ますかけ
あべせい
ますかけ
上赤塚駅前。
若い女性・糸枝美砂(28)が、駅の改札から出てくる人や駅に向かう人に、ポケットティッシュを配っている。
駅に向かう1人の男性、薄いセピア色のメガネをかけた甲斐(28)が手を差し出した。しかし、美砂、渡しかけたティッシュをサッと引っ込める。
甲斐、不満げに、
「オイ、キミ。どうしてぼくにはくれないンだ」
美砂、涼しい顔で、
「欲しいンですか?」
甲斐、ムッとして、
「タダだろう?」
「これは無料ですが、タダ配っているわけではありません」
「配る相手を選んでいるのか?」
美砂、ニッコリと頷く。
「ぼくがここを通るのは、4度目だ」
「知っています」
「一度も寄越さなかったのは、ぼくがキミに選ばれなかったということか」
「そういうことです」
「しかし、おかしいじゃないか。さっきから見ていると、女性には配らない。男性だけに配っている。しかも、相手はぼくと同じ年恰好の男性ばかりだ。だから、ぼくにも、もらう資格があるンじゃないのか」
美砂、微笑んで、
「あなた、30代の男性ですか? そうは見えないけれど……」
「再来年で30才だ。ぼくが、まだ30になっていないって、どうしてわかるンだ」
「それがわからないと、この仕事はできません」
「30代って、30才から39才までの男性だけなのか」
美砂、甲斐を小バカにして、
「当たり前でしょ」
「30代男性相手のPRって、どんな商品なンだ。参考にそのティッシュ、見せてくれ」
「どうぞ……」
美砂、ポケットティッシュを手渡す。
甲斐、ポケットティッシュに挟んである紙切れを見る。
そこには、「募集」の文字が。
「求人募集!? 商品の宣伝じゃないのか」
「そこに書いてある通りです。指定された家でのんびり過ごす仕事です」
「のんびり過ごす? 簡単なことだ。そんなことが仕事になるのか……」
美砂、ティッシュ配りを続けながら、
「何をお考えか存じませんが、30代の男性が条件です」
甲斐、紙切れの募集要項を読み続ける。
「……次の有資格者を求めます。①普通自動車免許、②第2種電気工事士、③調理師免許、④管理栄養士、⑤危険物取扱者、⑥自動車整備士。ただのんびり過ごすのに、こんなものが必要なのか?」
「それが依頼人の要望です。持っていれば、家庭でも役に立つ資格でしょう」
「ただのんびり過ごすということではなさそうだ。だったら、給与はいいンだな」
「給与は面談時に決めます」
「この募集は、ぼくが応募すべきだな」
「あなた、28才でしょ。条件に合いません」
「これまで応募はあったのか?」
美砂、哀しげに首を横に振る。
「だったら、ぼくがやるしかない。これだけの資格を持っていて、いま、ブラブラしている男性が、そこらじゅうにいるとは思えない」
「エッ……」
美砂、甲斐を慎重に見る.
「年齢なンて、どうにでもなる」
「そうかも知れませんが……」
甲斐、勝ち誇ったように、
「話は、決まりだな」
「待ってください。採否の最終決定は、依頼人との面談後になります」
「当然だろう。ぼくは仕事にあぶれているわけではない」
「では、これから面談を行いますので、ご一緒していただけますか?」
「いいよ……」
「こちらです」
美砂、甲斐を案内する。
3分後。美砂がワゴン車の運転席に、助手席に甲斐が乗る。
「どこに行くンだ?」
「すぐにわかります」
「若い女性が、知らない男と車に2人きり。怖くないのか?」
「それはあなたも同じでしょ。知らない女に知らない車に乗せられ、どこに行くかもわからない」
「そうだが、ぼくには失うものがない」
「怖いもの知らず、ってことですか」
「怖いものはあるが……まァ、いい。時間がかかるのなら眠りたいが、いいかな?」
「どうぞ……」
30分後。車がマンションの駐車場に停止する。
美砂、エンジンを切って、
「お客さん、着きました」
甲斐、目を覚まし、
「ここは、どこだ。マンションか?」
目の前のビルを見上げて、
「なンか、くたびれたマンションだな」
「築40年ですから……」
2人、エレベータに乗り、3階の一室に入る。
内部は1LDK。家具調度は一とおり揃っているが、古く、なぜか生活臭がない。ベランダに面した窓には遮光カーテンが引かれていて、薄暗い。
甲斐、窓に近付き、カーテンを開けようとする。と、美砂が鋭く、
「勝手なことはしないで!」
甲斐、ビクッとして振り返る。
美砂、一転して優しく、
「カーテンは、開けないでください」
と言いなおし、部屋の照明を点ける。
甲斐、リビングのソファへ不愉快そうに腰を降ろす。
「キミのいいなりか。仕方ないな」
美砂、甲斐の正面に立ち、
「まもなく、面談を行います。こちらにどうぞ」
リビング脇のドアを開ける。
そこにはベッドと机があり、甲斐、机の前の椅子を勧められ、腰掛ける。
「では、この画面をご覧ください」
机の上にあるノートパソコンが起動する。
「パソコンと面談なのか?」
「依頼人の顔は出ません。しかし、あなたの顔は依頼人が見ています。これから、画面上に、依頼人の質問が出ますから、キーボードを操作して、簡潔に答えてください。では、始めます」
画面には、氏名、住所、電話番号、生年月日、学歴、職歴、資格、家族構成と次々に質問事項が表れ、甲斐はてきぱきと答えていく。
甲斐が扶養家族の項目に「妻、別居中」と入力したところで、質問項目は終了。
数分後、画面に「採用」の文字が現れる。
美砂、それを確認すると、
「合格です。これから、仕事内容を説明します。勤務時間は……」
「給与は?」
「ご一緒にお話します。勤務は毎週土曜と日曜の2日間。あさ8時から夜8時まで。仕事内容は、独身男性の、自宅での休日の過ごし方を行っていただきます」
「意味がよくわからない」
「甲斐さん、あなたの職業、さきほどの質問では自営と回答されていましたが、自営のあなたの、土日の過ごし方を、ふだん通り、このマンションの中で再現していただければいいのです」
「土日をここで、ふだん通りのんびり過ごせば、お金がいただけるということか?」
「のんびりできるとは思いませんが、そのお考えでけっこうです」
「話がうますぎる。朝8時までの時間と、夜8時以降の時間は、どうすればいいンだ?」
「寝ても外出なさっても、自由にしてください。給与は、拘束時間が2日で24時間、3日間の勤務に相当しますから、1日8時間1万円の計算で、計3万円お支払いします」
「会社員なら、土日のいいアルバイトになる」
「条件があります」
「そうだろう、但し書きがないとおかしい」
「1日3度、ベランダに出ていただきます」
「3度?」
「午前10時、正午、午後2時の3回です。その際、帽子を被り、顔にマスクを着けていただきます」
「顔がわからないようにしろということか。影武者をしろというのか……」
「影武者ではありません」
「ベランダに出て何をすればいい?」
「煙草を吸うなり、考え事にふけるなり、何か作業をするなり、ご自由にしてください。但し、最低30分はベランダで過ごしていただきます」
「雨が降っても?」
「もちろんです」
「寒くても、暑くてもだな?」
美砂、大きく頷く。
「条件はそれだけか?」
「まだ、あります」
「何だ」
「例え訪問者があっても、応答してはいけません」
「居留守を使え、か」
「依頼人から、あなたの携帯に電話がかかることがあります。そのときは全て、その指示に従ってください」
甲斐、初めて表情を曇らせる。
「厄介だな」
美砂、目を見開き、
「厄介? ですか……」
「おれは元来、他人に命令されるのが嫌いな質だ。だから、この年で自宅にこもり、暇つぶしのようにのんびり他人の印鑑を彫ったり、表札を作ったりしている」
「労働がお嫌いですか。依頼人にそっくり……」
「ウッ?」
美砂、探るような目つきで、
「甲斐さん、あなた、最初から知っていて、ここに来られたンじゃないでしょうね」
甲斐の目が、白く光る。
美砂、甲斐を怪しむ。
「ポケットティッシュをもらうために、わたしの前を何度も行ったり来たりしていたのが、まずおかしいわ。それにそのセピア色のメガネ。度が入っているのかどうか知らないけれど、怪しい雰囲気がぷんぷん臭ってくる」
甲斐、笑みを浮かべて、
「キミは思った以上にカンがよさそうだ。キミの依頼人は、わたしの依頼人でもあるンだ」
「そんなッ!」
「キミは仕事を始めて、今日で何日目だ?」
「まだ、3日です……」
「ぼくを除いて、これまで依頼人の指示通りの男性は見つかったか?」
「年齢の条件は満たしていても、必要な資格を全部持っている方って、なかなかいなくて……。きょうあなたが現れてホッとしました」
「当たり前だ。車の免許は持っていても、電気工事士、危険物取扱者、調理師免許、管理栄養士、自動車整備士。これだけの資格を全て持っているのは、1万人中1人いるかいないかだろう」
「依頼人の目的は何ですか?」
「キミだ。キミを確かめるために、依頼人はこんな手の混んだ小細工をした」
「わかりません」
「依頼人はわたしの学生時代の友人だが、元々タイヘンな資産家だ。しかも、そのうえ、宝くじで5億円を当ててしまった。彼にあと必要なのは、出来のいい伴侶だ。しかし、こればかりはすぐには見つからない。彼に近付いてくるのは、財産当ての女ばかりだ。彼は考えた。彼の人柄を気に入ってくれる女性に巡り会いたいと。そこで、彼は所有する賃貸の建物の中で最も古いマンションに、自分用の一室を用意して、そこを新しい住居として住民登録した。そこが、この部屋だ」
美砂、甲斐の話に引き込まれる。
甲斐、続けて、
「彼は気に入った女性が見つかると、デートの最後に、この部屋に連れて入り、自分の暮らしぶりをそれとなく見せた。すると、噂とは大違いの暮らしぶりに、ほとんどの女性がガッカリしたようにして帰って行く。彼はそうして3年の間、未来の妻を探し求めた。その結果はキミがよく知っている」
「……」
「大抵の女性が、彼にお金がないことを知るや去ったが、一人だけ彼の資産や預貯金に無関心な女性がいた。それがキミだ。そこで彼は、もっとキミのことをテストしたくなった。どんな女性なのか、詳しく知りたくなった。ふつうは、デートを通じて、そうしたことを互いに知っていくのだろうが、彼は慎重だ。キミとの最初のデートは、お見合い程度のものだった。美砂さん、あなた、彼と何度デートをした?」
「1度だけ。はとバスに乗って都内の名所巡りをしただけです。帰りに彼のこの部屋に案内されました。ちょっと怖かったけれど、そのとき彼は腕を骨折したとかで、片方の腕を三角巾で吊っていたから、襲われても逃げる自信がありました」
「その三角巾は偽物だ。キミを安心させるための小道具だ。キミは彼とどこで知り合った?」
「彼とは中学時代の同級生です。山や田畑をたくさん持っている大地主の息子だと聞いていたのに、10数年ぶりに会ったら、親が連帯保証人になって財産を失ったとかで、世間並み以下の男性になっていた……」
「彼は小中高、大学と、それぞれ同じクラスだった女性に片っ端から電話をかけてはデートをして、伴侶探しをしたそうだ」
「わたしだけが引っかかったということですか?」
「言葉は悪いが、そういうことだ」
「わたしは、彼に何をテストされたのですか?」
「どんな依頼だった?」
「1度デートしてそれっきりだった彼から、3ヵ月ぶりに電話があって、『仕事を頼みたい。どんな方法でもいいから、日曜に街頭で条件に合った男性を見つけ、連れて来て欲しい』と。わたし、1度は断ったンです。でも、ティッシュに求人募集のチラシを入れ、それを手渡す形で目的の男性を探す方法を思いつきました。時間は都合のいい時間帯、1日3時間だけ。報酬は1日3万円、男性を見つけ面談までこぎつけたら10万円という破格の条件でした。わたし、ふだん家電量販店の店員をしていて、会社でもティッシュ配りをさせられることがあるから、ティッシュ配りは苦にならない。それでパソコンを使って求人募集のチラシを100枚作って、買ってきたポケットティッシュに挟み込み、上赤塚駅前に立ったンです」
「さきほど、ぼくが使ったパソコンの最後に『採用』と出たね。あれは本当は、キミが合格したというメッセージだ」
「わたしが試されていたンですか? おかしなアルバイトとは思ったけれど。わたしのことを知りたければ、もっと正面から来ればいいのに……」
「依頼人は、そういう性格の人間だ。車の整備士免許や管理栄養士などの免許を持っているのも、ぼくじゃない。彼のことだ。日常生活にも役立ちそうな資格を、暇に飽かせて出来るだけ取ったそうだ。要するに、彼の依頼は、彼自身に出来るだけ似た人間を見つけて連れて来て欲しいということだ。経済力以外だけれど」
「昼間、遮光カーテンを引いておくのも、彼の趣味ですか?」
「彼は、強い日差しが苦手なンだ」
「ベランダに出るとき、帽子を被り、マスクをつけるというのは?」
「彼はこの3年間、花嫁探しのためにこの部屋で暮らしてきたが、花嫁候補の女性たちがふだんの彼をこっそり覗きに来ることがある。そんなときのために、実際に生活していることを知らせる必要からときどきベランダに出るのだが、そのとき素顔を見られたくなかったからだ、と言っている」
「それでいて、何億という資産を持っている」
甲斐、頷く。
「使う必要もない国家資格を、いくつも取得して、悦に入っている」
甲斐の顔が曇る。
美砂、険しい表情で、
「彼はわたしを選んだのでしょうけれど、わたしの返事はどうなります?」
「彼を拒否するのか。ありえない。どんな女性でも、億単位の財産を突き付けられたら、黙って、口も目も閉じる……」
「冗談じゃない! あなた、わたしをなンだと思ってンの!」
美砂、怒りで目がつりあがる。
「お金に土下座しろ、って! バカにするンじゃないヨ!」
「オイ、キミ、少しは言い過ぎたかもしれないが、そんな怒る話じゃないだろう。億万長者に見初められ、交際を申し込まれているだけだ」
「結婚を前提にね。それも、絶対断らないと見込まれて! わたしは、まだまだ若いの。男に不自由なンかしていない。例え、不自由していても、わたしにもプライドがあるわ!」
甲斐、うな垂れる。
「すまなかった。この話はなかったことにしよう」
「それでも3日分の給与はいただくわよ。あなた、さっきパソコンに自分の名前を、甲斐なンて入力したけれど……」
甲斐、表情が固まる。
「あれ、ウソね。あなた自身が中学時代の同級生で、山持ちの小せがれ、越後クンじゃないの!」
美砂の眼が聡明な輝きを帯びる。
「わたしと1度だけデートした相手が、恐らく越後クンの高校時代の同級生、甲斐さんでしょう。自営と言った判子彫りと表札作りも、あなたじゃなくて、甲斐さんの仕事……」
越後、力なく、
「わかっていたのか。小中高の卒業写真の中で、ぼくに一番似ている男が甲斐だったンだ。デートは彼に頼んで、今日の実地テストはぼくがやる、って。キミは、いつ、気がついたンだ?」
美砂、
「一度したデートのときよ。中学時代の話をしても、全然乗って来ない。むしろ、避けようとして話をすぐに逸らす。それに、10数年たっているから、顔が違っていて当然でしょうけど、手が変わる?」
「手?……アッ!」
越後、自分の両の手の平を見る。
美砂、絵解きするように、
「あなたの手相は珍しいから、中学時代話題になっていたでしょ。感情線と頭脳線が1本の線でつながっている、通称『ますかけ』ね。しかも、あなたの場合は両手がますかけ。滅多にない珍しい手相だって、占いに凝っていた担任の先生から言われたじゃない。性格は頑固で、意地っ張り、って」
「そうだった……」
「わたし、あなたがパソコンを打つときに、気がついた。両手ますかけだって。で、越後クンを思い出した。すると、次々と話の辻褄が合うンよ」
「ごめん。騙したりして……」
「あなた、気を付けたほうがいいわ。担任の先生が言ったでしょ。ますかけの人の運勢は、上がり下がりが激しい、って」
「運が上昇しているときは図に乗るな。すぐに下降に向かうから、って言われた」
「いまが、そのときじゃないの。気を付けたほうがいい」
美砂、優しい笑みをみせ、
「いいわね、わかったから。わたし、帰る。バイト代は教えたところに振り込んでおいてね。じゃ……」
美砂、踝を返すと、越後、その後を追っかけるように、
「待ってくれ、美砂さん! ぼく、キミのことがますます気に入った。その気の強い、はっきりしたところが。ぼくの理想の女性にぴったりだ!」
美砂、振り返り、
「お生憎さま。わたしは、こんな手の混んだことをする男性は、趣味じゃないの」
越後、懸命になる。
「ぼくは両手ますかけだ。頑固で意地っ張り。こうと思い込んだら、やめない性格だよ。キミが好きになった。もォ、絶対あきらめない!」
と、美砂、小さな声で、
「それがわたしの狙いよ」
(了)
ますかけ あべせい @abesei
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