二番目のママへ 私は病気で、もうこの子を育てることが出来ません

Q輔

第1話

 五歳の娘が、不治の病であると宣告をされてから、もう半年。日増しに病状は悪化している。


「大変申し上げにくいことですが、恐らく、なっちゃんは、もう家には帰れないでしょう」


 ある日、ドクターが、言いにくそうにそう告げると、伏目がちに病室を出て行った。


「ねえ、パパ。先生と何を話していたの?」


 病室の隅で、ヒソヒソ話をしていた僕に、ベッドに横たわる娘が尋ねる。


「なっちゃんがお家に帰る日の相談をしていたのだよ」


「……ふ~ん。……あのね、パパ、お願いがあるんだけど」

 

「お願い? 何だい、急にあらたまって。何でも言ってごらん」


「ルルちゃんのことだけど……」


 ルルちゃんとは、娘が三歳の誕生日に僕がプレゼントとした人間の赤ちゃんの形をしたお人形だ。ここに入院する時に、ルルちゃんと一緒じゃなければ嫌だと言って聞かないので、自宅から持ってきた。今も娘の隣で添い寝をしている。


「この子、リサイクルショップに売ってほしいんだけど……」


「え? でも、なっちゃんが我が子のようにかわいがっていたお人形じゃないか」


「私、もう五歳よ。お人形遊びなんて飽きちゃったわ」


 何かと思えばそんなことか。てっきり「ママに逢いたい」と無理を言われるのかと思い、僕は拍子抜けをしてしまった。僕の元妻、つまり娘の母親は、僕がルルちゃんをプレゼントした年に、勤め先の子連れの男性と結婚をしたいと言い、娘を残して家を出て行った。追って僕たちは離婚をした。


 この際だから、僕は娘の率直な気持ちを訊いてみる。


「ねえ、なっちゃん。なっちゃんは、ママに逢いたくはないの?」


「ママは、よそのお家で、二番目のママになって頑張っているのでしょう? 私が逢いたいなんて言ったら、ママに迷惑が掛かっちゃうよ。大丈夫、私は平気」


 自分を捨て見知らぬ子供の母親になった母を気遣う娘の姿に、僕は、やりきれない気持ちでいっぱいになった。


――――


 娘が強く望むので、僕は、その日のうちに、赤ちゃんの人形を売りにリサイクルショップへ向かった。店内の入り口付近にある買取カウンターで、娘が大切にしていた人形「ルルちゃん」を差し出すと、僕より少し若い、見たところ二十代後半といった感じの店員さんが、目の前で査定を始めた。


「これ、アンティークっすか?」


 ぶっきらぼうな店員だな。


「いいえ。三年前に近所のデパートで買った商品です」


「あ、そうっすか。薄汚れているので、てっきり」


「これは、僕の娘が、肌身離さずかわいがっていた人形なのです。汚れは、つまり愛情の表れです」


「ふーん」


 な、なんだこいつ。これが客に対する態度か。不遜にもほどがある。まじで腹が立ってきた。



「――てか、これ、なんすか?」


 その時、人形の髪の毛を引っ張たり、足の裏の傷を撫でたりして、人形を検品していた店員が、ルルちゃんの服の中から一枚の紙切れを見付けた。おもむろにその紙切れを広げると――


「おや? 手紙みたいっすね」


 と言ってしばらくそれを見詰めていた。それから、ふーっと深い溜息をつき――


「はい、どうぞ。この手紙は、あなたも読んでおくべきです」


 と、僕にそれを手渡した。手紙は、紛れもなく娘が書いたものだった。


『にばんめのママへ わたしはビョウキで もうこのコをそだてることができません とてもかわいい すこしオシャベリなコです どうか このコを よろしくおねがいします』


 僕は、リサイクルショップの買取カウンターに突っ伏して泣いた。嗚咽をしながら、店員に補足説明をする。


「店員さん、聞いて下さい。ちなみに、この人形に音声機能はないのです。おしゃべりな子というのはね、要するにね、娘がこのお人形に頻繁に話しかけていた、ということなわけでえええええ」


「そんなこと、みなまで言わずとも、分かりますよ。涙、て言うか、鼻。カウンターに垂らされると敵わないから、これで鼻を拭いて下さい」


 店員が、傍らにあったテッシュボックスを僕に差し出す。僕は、一枚摘まんで涙を拭き、それから、三枚摘まんで、鼻水を拭く。


「一万円ってとこっすね」


 突然、ぶっきらぼうな店員が、ぶっきらぼう極まりなく、そう言った。


「え、何が?」


「何がって、この人形の査定額に決まってんじゃないっすか」


「この安っぽい人形が一万円? いや、その金額だと、ぶっちゃけ購入額より高くなってしまう。これは、おかしな話ですよ」


「一万円っす。びた一文まけません。ご納得いただけないのであれば、お引き取り下さい」


 何を言っても引き下がらない店員に根負けし、僕は、腑に落ちないながらも所定の用紙に身元を記入して、ルルちゃんを一万円で買い取ってもらった。


――――


 しばらくの後、自宅に一通の封筒が届いた。


 封筒の中には、二枚の手紙と、一枚の写真。


 一枚目の手紙には、大人の字で、こう書かれていた。


『店員として買い取り、店員として店頭に並べ、そして、お客として、店から買いました。恩を着せるつもりは、さらさらありません。たまたま自分にも適齢の娘がいて、たまたま目の前に手頃なお人形が現れ、それを買った。ただそれだけのことです。とは言うものの、今ではすっかり娘のお気に入り。兎にも角にも、ありがとうございました』


 そして、二枚目の手紙には、幼い子供の字で、こう書かれていた。


『いちばんめのママへ このコのことならシンパイしないで わたしがしっかりそだてるよ それにしてもルルちゃんは ほんとうにオシャベリでこまっちゃう にばんめのママより』


 最後に、同封された写真を見る。


 あの日のリサイクルショップの店員さんが、自宅で娘さんと並んでピースサインをしている。


 娘さんの膝の上には、ルルちゃん。


 天高くバンザイをして、無垢な笑顔で微笑んでいる。


「ほら見て。ルルちゃんは、とっても幸せそうだよ。これで、もう何も心配はいらない。よかったね、なっちゃん」


 そう言って僕は、娘の仏壇に、静かに写真を供えた。

 

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二番目のママへ 私は病気で、もうこの子を育てることが出来ません Q輔 @73732021

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