三章

熱気の後の冷静

「俺、なに考えてんの?」


 翌日、ゆったりと目覚めた俺はポスッと枕に頭を沈める。


 体育祭、やらかし過ぎだろ。菊地の熱意に煽られ、メガネ放り出してガチで走っちまったし。でも誰も突っ込まなかったからセーフだな。


 浅見先生の弁当はどうだ。そもそも浅見先生が料理教室に通い始めたのは自分のためだ。その成果を見て欲しいってことだったよな。ならギリギリセーフ?


 俺に張り付いてずっと写真を取り続けていたのは……ありゃなんだ?


 あ、そうか。浅見先生は根暗な陰キャが好きなんだよな。撮影料を取りたいくらいには写真撮られまくったが、あの冴えない容姿がお気に召したんだろう。ともかく素顔じゃないから大目にみなくもない。


 あとは浅見先生のダンスか?


 あれについては謎が多すぎる。もしかして浅見先生、普段はヒップホップ系の格好してんのかな。セクシースタイルは学校専用? さすがに教鞭取るのにヒップホップはマズイから有り得ない話じゃない。


 よしよし、段々考えが纏まってきた。


「いや、違う。纏まらねーわ」


 問題は最後だ。


「あのダンス……」


 菊地曰く、あのラストダンスは告白タイムを兼ねる。でも告白はされてないし、俺もしていない。


「ならセーフ?」


 いや、待て。告白は最終段階だろう。要はあのダンスに参加する意義だ。既に出来上がったカップルとこれからカップル成立を狙う男女。あそこに足を進めるのはその二種類の人間のはずだ。


 ……ってことは?


「浅見先生が俺を……好き?」


 呟いた途端、笑いがでた。


 ないわ。それはない。単純にその場のノリで誘って来たんだろう。断れば良かったのに応じた俺が馬鹿なんだ。本当にあの時はどうかしてた。


 でも……誘ってきた時の浅見先生の顔。あれ、照れてたんじゃ……


 俺はブンブンと頭を振り、ビタビタと頬を叩く。それから勢いよくベッドから飛び起きて熱いシャワーを浴び、ランニングに出た。


 んなわけあるか。メガネしてたし、暗かったから表情なんて分からない。やっぱアドレナリンだろ。人間の生体ってマジで怖ぇ。


 嫌な考えを吹き飛ばすように近所を全速力で三周した頃には、やらかした数々の出来事も妙に引っかかる浅見先生のこともすっかり頭から抜け落ちていた。本当に俺って単純な。


 だけど忘れたのは俺ひとりだったらしい。週明けの月曜日、朝練前に教室に赴いた俺は思いがけない光景を目にする。


「おお! 本当にこんなに早く来ているんだな」

「待ってて良かった」

「如月くん、おはよう」


 知らない顔の先輩方が俺の席を取り囲み、ドアを開けた途端一斉に振り返った。


「……おはようございます」


 なんだ? 


 たぶん運動部の先輩だと思うが、こんな朝っぱらから部活に行かないで何してんだ?


「先日は大活躍だったね」

「バスケの試合、見たよ。陽平を躱したあのシュートは見事だった。フォームも綺麗だったしさ。もしかして昔やってた?」

「確かにバスケも凄かったけど、やっぱり最後のリレーじゃん? あれはマジで全国狙えるぜ」

「はあ……どうも」


 先輩方は俺が眉をしかめたことに気づかなかったらしい。俺をそっちのけで、どの競技が一番素晴らしかったか押し問答を繰り広げ始めた。


 ……とりあえず放っておくか。


 そう決めて机の横に鞄を引っ掛け、そそくさをその場を後にしようとしたらポンッと肩に手が乗った。


「待て待て。話は終わってない。浅見先生のストーカー事件から始まり、きみの噂は勝手に独り歩きしているんだと思っていたけど、それは間違いだった。体育祭できみは見事に実力を証明してみせた。俺ら部長はきみを本気で勧誘することに決めたよ」

「そうですか。それはご自由に。だけど俺、運動部に入るつもりはないので」

「いまは朗読部だっけ?」

「はい」

「もったいねー! おまえそれ絶対損してる! 確かに浅見先生は綺麗だけど担任なんだろ。いつでも会えるじゃん」


 イラッ。あんた、どこの部長だよ。何があってもおまえの所にだけは入部しねえ。


 朗読部=浅見先生狙いって決めつけるのが腹立つ。おまえら実際入ってみろ。朝から補習があるんだぞ。呪文唱えなきゃならねーんだぞ?


 今は詩という難解問題を解析中だ。これ本当に同じ日本人が書いたのか? って何度考えると思う。むしろ読めるのが不思議なくらいだ。


 その努力を女のためだと思われるのは納得がいかない。


「べつに先生狙いで入ったわけじゃないんで」


 目を覆う前髪と瓶底メガネのお陰でムスッとした顔はバレてないはずだが、低くなってしまった声と苛立った口調で伝わってしまったらしい。先輩はちょっと意外そうな顔をして笑った。


「そう怒るなよ。聞くところによれば、きみだけ朝練を行ってるそうじゃないか。それを聞いたら、なにか下心があるんじゃないかって思っちゃうだろ?」

「なに言ってるんですか。他の部員がサボってるだけですよ」

「え? いや、俺のクラスにも朗読部の奴いるんだけどさ。朗読部に朝練なんてないって言ってたよ」

「は?」


 え? どういうことだ? 毎回サボってるから朝練の存在忘れただけじゃねーの?


 顔をしかめたり首を傾げたり。いまいち考えが纏まらずコロコロと表情を変える俺が面白かったらしい。俺の疑問を読んだようで先輩は笑いだした。


「文化部に朝練はないよ。あるのは運動部だけ。稀に自主トレで早く来る奴もいるけど、強制じゃないから朝練って呼ぶほどのものじゃない」

「浅見先生狙いじゃないんなら話は簡単だろ。良かったじゃねーか。朗読部やめてうちに来いって」


 朝練が存在しない? そんな馬鹿な。でも……まてよ。


 もしそれが本当なら朝練に俺しか来ないことも合点がいく。


 じつは前々から疑問だったんだ。朝練はサボるのに放課後の部活にはみんな顔を出す。放課後の部活には浅見先生だって参加してる。それなのに朝練のことを誰にも問い正さないし、みんなも口に出さない。


 普通に和気あいあいとした雰囲気なもんだから、敢えて空気を壊す必要もないと思って黙ってたが……。


 言われてみると何かおかしい。


 だって先輩方は気のいい人ばかりだ。学園の陽キャランクでいえば中の下。ほどよく落ち着きがあり、わりと真面目な人が多い。いつも熱心に取り組んでるのに、そんな人たちが朝練をサボるか?


 考えれば考えるほど胸のモヤモヤが大きくなり、俺は眉間の皺をさらに深める。


 ここで悶々と思い悩んでも仕方ないか。まずは浅見先生に確認しないと。納得のいく答えをもらえれば大丈夫なはずだ。


「とにかく。俺の狙いは浅見先生じゃありません。朝練も先生に言われて出ているだけだし自主的に行ってるわけじゃないんで。変な勘繰りはやめて下さい。それと何を言われても運動部には入りませんから。じゃ、失礼します」

「あっ、おい!」


 俺は一方的に話を切り上げて教室を飛び出した。また運動部の勧誘が始まったのにはウンザリするが、それ以上に浅見先生狙いって思われたことに腹が立つ。


 放送室に向かう途中、声をかけてきた先生方を全部シカトして横を駆け抜けた。一分一秒と時間が経過するにつれ、不確かなモヤモヤが不安に変わっていく気がした。廊下の突き当たりには放送室のプレートを掲げだ分厚いドア。


 バァン!


 軽く息を切らし、走った勢いでドアを押し開けた。突然響いた大きな音に、長い足を組んで椅子に腰掛けていた浅見先生は目を丸くして振り返った。

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