196.選択の結果を背負う者達

「オヌシ、“可惜夜ナイトライダー”、……いや、そこの小童こわっぱは、『カンナ』と称しておったかの?」


 彼女がヒョイと片手を上げると、ヘドロの中から、廃材で組まれた大きな椅子がせり上がる。

 少女は両手に体重を掛けて、座面を潰し、水を抜き、何度か表面を手で払った後、意気揚々と腰掛け、ビチャッ、という音に少し顔を顰めた後、足を組んで肘を突き、尊大に構えてから聞いた。


「如何様にして、入り来たのかえ?妾の精神防壁は、そう易々と破れんじゃろう?」


「『精神防壁』……?」

「この辺獄……、乃ちダンジョンは、彼らの精神世界であり、彼らそのもの。それが二重になっているのですよ」


 ダンジョンが、二枚重ねに?


「一つは、捨てる者に与える、廃棄物の記憶」

 

 そしてもう一つが、


「人を魅了し心を掌握する、傾国の美女の記憶」


 美しく高貴なillイリーガルとされる——


「“靏玉エンプレス”!」

如何いかにも。妾はそう呼ばれておる」

「ススムくんの御実家は、既に罠を張られていました。あの家の中で見聞きした物は、全て彼女が造った現実です」

「彼女が……?それって、朱雀大路君がやったような……?」

「あのような、一人の人間の脳内だけで完結する、安っぽい手品と一緒にしては、彼方あちらのお嬢さんに失礼ですよ?彼女のそれは、ダンジョン構築。謂わば、期間や特定条件下限定の、現実改変に等しい物です。頬を摘まもうと、逆立ちしようと、外に出るか、彼女が解除するか、力づくで破壊するかしなければ、逃れる事はできません」


 俺は、おじいちゃんとおばあちゃんの家に入ったつもりで、二つのイリーガルによる、合作ダンジョンの中に、足を踏み入れてしまっていたのだ。


「内側から、誘われませんでしたか?」


——こっち、きなさい…!


「その呼び掛けに、俺が乗った時点で、合意形成と見なされた?」

「それによって効力が増す、という部分だけは、例の幻覚魔法と同じですね」


 “靏玉エンプレス”は、人の心を操るのに長けている。

 彼女が誘い、俺が応える。

 その手順を踏めば、カンナをダンジョン外へ、締め出す事だって出来た。


「だから、カンナは俺に、干渉出来なくなった」

「私としたことが、警告が遅れました」


 戸口の前で、少女の姿を見た時から、

 もしかしたら、その前から、

 俺は奴の術中だった。


「ダンンジョン内の、間取りや街並み、人の受け答えすらも精巧だったのは、“靏玉エンプレス”の技量にる所が、大きいでしょう」

「妾とゴミジジイが、“羅刹デッター”が成立させた、ダンンジョンの完全合体。“辺獄融合現界アマゾニン・ダンジョン・ユーニオン”じゃ。中々の完成度じゃったろう?」

「余所様のダンジョンのモンスターに、窟法ローカルを書き加える、その延長ですよ」

「そして、奴の人心掌握術があれば、俺は必ず、『エンリさん』を守ろうとする。それが、後々の展開を作る為の、下準備と知らずに…」

「あなたがここに入った時と、同じです。あなたの意思で、私を彼らに移譲させる。そうすれば、力の制御権も奪える、と、そう考えたのでしょうね」


 考えてみれば、「エンリさん」の存在は、良く分からない事が多い。

 俺に対する人質として、もっと確実な二人を差し置いて、何故彼女が用意されたのか?

 俺としても、ご老人を守るより、幾らかやり易いくらいだった。

 俺が、赤の他人を最初から見捨てるような奴、という危険もあった。

 更に思い出してみれば、彼女がスマホを落とした時、モンスターがそれに群がったと言っていたが、魔力を持ちたての少女に、そこまで細かく分かるわけがない。


 全部、彼女が敵で、俺に仕掛けられた、言うなればハニートラップなら、筋が通る。


「後は、あなたが私と人質との交換に応じ、取り引きが成立。彼らは“可惜夜ナイトライダー”の一端を手に入れる、筈でしたが……」

「カンナは、どうやって、ここに?」

「ですから、これは、あなたがやった事ですよ?あなたが、何かを捨てたのでは、ありませんか?」

「でも俺は、あの時何も持ってなくて………あ」


 もっと概念的な物なら。

 絆とか、想いとか、誓いとか、

 そういう物なら、衝動的に捨てた。

 そして、「カンナに会いたい」と、願った。

 浅ましい欲を出して、それが俺の本気だったから、

 彼女は今、ここに居る。


「それでも、そんなのでも、取り引き出来るのか?」

「あなたの心が、本気で棄捨きしゃし、偽りなく望むなら」

「左様か……。オヌシ、その場凌ぎでなく、本気で全霊を差し出したか……」

「以上が、私がここに来るまでの、粗筋です」


 「それでは」、カンナは片目で、二つのイリーガルを捉え、


「ススムくん、右手を貸して、頂けますか?」


 俺は、腰を上げ、

 右の掌を、胸の前に立てる。


「今度は、貴女方に、選んで頂きましょう」


 グローブが溶け千切れ、べちゃべちゃと汚れたそれに、カンナの左手が、躊躇も嫌悪もなく、合わされる。

 冷たい体温が伝わり、

 俺の熱が上がっていく。


「どちらを、捨てますか?」


 「どちらを、救いますか?」、

 顔の横を吹き抜ける、泉のほとりの如き風。

 イリーガル達は、選択を強いられる側となった。

 “靏玉エンプレス”は、一度瞑目し、目を見開くと、


「無論、妾は何も捨てん。ここでオヌシを我が手に——」


 玉座から飛び降りた所で、その行く手にヘドロが隆起し、俺達とそいつを分断した。


「ジジイ……!」

〈………〉

 

 ブクブクゴポゴポと体に悪そうな音を、常に空気中に滞留させていたそいつは、

 その時、そこに出て来た部分だけ、

 耳が痛い程に静まっていた。


「………分かった。妾は選ぶ」


 一瞬、まるで千秋のように感じられた一時の後、

 

「妾は逃げおおせる……!デッターを………捨てる……!」


 少女の姿をした怪物は、こちらに背を向け、その先に現れた隔世ラ・ポルトに歩き出す。


「ススムくん、この前と同じです」


 選択は、為された。


「復唱しなさい。一字一句違わずに」


 死が、

 滅びが、

 やって来る。




「そうじゃ。一つだけ、言っておくが」


 魔法陣が開き、眩しく白い、日照の中に入った少女は、


「オヌシが訪ねたあの家。再現の為に中を確認はしたが、本物の方に我々はなんらも、手を加えてはおらなんだ」

 

 最後にそう言い残して、


「気の毒にのう」


 光の中に消えていった。




 闇が、閉じる。

 幾重にも、綴じられる。


 今捕らえられたのは、

 逃げられなくなったのは、

 黒々と澱んだ、

 汚染液の方だった。

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