俺は何かに追い詰められている

「いやあ~ショックだわ! おまえ、なにやったの!?」

「やってない」


 夜も更けたころ、俺は床にあぐらをかいて腕を組み、しかめっ面を浮かべる。

 椅子の背もたれを抱え込む形で話を聞いていた陽平は、愕然としてくわえていたアイスをポロリと落とした。


 ……きたねえな。


「だってあの浅見先生だぞ!? なんでそうなんのよ!?」

「俺が聞きてえよ」

「だって弁当って。古典的なアプローチじゃん。おまえ好かれるようなことしたのかよ」

「嫌われることならした」


 落ちたアイスをティッシュで拭き取る俺に陽平は腕を組んでうーん、とうなり声を上げる。


「それがツボったのか……?」

「変態かよ」


 心底真面目な顔をする陽平に、表情筋と肩の力が同時に落ちた。


 嫌われることをして喜ぶってなんだよ。じゃあ、これからどうしたらいいわけ? 逆の発想なら喜ぶことをすりゃいいのか? 浅見先生が喜ぶことってなんだよ。喜ぶことをしたら喜ぶだけだろうが。俺はアホか。


「うーん。でも、もう弁当は作るなって言ったんだろ? なら、とりあえず様子見だろうなあ。明日も朝練行くんだろ?」

「それな。他の部員が全員サボってるのに俺だけ行くっつーのも癪に障るんだが。陰キャとしては行かなきゃならねーだろうなって」

「そうだぜ~。真面目な学園生活送るんだろ?」

「そうそう。だから明日も迎えに来てくれ」

「はいはい。あきらぁ、お・き・て。チュッ! ってすりゃいいのね」

「枕もとにバット準備しとくわ」

「なんでだよう。陽子のこと嫌いなの!?」

「陽平は好きだが陽子は嫌いだ。毎朝カラフルなカツラ被って起こすんじゃねーよ」

「笑いは大事だぞ、彰」

「朝から心臓に悪いんだよ!」


 ※


 今朝方、腰をくねらせながらアイドルのモノマネをして自室に乱入してきた陽平を華麗に蹴り飛ばした俺は、またしても先生しかいない朗読部の朝練へと赴いていた。


 正面の小玉スイカは今日も立派に腕組みをした浅見先生の腕の上に君臨されている。まるでお供え物のようだ。思わず手を叩いて拝みたくなってしまうが、いまはそれどころではない。


 摩訶不思議な呪文を正確に唱えなければ。


「あいあいあうあうあえあえあおあお。はい!」

「あい~あい~あう~あう~あえ~あえ~あお~あお~」

「あいあい浅見をあいしてる。はいっ!」

「あい~あい~浅見をあいし……」


 言いかけて瞬きをする。


 ……聞き間違えか? 


 寝ぼけてたからな。なんて恐ろしい空耳アワードだよ、俺のお茶目さんめ。ははっと心の中で乾いた笑いをこぼし、今度は集中して先生の言葉に耳を傾ける。


「あいあい浅見をあいしてる~! はいっ!」

「……」


 空耳じゃなかった。


 この先生なに考えてんだ? もしかしてあの日の出来事がよほどショックで、頭のネジが抜けてしまったんだろうか。マズイな。どうやって元に戻そう。


「先生」

「なにかしら」

「大丈夫ですか」

「なにが?」


 頭が。

 そう即答してやりたい気持ちをなんとか飲みこむ。教鞭を執る様子をみるに、知能が落ちたわけではないと思うんだが。なにか違う部分が落ちたような。

 

「俺、滑舌は良い方なんで、この練習はもうやめませんか」

「そう? 大事な練習なのだけど、確かに滑舌は良いわよね。でも残念だわ。あと少しだったのに」


 ……なにが?


 困ったように頬に手を添える先生にそう問いかけたい。


 あなたの狙いはなんですか? 

 まさかどさくさに紛れて女嫌いの俺から言質を取るつもりだったのか? 

 いったいなんのために? もしや最大の復讐になると知っての狼藉ろうぜきか!?


 いや、あまり悪いほうに考えるな。きっと先生は笑いを取ろうとしたんだよ。完全にスベってたけど。うん。


「そうそう。リクエストのことなんだけどね。いままでは先生方からリクエストを取っていたのだけれど、彰くんの案が通ったわ。これからは生徒から集計することになりました。だけど纏めるのは彰くんになるわよ。大丈夫かしら」

「はい、大丈夫です」


 むしろ他の部員がいたら迷惑だ。いつ素顔がバレるか分かったもんじゃない。できるだけ余計な接点は持ちたくなかったから、ひとりでやると条件を付けたのは俺のほう。異議なんてあるはずもない。


 話がまともな話題に切り替わり、俺は安堵しながら目を輝かせる。

 

 じつはあの日やらかしてからというもの、大人しくクラシックをかけていたんだが、何度かうっかり寝落ちしてしまってな。


 眠気覚ましにと、もはや何を叫んでいるのか分からんメタルバンドの曲を流したら、また説教を食らうハメになってしまった。ノリノリで制服をぶんまわした俺はスッキリご機嫌だったのに。なかなか上手くいかないもんだ。


 だから生徒からリクエストを取ってみたらどうですかって提案してみたんだよ。そうしたらどんな曲でも許可が下りるだろ。俺の責任にはならないし、クラシックなんてリクエストくるわけねえもん。仮にきてもシカトだ。そこは集計する側の特権だよな、うんうん。


 なあんて、浮かれていたのもつかの間。

 あの呪文のような滑舌練習で誘導告白を恐れた俺は、違う練習をしないかと先生に提案したことを早々に後悔するハメになった。


 なぜなら『朗読部』は伊達ではなく、マジで朗読部だった。発声練習をすっ飛ばした結果、訪れたのは朗読の練習。


 しかも、これこそ呪文だろうという、どこぞの有名作家の詩集に書き綴られた今不明な言葉を「心を込めて読め」と言う。


 まず初歩的な段階から俺は躓いた。漢字。これだ。全て高校で学ぶものらしいが、全教科の中で俺が特に苦手とするのが国語、及び古典だ。つらつらと連なった文字を読むと急激な睡魔に襲われるんだよ。唯一寝ないで読めるのはラノベくらいなもんだ。この学園を受験する時も国語は捨てたからな。


 漢字も読めないのに意味が理解できると思うか? 加えて心を込めろと? 


 はい、無理ゲーです。


 で、何が始まったと思う。まだ予鈴も鳴る前から先生とマンツーマンで漢字の授業。部活という名の補習みてーなもんだ。これを悪夢と呼ばずになんと言う。


 発声練習の時は向かい合わせに立って行っていたけど、漢字や詩の意味を教わるとなると少々無理がある。ノートを取らなきゃ覚えられないから、致し方なくブースのカウンターに肩を並べて腰掛けた。


 できるだけ距離を置きたかった浅見先生とは肩が触れあう距離まで近付いてしまい、毎日ひらひらだったりタイトだったりするスカートから足組みをした先生の太ももがチラ見え。時たま長くて細い御御足おみあしが俺の足に触れたりもする。


 そのたびに椅子をついっと横に移動する。するとカウンターにご立派な小玉スイカを二つ乗せた浅見先生がスイカごとスライドさせて椅子を寄せてくる。


 本格的なスタジオが完備されてるとはいえ、音量操作がメインのブースはそれほど広くない。ノートを一冊広げるだけで縦幅はいっぱいだし、横幅だってギリ三人座れるかどうかって長さしかない。


 それなのに、そうして逃げる度にじわじわと距離を詰められ、気づけば壁に追い込まれていたこともしばしば。


 勉強に追い詰められているのか、浅見先生に追い詰められているのか分からなくなってくる。どっちにしろ朝から嫌な汗が出るのは間違いない。














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