第三話 魔星アバロン

        

        ――― 二日前 ―――




「……そんな顔しないで。今まで色々な災悪があったけど、今回のは桁が違うの」


 何故か笑顔のまま、彼女はそう言った。その笑顔がとても痛々しくて、私は思わず目をつむる。



「あれを見て………」


 促されて重い気持ちで目蓋を開ける。そして彼女が指さす先を見つめると、そこには真っ赤な星が不気味な輝きを放っていた。


「魔星アバロン…… もうじき、この国に落ちてくる」



「星が…… 落ちるんですか?」


 彼女の言葉に、皆が思わずゴクリと唾を飲み込んだ。俄かには信じられない話だ。


「ええ、このままだとあと39日でこの国だけではなくて、この世界そのものが壊滅的な被害を受ける事になる」


「そ、そんな…… この世界が滅びるって言うんですか?」


 レイの驚きは当然の事だった。ここのところ、この世界では大きな戦争や災悪も無く平和な状況が長く続いている。急に終焉を迎えると言われても信じられる訳が無いのだ。


「……私もそう信じたいけど、残念ながら今までの歴史の中で世界樹様の神託が間違った事は一度もない。それに世界が滅びる訳じゃないわ。ほとんどの生物は死んでしまうけど、その後も生き残った生物で世界は続いていくの。


 でもね……私の【ミスフォーチュン・アクセプト】を全開にすれば、今までの世界は変わらずに続いていけるの。迷うこと、ないでしょ?」


 そう言って優しい微笑みを浮かべた幼馴染に、かける言葉が見つからず私は黙るしかなかった。



 今まで私達は、彼女の笑顔を見続けたくて……


 

 魔境を旅し、命懸けで国と国を繋げてきたんじゃないのか?


 ひたすらに魔力を磨き、知識を蓄え、果敢に未知の領域にまで足を踏み入れてきたんじゃないのか?


 必死に技を磨き、いつ死ぬかも分からない戦場に立ち続けてきたんじゃないのか?


 

 それに……



 以前までのこの国の女王は、体のいい生贄だった。


 一部の貴族達が暴利をむさぼる為に、祀り上げられた生贄だ。


 実際は一部の貴族が、この国の政を取り仕切っていて女王は暗い神殿に閉じ込められ、只ひたすらに世界樹の神託とこの国の災悪をその身に受け続けていたのだ。


 この国が異常なくらい平和のまま長く続いてこれたのは、女王が世界樹から受け取る神託と【ミスフォーチュン・アクセプト】の力で未然に災悪を退けてきたからに他ならなかった。


 しかし神託で受けた内容も一部の貴族達が都合がいい様に変えられて国民に伝えられ、そして女王の寿命が尽きれば次の女王に交代していく。それをずっと繰り返してきたのだ。


 そして多くの国民達は、その真実を知らなかった。


 傀儡かいらいでしかなかった女王が、本当の意味で国の中心になったのは10年程前の事だ。今ここに居る4人が中心になり、腐りきった旧体制を倒して新しい国に作り替えてきたのだ。


 旧体制を倒す事も、外敵に強く災害も少ない治安が良い国を作り上げるのも、国民が安心して幸せに暮らせる経済が安定した国を作るのも、どれも簡単な事ではなかったが、私達にはそれをしなければならない理由があったのだ。


 全ては少しでも、女王の元に災悪が届かない様に……


 女王が一人で、苦しまなくてもいい様に……


 そして未来に、女王に頼らなくてもやっていける国にする為に……



 その未来が、見え始めた矢先の出来事だったのだ。



 重税により苦しい生活を余儀なくされていた国民は、新体制を歓迎した。


 新体制になり治安が明らかに安定し、経済も大幅に伸び国民の生活は潤いと活気に満ちていた。それは未来に希望が見えるからだ。


 それに全てを知った国民達は、より一層ハルス女王に信頼と親愛の情を深めた様だった。今、この国は変わろうとしている。国民達が自らの手で、新しい国を作ろうと歩き出しているのだ。


 だが結局、最後はあのくそったれな【ミスフォーチュン・アクセプト】の力に頼るしかないのか?




「……あなたは気付いていたんでしょう、スカーレット?」


 押し黙ってしまった私達にもう一杯の珈琲を注いでから、クリケットはスカーレットに複雑な眼差しを向けた。


「アカシックレコードと繋がっているあなたが、気が付かない筈ないわ。……違う?」


 その眼差しを避ける様にスカーレットは俯き、苦そうな顔で珈琲を口にした。


「……はい。この災悪が来るのは随分前から分かっていました。ですから災悪に対抗する対策は、随分前からしてきたつもりです」


「……その対策、というのは?」


「魔星アバロンに別の星をぶつけます。その衝撃でアバロンの軌道を変えて、この世界に落ちて来ない様にするのです。もちろんその為には膨大な魔力が必要ですが、その為に私は自らの魔力の半分をずっと溜め続けてきましたので、もう十分な魔力は溜まっています」


 スカーレットの説明は、その場に居た男達に希望を与えた。この男はさすがと言う他ない。だが黙ってその説明を聞いていたクリケットは、突然一筋の涙を流した。そして次々と流れ落ちる涙は、止まることは無かった。


「……ありがとうスカーレット。 本当に…ありがとう。あなたには随分前から、一人で苦しい思いをさせてしまったね」


 彼女は流れる涙を隠すことも無く、スカーレットを見つめる。



「………でも、その方法はダメよ。あれが魔星と呼ばれる理由も知っているなら、何故駄目なのか分かっているんでしょう?」


「……………はい。 分かっています」


 何故駄目なのか分からず戸惑っている私達と項垂れるスカーレットに涙で濡れた顔を向けると、彼女は恐ろしい話を聞かせてくれた。


「みんなにも今回の災悪の本当の恐ろしさを分かってもらいたい。あの星が魔星と呼ばれるには理由があるのよ。……あの星はね、毒を放っているの。

 その毒は即効性がある毒ではないけど、私達を含め生き物の脳を刺激してパニック状態にさせる。特に野生の強い生き物や魔物達には強い影響を与えて、凶暴性が増す毒なのよ。

 もちろん私達人間にだって影響があるわ。みんな苛立ちやすくなって、ほんの些細な事で怒ったり、感情の歯止めが効かなくなったりする。ひいては戦争に繋がっていく様な恐ろしい毒なの。

 ………もし、あの星に強い衝撃を与えてしまったら、その毒が大量に散らばってこの世界に降り注いでくる。そして今、私が説明した以上の秩序が大きく揺らいだ混沌とした世界になってしまう。違う意味で、長く続く災悪が始まっていく事になるでしょう」


 クリケットが説明し終わった後、その場にいた誰も口を開かなかった。

 

 何故、スカーレットが全て理解わかった上で、誰にも話さず一人で長い間、その為の準備を行っていたのか、痛い程に分かってしまったからだ。


 その理由は、とても分かり易い。


 スカーレットは単純に、クリケットに生きていてほしかったのだ。


 例えこの世界が混沌とした世界になってしまって、そしてその全ての罪を自分が背負う事になっても、スカーレットはクリケットに生きていてほしかったのだ。


 それほど彼にとってクリケットは、この世界の全てを引き換えにしてもいいと思えるほど、大切な存在なのだ。


 そして、それはこの場に居る全員の共通の気持ちでもある。もし自分がスカーレットと同じ立場だったら、同じ選択をしていたに違いなかった。


 何故なら皆、それぞれに幼い頃からずっとクリケットを愛していたから……



「……クリケット。私は、それでも貴女に生きていてほしいんです。その災悪なら、私が…… 私達が力を合わせて必ず治めてみせます。だから、どうか…どうか……」


 スカーレットはいつも気高く、知性と魔力に満ち溢れ、その美しい容姿と合わさって神々しささえ感じる私達の長兄ともいえる存在だ。そんな彼が初めて見せる小さな子供が懇願するような姿を、私は忘れる事は出来ない。


 彼のその姿は、正に私自身の心を……… 


 ここに居る全員の心の中を、そのまま表していた。


 

 クリケットは椅子から立ち上がるとスカーレットに歩み寄って、強く抱きしめた。そして涙に濡れる彼の頬に優しくキスをした。


「ありがとう…… スカーレット。私を愛してくれて、本当にありがとう」


 それからクリケットは、その場にいる全員に同じ事をした。そして最後にシアンに優しく口づけすると元の椅子に座り、皆に向き直った。



「みんな、本当にありがとう。貴方達に出逢えた事は、私の宝です。私を愛してくれて、本当にありがとう。私も貴方達のこと、愛してる」


 

 ……その瞬間の彼女の笑顔は、確かに私の魂に刻み込まれた。

 

 そう言って笑顔をみせた彼女に、迷いは感じられなかった。聖女などというもの言うものがもしもいるとするならば、彼女の事を指すのだろう。少なくとも、私にとってのは間違いなく彼女の事だった。


「貴方達なら……… きっとその災悪を治められる。それはそうだと思う」


 彼女はそう呟くと、胸に手を当て少し苦しそうな顔をした。


「でもね。その力は、新しい女王の助けと皆の為に使ってあげて」



 彼女のその言葉は、私にとって絶望でしかなかった。辺りは暗闇に包まれ、彼女の声以外、何も聞こえなくなった。



「どちらにしろ………もう、私の命は長くないの。それに、その災悪を治めきるまでに、きっと多くの人達が犠牲になるでしょう。

 私のミスフォーチュン・アクセプトの力を使えば、あの魔星の軌道をゆっくりと変え、この世界にぶつからない様にする事が出来る。それは、私の役目よ」


 その時、改めて私達はいつも明るく元気に映っていたクリケットが、ずっと闘い続けている事を理解した。

 いくら頑張っても、全ての災悪を取り除く事など出来はしないのだ。今、この瞬間も、あのくそったれな力が彼女の命を徐々に奪い続けているのだ。


 

 彼女は暫く無言で皆を眺めると、笑顔を消した。その顔はもう、幼馴染のクリケットではなくハルス女王の顔になっていた。


「………女王ハルスとして命じます。

 スカーレット・アルシャーク。貴方は女王の引継ぎによる混乱が起きない様に内政の安定を図った後、溜め込んだ魔力を使ってこの世界全体にシールドを張って下さい。

 魔星アバロンの通過から100日間の間は、毒が降り注いできます。貴方には、それを防いでほしいの。……貴方の溜め込んだ魔力で、それが出来ますか?」



「……はい、可能です。御意のままに」



「それからレイ・ジョンブリアン。貴方は引継ぎによる経済の混乱が起きない様に対策を取ると同時に、同盟国に対しても前もって今後も安定した関係が続けていける様に働きかけて下さい。

 女王が交代してもこの国は安定的で、両国は引き続き良好な同盟国であり太い信頼関係で繋がっている事をしっかり伝えて、お互いの有事の際には両国は協力を惜しまない事を改めて確認して下さい。……各国への親書は、明日までに書き上げておきます」



「……はい、御意のままに。女王陛下のお心を、しっかり御伝え参ります」



「それからソレイユ・アルシャーク。貴方は女王交代による混乱に乗じて動きがあるだろう、北の国境の守りを固める事。それと今の王政に対して快く思っていない旧政権の残党連中が集まって混乱が起きない様に、特に目を光らせて下さい」



「……はい、御意のままに。外敵からも身中の虫からも、この国を守り切ってみせます」



 ハルス女王は、三人を頼もしく見つめると大きく頷いた。


「では、それぞれに宜しくお願いします。これから私は、親書を書き上げた後に新女王を向かいに行き、引継ぎを行います。今から三週間後、忙しいとは思いますが、一度ここに集まって下さい。貴方達を新女王を合わせますので」


「女王陛下自ら向かいに行かれるのですか?」


「ええ、私の時は大勢の人達が押しかけて、大変な騒ぎになったでしょう?だから今回は私一人だけで行くわ」


「駄目です!せめて少数でもお供を……! 私達がついて行きます!」


「貴方達は忙しいでしょう? ……じゃあ、シアンを連れていくわ。大丈夫よ、ペガサスに乗っていくし、いざとなったら帰還の魔法を使えばいいんだから」


 ハルス女王は渋々頷く三人を確認すると、徐に目を閉じた。


「………それが全て済んだら、私は来るべき災悪に備えて世界樹の下でミスフォーチュン・アクセプトの力を使います」



 三週間後……


 それがハルス女王陛下……


 クリケットに逢える、最後の時間ときだ。








 レイとスカーレットが帰った後も、ソレイユはまだ女王の元に残っていた。


 ずっと無言のまま、クリケットを見つめている。


「……どうしたの、ソレイユ? さっき女王として、貴方にやって貰いたい事は伝えたでしょう?」


 悲しそうな顔をして、クリケットもソレイユを見つめる。


 ソレイユはテーブルの上の小さな友人に一度視線を送ると、徐に立ち上がった。


「これから国内の不穏分子達の対策を部下に伝えた後で、北の国境に向かいます。三週間後まで戻れないでしょう」


「ええ、お願いします。あちらは寒いから、十分な準備をしていって下さいね」


 クリケットの気遣いに軽く会釈した後、ソレイユはクリケットに近付いて行った。

 

 そしてもう手を伸ばせば彼女まで届く場所まで歩いて行くと、ソレイユの瞳から涙が溢れ出た。



「……女王としてではなく、クリケットとしての願いは… ないのですか?」


 震える声でやっとそれだけ言うと、ソレイユはクリケットを抱きしめた。



「…………ソレイユ、辛くなるだけよ。止しましょう」


 暫くして、腕の中で聞こえたその声と体は震えていた。


 ソレイユは、声を出して泣いた。


 後で思い返しても、こんな泣き方をしたのはこの人が連れて行かれてしまった時、以来だった。


 クリケットはそんなソレイユを強く抱きしめ返すと、その厚い胸に顔を深く埋める。



「……ねえ、お願い。キスしてソレイユ」






  ―――――――――――――――――――――     



 

 ロウソクの灯りが揺れている。


 深い森の中に居るような落ち着いた雰囲気が、心を少し落ち着かせてくれた。


 時刻は午前一時頃。


 青葉は輝命寺の本堂に一人座りながら、目の前の御本尊を静かに見つめていた。


 先程、寝付いてから直ぐに視た夢と、昨日の夕方に出逢った如月ユウと名乗った男のことを思い出して、また青葉の胸は苦しくなった。


 あの夢の中の私も、心臓が握りつぶされる程の苦しみに悶えていた。その感情が、そのまま青葉に伝わってきているのだと思った。

 いくら頭で今の自分の事ではないと理解わかっていても、その感情を抑える事が出来ずに、青葉を苦しめるのだ。


 あの夢は、間違いなく終わりに向かっている。


 それまで我慢すれば、済むと思っていた。



 だけど………


 あの如月ユウという男の人は、何なんでしょうか………?



 昨日、突然部活に入部する事になったは、いけ好かない男だった。頭に来たので、同級生のその男に自分の事を先輩、姉の事を先生と呼ばせる事にする。


 しかし明日は日曜日だが、あの男がここに来るという。あの男の歓迎会をすると姉が言い出したのだ。



 ……馬鹿らしいです。


 姉さんが一体、何を考えているのかさっぱり分かりません。他人と心を通わせようとしても傷付くだけだと、一番分かっているのは姉さんじゃないですか?


 どうせ関わったところで直ぐに逃げ出すのは分かっているし、その事に傷付くのも分かっているじゃないですか?



 だけど……


 青葉は自分の心が柄にもなく浮足立っているのを、冷めた視線で見つめている。だが同時に、恐ろしさに近い不安な気持ちに圧し潰されそうになっているのも感じている。



 そんな事を考えながら、青葉は御本尊を静かに見つめ続けた。普段はあまり、こうして本堂で時間を費やす事は無い青葉なのだが……



 ここは、いいです。


 心を落ち着かせてくれます。



 この時間帯に、この場所に人が来るなんてことはまず無いし、幽霊にしたって姉が張った強力な結界のお陰で、こちらから招き入れなければ入ってくることなんて出来い。




 あの男が、ここまで自分の心をかき乱す原因は分かっていた。


 ……あの女性ひとと、同じだったのだ。     


 あのいけ好かない男は、夢の中のあの女性ひとと同じ魂の色をしていた。


 あの人と同じ香りがし、あの人と同じ音を奏で、あの人と同じ味を感じる魂。

        

 


 結局その夜、青葉は一晩中本堂で自分の魂に向き合った。


         

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