二人で泊まるコテージ
鉄板の上に乗った肉を見た瞬間、少々気がかりだった先生のことは光の速さで宇宙の彼方に消えていった。
じゅうじゅうと肉汁を弾く音だけで白飯三杯、立ち込める芳ばしさで更に三杯イケそうなのに、フルーティなタレで照り照りに色付いた肉はミディアムレアで柔らかさが満点。
さすが読書好きが集まった朗読部。BBQに関する知識も半端ない。実践はしたことがないと言いつつも器用に調理する。出来上がった料理は全部文句無しに美味くて俺のテンションはうなぎ登りだった。
BBQが終わった後はホテルに戻って就寝という流れだったが、そこで俺はもう少し残りたいと告げた。
まだ眠くなる時間でもないし、ホテルに戻ったら先輩方と相部屋だ。雑談に巻き込まれたら集中力が切れそうな気がする。
あまり無理はしないでねと優しく声をかけてくれた優里先輩を笑顔で見送り、ちらりと隣に視線を流せば、浅見先生も当然の顔をしてみんなに手を振っていた。
「先生は戻らないんですか」
「戻らないわよ、先生だもの。生徒を放っておけません」
あっちの生徒はどうなるんだよ。そう突っ込んでもいいだろうか。
「分からないところがあったら教えるから。わたしもいたほうが捗るでしょう?」
「まあ……そう、ですね」
いちいちスマホやら辞書やらで検索をするのは正直手間だ。浅見先生に聞けばすぐ答えてくれるからな。ふと二人きりの朝練を思い出す。色々と苦労もあったが、こと勉強に関してはあれはあれで確かに捗る方法だった。
時間もあまりない。ここは先生の胸を借りるとするか。
「じゃあ、お願いします」
「ええ」
二人きりになったコテージで浅見先生はキッチンに立ち、珈琲を淹れている。こぽこぽとお湯を注ぐ音と心安らぐ芳ばしい香りが部屋に満ちていく中、ダイニングテーブルで分厚い本のページを捲る俺は不思議なことに気がついた。
今まで女と二人きりという空間には恐怖概念があった。過去のトラウマから、どうしても居心地の悪さを感じて逃げ出したくなる。
初めて浅見先生に呼び出された時もそうだった。なぜ放送室なのか訊ねたのもそのせい。先生なんだから大丈夫だと思っていたのに、結果はあれだったしな。
だけど今はまったくそんなことがない。散々二人で朝練をしてきたから慣れたのかもしれない。担任であって顧問でもあって。浅見先生と一緒にいる時間は多い。
早瀬の件もあってわずかばかりの信頼が生まれたのも確かだ。なんにせよ、先生には素顔もバレているし猫を被る必要もないからホッとできる。
俺は瓶底メガネをテーブルの上に置くと野暮ったい前髪を掻きあげた。それだけで目の疲れが和らぎ、息をつける。
テーブルに珈琲カップを二つ置いた浅見先生は俺の素顔に気づくと頬を緩め、何も言わずに向かい側に腰掛けた。
ときおり湯気の立つ珈琲を口に含みながら、俺たちは同じ時を過ごす。
都会の喧騒から離れたこの場所では、さわさわと揺れる木の葉や夜鳥の鳴き声が聞こえるだけ。驚くほど穏やかな時間の中で二人の間にはページを捲る音だけが互いを追いかけるように小さく響く。
居心地は悪くない。沈黙を破って分からないところを訊ねれば、先生が丁寧に教えてくれる。読書は思った以上に捗った。
何杯目かの珈琲に手をかけた時、浅見先生が本を手にしたまま目を閉じていることに気づいた。
あれ、いま何時だ?
ハッとして時計を確認すると時刻は夜中の一時半過ぎ。しまった、熱中し過ぎて時間経つの忘れてた。先生寝ちゃったか?
「先生?」
反応がない。
「先生」
あ、やっぱ寝てるわ。どうすっかな。まさかここに一人で置いて行けないよな。
そばに寄って軽く肩を揺すってみたらカクンと首が落ちた。これ完全に寝てるわ。
仕方ないので先生の鼻先に引っかかったメガネを外し、そっと抱きかかえて二階の部屋へ運ぶ。露出の多い格好をしているから何をどうしても素肌に手が触れる。
華奢な肩にほっそりとした首、大きく開いた胸もとからは危うく小玉スイカがこぼれ落ちそうだ。すべすべの背中にまわした腕からは先生の体温がほんのりと伝わってくる。
メガネを外した先生の顔は初めて見るが、派手な格好のわりに寝顔があどけなくて、ふっと笑いがもれた。
階段を上りきるとあまり音を立てないように寝室のドアを開け、そっとベッドに寝かせ布団をかける。気持ちよさそうな寝顔にまた一つ笑みがこぼれる。そのまま床に腰を下ろした俺は先生の寝顔を見つめた。
「先生、遅くまで付き合わせてごめんな」
答えはないと分かっている。でも言わずにいられないだろ? 遠出だったからきっと疲れたんだろうな。
せっかくあんな豪華なホテルに泊まっているんだ。途中で戻ろうと声をかけてくれても良かったのに。眠いのをこらえてずっと俺に付き合ってくれて、先生には悪いことをしちゃったな。
「彰くん……」
「先生?」
一瞬起きたのかと思ったが違ったらしい。先生は長いまつ毛を閉ざしたまま、むにゃむにゃと口を動かした。
「寝言かよ」
なんで俺の名前なんだよ。どんな夢見てんのさ。苦笑する俺の耳にまた声が届く。
「せっかく……水着…買ったのに」
「それはすみませんでしたね」
「ダンス……また一緒に踊りたい…わ」
「機会があればね」
「小さいのが好き……なの?」
「なんの話ですか」
「わたしのこと……すき?」
意思疎通のない寝言との会話。
最後の質問にだけ俺は答えなかった。
先生がまた深い眠りに入ったのを見届けたあとに部屋の電気を消し、俺は隣のベッドに寝転がる。すーすーという寝息を子守唄代わりに目を閉じれば、あっという間に意識は落ちていった。
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