くたばれ、こんちくしょー!
「寝るのはや」
いったい、ここ数日で何冊読んだのか。ガラスのテーブルの上に積み重ねられた本の山はざっと見ても十冊近くある。顧問だからってこんなに根詰めなくてもいいのにな。
適当に選んだって誰も文句なんか言わねーってのに、浅見先生はいつだって一生懸命で真っ直ぐだ。
俺はすやすやと眠る先生の頬に手を伸ばす。
特殊メイクのせいで鮫肌も真っ青のざらざらとした手触りに苦笑がもれた。
メイクしたままで寝て大丈夫なのかよ。お肌荒れそうな気がすんだけど。なーんて、女でもねーのに心配してしまう。
それでも心地よさそうな寝顔を眺めていれば、あの夜を思いださせた。
あの時も思ったことだが、先生って警戒心なさすぎじゃないか?
コテージで寝泊まりした時だってセクシーを極めた格好にくわえて、理性を吹き飛ばすだけの事柄は二つや三つ軽くあった。
今回だって男と二人っきりで寝泊まりなんだから、ある程度は警戒しないと。まあ貴婦人ゾンビにムラムラくる男がいるかは謎だがな。
「……襲われても知らないっすよ」
ぽつりと呟いた時だった。
――カリッ、カリカリッ……。
一瞬、聞き間違いかと思った。俺は先生から目を逸らさぬまま、ピタリと動きを止めて耳をそば立てる。
――カリカリ……カリカリカリカリ…………
音はより鮮明に、そして顕著に静まり返った部屋に鳴り響く。
顔を強ばらせ、音のするほうをゆっくりと振りかぶってみれば、どうやらキッチンから聞こえてくるようだ。まるで壁の内側から何かが爪を立てているような。
「おい、嘘だろ。浅見せん――」
真っ青になった俺は慌てて浅見先生の肩を揺すろうとして、伸ばしかけた手を引っ込める。
先生は今さっき寝ついたところだ。せめて三十分……いや一時間は寝かせてあげたい。
ここはなんとか俺一人で乗り切るほかないな。
(どうする。キッチンに行ってみるべきか? いや、先生から目を離した隙に何かあったらどうする。やっぱりここで防御に徹するべきか?)
けど、じっと黙って不気味な音を聞いているってのも怖すぎる。俺はつないだ手をそっと放し、支えを失った手がソファから落ちないように横たわる先生の胸の上で彼女の両手を重ね合わせた。
こうしてみると本当に棺桶で眠る死体のようだ。でも何かが足りない。そうだ、手の中に白い花があれば完璧だな。
俺はテーブルの一輪挿しから白いバラを抜き取り、そっと先生の手の中にさしこんだ。
(よし。これならキッチンの幽霊も死体だと思って先生には寄りつくまい!)
ぶっちゃけ音でしか存在をアピールできない幽霊よりも貴婦人ゾンビの方が怖い。こんな時にまで存在感をアピールしなくてもいいと思うんだが、まったく先生には困ったもんだ。
今にもカッと目を開けて飛びかかってきそうな貴婦人ゾンビから目を逸らし、キッチンに鋭い目を向ける。
今もなおカリカリとした不気味な音は断続的に聞こえてきていた。
俺は一秒たりともキッチンから目を離さず、ポケットに忍ばせておいた塩の袋を取り出し、ビニールのパッケージを引き裂く。穴の開いたところから手を突っ込んで塩を目一杯握りしめ、慎重に足を進めた。
カリカリカリカリ……
近づくほどに音は大きくなってゆく。
しだいにガリガリと生々しく音を変えるそれに、心臓が早鐘を打ちはじめる。
(やべえ。怖ええええっ)
俺から見てキッチンの奥は死角となっており、何が潜んでいるかは、ぐるりとまわってみないことには分からない。
すでに恐怖が限界突破していた俺は、花咲かじいさんよろしくキッチンまでの道のりに塩を振りまく。右へ左へ、上から下へ。俺の〜軌跡は塩の味〜! などと鼻歌すら刻んでしまった。
おお、まるで俺の人生を物語るようじゃないじゃないか。この歌をうたうと塩味のポテチが身内のように感じられるな。次からは一枚一枚大事に食そう。
ちょいと斜めに傾きかけた思考を頬に平手を打って正気を取り戻す。危ない危ない、怖すぎて現実逃避してた。今は黒歴史に想いを馳せている場合ではない。ここで気を抜けば、恐ろしい災いが降りかかる。俺は表情を引き締めた。
(やれるもんならやってみろ。こっちには世にも恐ろしい貴婦人ゾンビがいるんだからなっ! 階級的にはこっちが上だろ⁉ 崇め奉れ、跪け、ひれ伏せ者共が‼)
一歩一歩と近づき、ついにカウンターの真横まで来た。あと一歩踏みだせば奥の様子が見える距離。
「悪霊ごときが俺のテレビを脅かすとは何事か‼ くたばれ、こんちくしょ――ッ‼」
俺は心を決めて踏みこみ、同時に手にした塩をキッチンに向けてまき散らす。
ぶわっと白い粒子が宙に広がり、床やキッチンに降りかかる。
悍ましい姿をした幽霊か、それとも白塗りの子供か。なんならチェーンソーを持った死神マスクの殺人鬼である可能性すら念頭に置いていたにも関わらず、俺にはキッチンに潜む何者かの姿を捉えることはかなわなかった。
(ちっ。やっぱ、こういう時は霊感がないと不便だな!)
いざ立ち向かうと決めた以上、霊感不足に苛立ちを禁じ得ない。見えない以上は、俺の武力も役に立たないからだ。こんな日もくるやもと、鍛錬を積んだというのに。
きっかけは小さい頃に陽平んちで見たホラー映画。あれを観たあと、ちびりそうなほどビビり散らかした俺は剣道を習いたいと親に頼み込んだ。その後はゾンビ映画を見て柔道を習い、ヴァンパイア映画を見て合気道を習った。とにかく奴らが出てきても太刀打ちできる
あいにくと霊感は絶望的皆無だったのでエクソシストを目指すことは諦めたが、体術はひととおり身につけたので霊力の籠った剣とかあれば太刀打ちできると思うんだ。
何はともあれ鍛え上げられたのは霊感以外のものばかり。じつに残念だ。
あまりの霊力のなさにキッチンの亡霊も呆れ果てたのか、塩をまき散らした途端、不気味な音がぴたりと止んだ。だけどその代わり――。
タタタタタタッ……!
子供の足音みたいな音が天上を叩く。
「きいええええええ――いっ‼」
俺は磨き上げた反射神経で即座に反応。塩の袋を脇に抱え、奇声を発しながら天上に向けて塩をぶちまける。天上の板が防壁となったのか効果は見られず、足音は浅見先生の寝ているほうへ猛スピードで向かっていく。
(まずい!)
天井裏の幽霊が先生を狙っていると判断した俺は、奴より早く先生のもとへ辿り着こうと駆けだした。しかしさすが幽霊というべきか、異常なほどに移動が速い。
(くそ。このままじゃ先生がっ!)
天井裏の足音が先生の真上に到達したのと同時に俺は塩の袋を大きく引き裂き、まるごと先生に向かって投げつけた。
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