理由の分からない変化

 ベルボーイの話では敷地内にあるコテージは予約制で貸し切ることができ、BBQなどを行うこともできる。加えてウォータースライダー付きの大型プールやアドベンチャーコースまであり、様々なアスレチックを楽しめるらしい。 


 (マジでバカンスじゃねーか)


 そう突っ込まずにいられない。てっきり小さな旅館で黙々と練習するものだとばかり。ここに来るとド派手な浅見先生の格好も全然浮いてないように見えるから不思議だ。


 受け付けをしている最中、荷物を持ったベルボーイの視線が浅見先生の太ももから今にもこぼれそうなスイカに注がれていることに気づき、さり気なく視線を遮った。


 まあ、これが普通の反応だろ。マジでパンツ見えそうだからな。前を隠しても背中は丸見えだから分身が欲しいところだ。一体なんだってこんな格好をしてきたんだよ。


 案内された部屋は三つ。うちの部は女子が多めで男は俺を入れて三人しかいない。男は纏めて一部屋、女子は先生を含めて二部屋だ。


 それで朗読の練習はどこでするんだって話だろ。先生はコテージを予約していた。


 一階には広々としたリビングに風呂、トイレ。二階にはベッドが三つ並んだ寝室と一風変わった音響施設があった。なんでもコテージによって付属するアメニティ施設は異なるらしい。


 きちんと防音がなされてある上に他のコテージとは距離が離れているから、どれだけ大きな声を出しても迷惑にならない。時間制限もないから練習し放題。


 備え付けのキッチンでは休憩に入った先輩方が差し入れなんかを作ってくれる。どれも美味しかったけど、浅見先生の料理を食べたくなったのは秘密な。そんなことを口にしたら毎日作ってきかねない。


「さあ、休憩にしましょう!」


 昼過ぎから練習を開始して三時間。妙にテンション高めな先生の声に先輩たちが嬉しそうに顔を上げる中、俺は手した本を睨んで唸り続ける。


 今回コンテストから指定された作品は、受賞した文芸作品が四つと「自由作品」。朗読時間は二分以内と決まっているため自分で気に入った場面を選び、抑揚を付けて朗読しなければならない。


 先輩方はみな揃って読書家だったらしく、指定作品はすでに全部読んでいたようだ。さっさと作品を選んで朗読部分を選び、練習に取り組んでいる。


 だけど俺は読書とは無縁の人間であり、受賞作品の名前すら知らない状態からスタート。選ぶにしても内容を読まないわけにいかず、生まれて初めて朝から晩まで読書に勤しむという環境に身を置くことになった。


 今年新たに加えられた「自由作品」は指定作品以外で好みの本を選ぶことが可能で、個人的に思い入れのある作品を読むことができて嬉しいと優里先輩はふんわりと笑う。


 俺といえば思いつくのは漫画ばかり。仕方ないので、この分厚い受賞作品とやらを読み漁っているのだが……


「眠い。眠い。眠い。眠い」


 瓶底メガネをかけて真面目そうなフリをしていても、数ページ読み終わる頃にはカクっと首が落ちる。


 しかし、この合宿の最終目標は時間内の朗読にある。体内時計で時間の感覚をつかみ、ストップウォッチがなくても時間内に朗読できるようにしなければならない。


 ただ黙って数えるなら二分を測ることは可能だ。ただし抑揚をつけて朗読しながらとなると難易度が爆上がり。だから一刻も早く朗読作品を選び、練習に取り掛からなくてはならない。


 余裕のある先輩方は意気揚々と部屋を飛びだして行ったが、俺はソファから離れない。この二日間であと二冊も分厚い文芸書を読破しなくてはならないんだ。


 相変わらず漢字で躓くことも多いし、慣用句でも引っかかる。ただでさえ時間がかかるのに、遊んでいる余裕なんてあるはずがない。


「彰くん、プールに行かない?」

「結構です」

「わたしの水着姿見たくない?」

「まったく」

「凄くセクシーなのよ」

「そうですか」

「じゃ、じゃあ。アスレチックは? 楽しいわよ」

「結構です」


 ちょこちょことうるさいガヤは完全無視。

 俺はどこにも出かけず、延々と本を読み続けた。そして窓から見える景色が薄暗くなった頃にようやく顔をあげ……


「うおっ! ビックリした。何してんですか、先生」


 目の前に膝を抱えて俯いた座敷わらしみたいな浅見先生を見つけて飛び上がった。髪が長くて黒いだけに本当に幽霊かと思った。いつからこうしてたんだ。怖ぇよ!


「だって全然相手にしてくれないだもの」


 浅見先生は恨めしそうな目を向けてボソッとつぶやく。俺はそっと視線を逸らし、周囲を見渡した。


「みんなは?」

「BBQの準備をしているわ」

「じゃあ俺らも行きましょうよ」


 先生はどんよりと曇った顔でゆらりと立ち上がった。


 だから怖いって。

 そんなに落ち込まなくてもいいだろう。

 そもそも本来の目標は朗読の練習だし、遊ぶことじゃないだろうが。


「明日も相手はできませんよ」


 キッパリ告げると先生は泣きそうな顔をして俺をみた。なんでそんな顔をするんだ。


 泣きだす女は嫌いだ。大抵理由が分からないし、分かったところで納得のいくものでもない。だからこういう場合、俺はいつもシカトする。今だって気づかないフリをしてさっさと部屋を出れば良かったんだ。


 なのに、なんでかな。


「寂しいなら他の部員と遊べばいいじゃないですか」

「彰くんがいいの」

「なんで俺にこだわるんです」


 いつものように冷たくできないのは。


 それはきっと浅見先生が俺の理解を超える存在だからだ。毎度毎度、予想の斜め上をいくから放っておいたら何をしでかすか分かったもんじゃない。


 冷たく突き放せない理由がそれしか思い当たらなくて、この時は本当にそう思っていた。


 だけどそれは理由の分からない変化の始まり。もっと早く自覚できていたら良かったが、俺は意外と自分の心に鈍感な男だったらしい。明確な理由に気づいたのはもう少し後のことだった。

 

「それは……」

「せんせーい。如月くーん。できたよ~!」


 言い淀んでいた先生がやっと口を開きかけた時、外から優里先輩の声がした。反射的に振り返った俺は玄関から覗き込んだ優里先輩を見つけて手を振る。


 その傍らで浅見先生が顔を赤らめていたなんて知りもせずに。

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