浅見、渾身のお弁当

 その後はサッカーやバレーの応援に向かって観戦を楽しんだ。グラウンドと体育館を往復するだけでもわりと大変だ。


 途中で女優ハットを被ったジャージ姿の不審な人物を見つけたけど、あれ浅見先生だよな?どこに隠れていてもデカい帽子が丸見えなんだが。


 尻隠して頭隠さず。 


 あのひと、なにしてんの?


 テニスコートの主審の陰に、バレーのポイントボードの裏に、サッカーのチームメイトに混ざり。行く先行く先で黒い女優ハットが目に入る。


 途中からはウォーリーを探せ的な感覚になって自分から探すようになっていた。あまりにも分かりやすすぎて、全部見つけたけどな。


 意味不明な浅見先生はさておき、結果的にどの競技でも勝ち進んでいたB組は暫定二位。


 この学園の体育祭は勝ち点の加算があって総合計で学年別に順位が決まるシステムだから、余計に白熱するんだよな。


「午後が勝負ね」

「でも午後は期待できるよな。二人三脚あるし、リレーもあるしさ。リレーは点数デカイだろ」


 昼休憩に入り、弁当タイムが始まった。わざわざクラスに戻る必要もなく、体育館やグラウンドなど、好きな場所で食べてもいいことになっている。


 コンビニ袋を手にグラウンドの隅に移動した俺は、クラスメイトの和気あいあいとした会話を耳にしながら少し離れた場所に腰を下ろした。


 今日ばかりは学食が開いていないので、コンビニ飯だ。


「彰くん。お疲れ様」

「先生。お疲れ様です」


 ふと、背後からかかった声に振り返る。

 いつも大人びた格好をしている浅見先生のジャージ姿ってちょっと新鮮だよな。いつも下ろしている髪は高い位置でポニーテールにして、ゆったりとした白いジャージに隠れて今日だけは小玉スイカもナリを潜めている。


「一緒にご飯食べるひとがいないなら、わたしと食べない?」

「べつにいいですけど」

「じゃあ、ついてきて」


 え? ここで食べるんじゃねーの?


 俺は慌てて取り出したおにぎりを袋に戻し、浅見先生を追いかけた。


 いったい、どこで食うつもりなんだ?


 形の良いケツを追いかけて到着したのは家庭科室だった。てっきり教室に戻るのかと思ったけど違うのか。誰もいないからゆっくり一息つくにはちょうどいいけどな。


「こっちよ」


 ついていくと、調理テーブルの上に豪華な三段重ねの重箱をみつけた。よく運動会とかでみるやつだ。


「たくさん作りすぎちゃって。よかったら食べるの手伝って欲しいの」


 作りすぎちゃって……って。これ、一人分にしては明らかに量おかしいだろ。どうみても三人前はある。


「心配しないで。冷食は使ってないわ!」

「えっ、いや。うん」


 キラキラと目を輝かせる浅見先生が重箱を開く。綺麗に並べられた重箱の中身は、老舗の料亭で出しているような見事な品揃え。


 玉子を巻いた可愛らしい変わりご飯の手まり寿司や桜に見立てた人参。絶対に欠かすことのできない大ぶりの唐揚げからは生姜の良い匂いがする。艶のあるゴボウの肉巻きは中のインゲンが色鮮やかで、エビフライは見るからに衣がサクサク。


 それだけじゃなく、だし巻き卵や煮物。サラダ、フルーツなどは丁寧に包丁が入れられた凝ったデザインで盛り付けられ、色とりどりで華やか。まるでここにだけ花畑が咲いたようだった。


「凄いっすね」


 思わず素で感嘆の声が漏れた。マジで信じられねえ。この短期間にあの冷食弁当からここまでレベルアップするとは。さすが三つ星シェフの料理教室。


「食べてみて。味は保証するわ。添加物は使っていないから」

「マジですか」


 そこまで徹底したのか? ホントに凄いな。でもそれってさ、俺の言葉を気にしてるってことじゃないのか?


「もしかして、ですけど。これって俺のためですか」


 浅見先生は一瞬ギクリと顔を強張らせ、メガネの奥で目を泳がせた。


「ま、毎日なんて作らないわ。持ってくるなって言われたもの。だけど……こういう時くらいは構わないかなって。せっかく覚えたから誰かに味見して欲しかったし。やっぱりダメ……かしら」


 特に否定もせず、どんどん語尾が小さくなっていく。最後には眉を下げて俯いてしまった浅見先生に、俺は小さくため息をついた。


 確かに先生はあれから一度も弁当を作ってきていない。それってやる気はあったけど、ちゃんと俺が言ったことを守ろうとしてくれてたってことか。そう思えば、少しだけ感謝の気持ちがわく。


 おかげで今まで俺の言葉を守ってくれたお礼に一度くらい成果を喜び合ってもいいかなんて、甘い考えが浮かんでしまった。


「……流石に全部は食べられませんから、一緒に食べましょうよ」

「え?」


 腹を決めた俺は椅子にドサリと腰を下ろし、手を合わせた。


「いただきます」

「彰くん……」


 先生は棒立ちになったまま俺をみていた。


 綺麗な卵焼きを一口食べると、優しい昆布出汁の味がした。他のおかずも鰹だったり昆布だったり、とても風味がいい。やわらかい肉に海老のふんわりと甘み。しっかりと下味のついた唐揚げは一口噛むとジュワッと肉汁が舌の上に広がって箸が止まらない。


 ここ最近、インスタントばかり食ってたから尚更だ。


「うんまっ! みてないで、先生も早く食べてくださいよ。もしかしたら全部食っちゃうかも」

「いいのよ! 全部食べて!」

「午後が勝負なのに、腹一杯になって動けなくなっても知りませんよ」

「そ、それは困るわね。じゃあ……頂きます」


 向かいに座った浅見先生はとても嬉しそうに笑った。


 しっかし本当に美味いなこれ。こんなに変わるもんなのか。まあ前回は手作りっていうか、冷食だったけどな。料理教室すげー。


 先生は一口食べる度に、うんうんと満足そうに頷く。それをみて、つい笑顔が浮かぶ。


 女と一緒に食べる弁当タイムがずっと怖かった。でも意外にも心は穏やかだ。先生がバスケの試合について話だし、俺はあの時の大変さを苦笑まじりに語る。


 ドーパミン効果なのか悠然とした時を過ごすなかで、自然と笑顔が出ていたことに俺は気づかなかった。その後すっかりキレイになった重箱の上に箸を置き、手を合わせる。


「ご馳走様でした」


 二人で食べたといっても食べるスピードは俺の方が格段に速い。ほぼ俺一人で食ったようなもんだな。


 先生は満足げにお粗末様でしたと頭を下げた。


「じゃ、俺もう行かないといけないんで」

「うん。頑張ってね。応援しに行くから!」

「あざっす!」


 ※


 手を振って出て行った彰くんを笑顔で見送り、浅見はヘタっとその場に座り込んだ。


 本当はもしかしたら食べてくれないんじゃないかって少し怖かった。構うなって言われたし。「作り過ぎた」なんてありがちな嘘、きっと彰くんは気付くと思っていたから。


 今日のために何度も何度も練習した。慣れない包丁でたくさん指に傷を作ってしまったけれど、彰くんの喜ぶ顔を想像したらそんなことは全然苦にならない。


 味見した感じでは美味しかった。でも、彰くんの口に合うかどうか。そもそも食べてくれない可能性のほうが高いのに、あまり期待してはいけないわ。そう思っても、どうしても想像してしまう。食べてくれたら……嬉しい。もし食べたら、なんて言うのかしら。


 期待と不安で胸が締め付けられ、昨日の夜は眠れなかった。


 でも美味しいって言ってくれた。全部食べてくれた。凄く……嬉しい。


 目頭が熱くなり、浅見は顔を膝に埋める。


「よかったぁぁ……」

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