめられながら、クリケットは少し考え込んでいる。
「………そうね、行ってみたい。なんだか楽しそうだし、そこで皆とまたバカなことをして笑い合ったり、美味しい食べ物をお腹いっぱい食べたり、喧嘩したり……なんて、そんな普通の毎日が送れたら、最高ね」
そう言ってはにかんだクリケットの笑顔がとても眩しくて、私は少し目を細めてから静かに頷いた。気が付けば、みんなも同じように口元に笑顔を浮かべてクリケットを見つめている。きっと私と同じ想像をして、幸せな気持ちになったのだろう。
「結構、昔は行き来があったみたいですよ。今も閉ざされてしまっている門を潜れば行くことが出来るみたいだけど…… でもそこには恐ろしい門番がいて、通行料としてその人にとって大切な何かを一つ、奪ってしまうんだとか……?」
「ふふっ、怖いね。でも大丈夫、きっと行けるよ」
どこまで本気なのだろうか……?クリケットは優しく微笑んで、全員の顔をゆっくりと見回すと、小さく頷いてから椅子から立ち上がった。
「それじゃあ、みんな。ミューズのことをよろしくね。
……ミューズ、あなたは一人じゃないよ。ここに居る皆は、全員あなたの味方なんだよ。これからこの国は、大きく変わっていく。そしてもっともっと多くの皆が、あなたの味方になるの。 ………だからね、きっと大丈夫だよ」
そう言って、今まで通り最高の笑顔を浮かべた彼女が手を振る。
「……それじゃあ私、ちょっとアースまで行って来るね」
その笑顔が、私が見た彼女の最後の笑顔だ。
――― 今日の昼休み ―――
今は高校の昼休みの時間だった。
青葉は、オカルト研究部の部室がある旧部室棟で昼食を摂ることにしていた。そこなら姉が部室に張ってくれた結界のお陰で幽霊を気にすることなく食事を楽しむことが出来たし、人の目を気にすることもなかったからだ。
青葉の食事の量は、他の人に比べると少しばかり多いらしい。普通に食べていると、必ずと言っていいほどドン引きした顔をされるのだ。
……あれくらい、普通の量だと思いますけど?
そんな事を考えながら、食事を終えて教室に戻ろうと中庭を歩いている最中だ。肩から下げたスクールバッグはすっかり軽くなって、足どりは軽い。さっきまでこの中には、姉の手作り五段お重箱弁当が入っていたのだ。
だけど……
ここ三日ばかり、すっかり食欲が無くなってしまっているのが不安だ。
そんな不安な気持ちを抱えたまま空を見上げると、さっきまでの晴天が嘘のようにドン曇りになっている。そう言えば今朝、天気予報のお姉さんが昼頃から雨が降ると言っていたのを思い出した。そしてこの
……もう直に、青葉の好きな梅雨がやって来る。
しかし少しだけ嬉しい気分になった青葉が視線を前へと戻すと、ある光景が飛び込んできて、ピタリとその歩みを止めさせてしまった。
少し離れたベンチに、あの男の…… 彼の、姿を見付けたのだ。
彼は眠そうな顔をした大男と二人で、何か楽し気に笑い合っている。
暫く二人の様子をじっと見つめていた青葉は、遠回りして教室へ戻ることにした。
その胸は……
また、ぎゅっと苦しくなっていた。
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