201.落っこちる事で、底じゃなかったと気付く

「すいません。今は誰とも会いたくありません」


 面会希望者の訪問を伝えに来た白取先生に、俺はベッドの上で三角座りをしながら、そう返事をした。


「……結構。宜しいでしょう。このような場合、整理の時間は必要です。ええ、誰とも会わず、一人で考える時間が」


 彼は隔離病室を出て行こうとして、「ですが」、振り返り、


「結論は、一人で出してはいけません。何か答えが出れば、誰でも良い、話して下さい。ええ、その状態での独断は、危険ですから」


 そう忠告してくれた。

 「一人になりたい」という俺の無理を聞いて、「突発性の精神疾患の可能性アリ」と言って、この部屋を貸してくれた先生には頭が上がらない。

 だけど、ずっと頼ってはいられない。

 俺は彼らの傍に、いつまでも居るわけにはいかないのだ。


 バカだった。

 イリーガルと、戦争してるんだ、戦争をしてたのに。

 友達とか、バラ色の学園生活だとか、本当に馬鹿だ。

 俺と関係性を持つって事は、奴等から俺の味方と判定され、攻撃対象になる。

 そんな事も、分からなかった、分かってなかった。

 あのイリーガルが言ってた通り、楽観的な甘ちゃんだったんだ。


 奴等と敵対してる以上、「楽しい」とか「平穏」だとか、望める筈が無いのに、何を浮かれていたんだ、俺は?

 

 それ以前に、そもそもとして、俺は生来、不幸を呼ぶ人間だったのに、

 その危険度が更に上がって、それでも他人を幸せに出来るって、

 どうして思い上がってしまったんだ?


 何も出来なかった。

 カンナという最高の師であり、庇護者が居て、俺は今回、関係者全員の人生を狂わせ、それどころか、知らずに殺していたのだ。


 おじいちゃんとおばあちゃんは、8年前のあの日の後から、俺に手紙を出し続けていた。

 居住区管理局の職員が、嫌がらせで俺にそれらを渡さなかった。

 どうしてそんな事を?というのはどうでもいい。どうせ大した理由は無い。話を聞いたカンナも言っていた。人間の行動に意味なんて無い、「特にそれが、悪意から来る物ともなれば」って。


 ただ、俺は、俺の事を愛してくれた二人の事を、ずっと見て見ぬふりをしていた。

 彼らは俺の味方で、俺は彼らの味方じゃなかった。

 彼らが村八分にされてた時、俺は自分の事だけ考えて、モンスターを狩って手に入れた金を、誇らしげに思っていた。

 彼らが手配犯に殺されて、その家が悪人に寄生されてた間、俺は学園で友達だ推しだ大会だとハシャいでた。

 

 俺が、もっと早く、自分から二人に会いに行ってれば、俺と二人の関係は続いてた。彼らの家は、完全に捨てられた場所でなくなり、潜伏先に選ばれなかったかもしれない。

 俺の貯金と知識で、二人に新居を紹介出来たかもしれない。


 二人があそこから逃げなかったのは、きっと、俺が訪ねて来るのを待つ為だ。

 手紙も出して、変わらず住み、変わらず愛し、変わらず待っている。不安がる俺に、そう示す為に、あの場所にこだわった。

 

 俺さえいなければ、あんな事にはならなかった。

 凄惨で、悲惨な、あの家。

 あんな呪われた場所に、ならなかった。


 俺が殺した。

 俺が、二人を捨てたから。

 俺が、有名になったから。

 俺が、イリーガルと戦う事を選んだから。

 俺が、カンナを捨てられないから。


 今だって、捨てたいとは、思えないから。


 この事件は、俺が生きてる、それだけで、

 全てが屈曲し、悪化し、潰滅かいめつした。

 駐在所に居た女性、その泣き顔と言葉が、頭から離れない。

 「疫病神」、そうだ。そうだった。思い出した。

 俺は疫病神だった。


 俺は、ここから居なくならないといけない。

 俺に良くしてくれる人達の為に、俺は彼らから離れ、二度と繋がってはいけない。

 関係者と見られれば、何らかの悪意が、四方から飛んできて、沈めてしまう。

 白取先生は親切な言葉をくれる。

 トクシの皆も、シャン先生も、ミヨちゃんも、きっと、俺が欲しい言葉を掛けてくれる。

 でも、それは違う、駄目なんだ。

 俺は彼らに、味方される資格が無い。

 俺は、選んだのだから。

 俺がそう欲したのだから。

 何を捨てても、それでも、と、そう決めてしまったのだから。

 捨てる物を、わざわざ増やす事はない。

 そんなの良くない。

 離れなければ。

 彼らからだけでなく、俺から彼らへも興味が無いって、そう思わせないと。

 

 だから、

 だから、ここで一睡だけして、

 力を蓄え、誰にも会わず、出て行かないと。



 

 ……分かってる。

 分かってるよ。

 本当は、今すぐ居なくなるべきだって、

 一刻一秒でも早く、みんなをこの戦いから離して、自由にするべきだって。

 それでも、

 未練がある。

 惜しい気持ちがあるんだ。

 否定できない。

 この、居心地の良い夢の中に、ずっと残っていたい。

 全てを知らないフリして、運が悪かったで片づけて。

 みんなに俺が、不幸の元凶だと知られるまで、ここに居座っていたい。


 だけどそれは、許されない事だ。

 いけない事なんだ。


 何かを欲しがるなら、

 何かを捨てなくちゃいけないんだ。

 それが高望みであるほど、より多く。


 だから、

 あと一眠り、

 これが終わったら、出て行くから、

 あと、もう少しだけ——




「今晩は、ススムくん?」

 

 


「か、んな……?」


 いつの間にか、眠ってたみたいだ。

 横になっていた俺は、上半身を起こして、見回してみる。

 いつもの夢の中、だけど今日は、背景が無く、黒い虚無の中に俺達二人。

 彼女は俺と向かい合って、正座していた。


「カンナ、今日は、どういう修行?」

「いいえ?本日は、休養とします」

「休養?いいの?あんな事もあって、奴等がいつ攻めてくるかも分からなくて、むしろ急がなきゃいけないんじゃ?」

「雷の攻略から、イリーガルとの戦闘。短期間で、頑張らせ過ぎました」


 「私の期待を超えて」、

 そこで、「期待」という言葉を使う彼女、

 それで、少しだけ救われてしまう俺。


「あなたが壊れてしまえば、これまでの私の苦労が、水の泡ですから」

「そ、っか……。ごめん……」

「あれ、そこは謝罪ではなく、至上の感謝を、捧げる所ですよ?」

「うん……ありがと……」

 

 滅多にない優しさを前にしてすら、心をそんなに動かせない程、俺は参っているらしかった。


「そんな事よりススムくん、早く、こちらへ」


 カンナが両手を広げ、座ったまま待っている。


「膝枕でも、してくれるの?」

「いいえ?もっと、好い事ですよ?」


 立ち上がりもせず、足を引き摺るように、腕で進んで近付くと、病衣の襟を掴まれ、引き寄せられ、お姫様抱っこのような形で抱えられる。

 そのまま俺の腰は彼女の膝の上に乗せられ、頭は胸部をふにょんと潰し、めり込むくらいに抱き寄せられた。


「ちょ……なに、この、体勢……」

「ススムくん、こういうの、好きでしょう?」

「だから、人を、スケベオヤジみたいにさ……」


 反論する元気も無く、なんだかんだ嬉しいので、抵抗する意思も湧かない。

 単純で、欲深くて、どうしようもない男。

 その醜さを自覚出来ていても、脳がちゃぷんと彼女に沈むほど、意識も深く潜ってしまい、どうでもよくなっていく。

 その上、腰掛けて来る太ももだって、ソファみたいに、俺を呑み込んでいくから、こってりとやわっこい海に、とっぷりとぼっしていくようで、倒錯的な泥濘に包まれてしまう。

 

 ただ、最後に、一つだけ、

 小骨程の不安が、喉に引っかる。

 

「カンナ、俺、生きてていいのかな」


——生きる資格なんて、あるのかな?


「ススムくん、そんなもの——」


——どこにもありませんよ。


 よすがを失ったような、寂しい想いが、顔に出てしまったのだろうか。

 カンナは俺の顔を覗き込み、


「ふ、ふふふっ、すいません、言葉が足りていませんでした」


 笑って続ける。


「ススムくん、何時ぞや、あの教導者も言っていたでしょう?生命とは、全てが、偶然の産物なのです」

「偶、然……?」

「虚空の宙に、偶々“物質”が生まれ、偶々それらが有機的に結合し、一つの機構と化した。それが生命です。誰かが許したわけでも、望んだわけでもありません。だから、生命はやがて“モノ”へと還り、万象は果ててくうへと帰るのです」


 気が遠くなって、真空に溶けて、それでもまだ届かぬ未来に、

 宇宙は何らかの方法で、生まれる前まで戻ってしまう。

 無くなってしまう。


「許されたモノなど、何処にも在りはしません。少なくとも私は、誰であろうと、赦すつもりはありません」


——それこそ、いつまでも。


「そう、なん、だ……?」


 たぽたぽと、密度の濃い水の中を進むように、シナプスが徐々にもたついていき、知性がじゅわあ、と溶かされて、

 彼女の言う事が、分からなくなっていく。


 でも、その、鼓膜に浸透し、心臓をなよやかに撫でてくれる、甘聲かんせいのせいだろうか、

 何も分からないのに、落ち着いていく、俺が居た。


「カンナ、でも、みんな、オレが、いないほうがいい、って、」

「しぃー……」

 

 擦り合うだけで接触部に、離れぬ熱を埋め込む人差し指が、

 その腹がふにゅりと、俺の唇に、押しつけられる。


「それは、私の言葉よりも、優先すべき物ですか?」


 それは、どんな言葉よりも、俺の本性を納得させた。


「今は、何も考えず、お休みなさい?ぐっすりと」


 彼女の言葉に、何の守りも用意してなかった俺は、


 ただその言いつけを素直に聞いて、


「私には、鼓動も、体温も、ありませんから、物足りないやも、しれませんが」

「ううん、そんな事ない……。カンナの、体温だ……」


——心地いいよ、

——カンナ………



 安穏とした、楽土に堕ちた。

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