159.そんなんアリかよ!?の連続 part2

「え?電子の?」


 午後の選択授業。

 編成決めが煮詰まった時は、シャン先生を利用できる自由時間、みたいになっていた。

 基本は身体づくりや格闘技を教えて貰っていたが、

 偶に午前授業で分からなかった部分を、質問する時もあった。

 

 確かこの時は、化学の時間の積み残し、だったような気がする。


 言っちゃうと、授業の直後か、後はカンナに聞く手があるのだが、

 化学の先生に俺が質問したら、嫌な顔一つ二つ三つされるのが常態化していたし、

 カンナに関してはどういう拷問に結び付くのか分からないので、

 どちらも最終手段にしておきたかった。

 まあカンナに聞かなきゃいけない事だった時は、彼女の方からそれとなく誘導してくるので、そうでないなら頼り過ぎない方針で。


 となってしまうと、必然、一番聞きやすい相手が、シャン先生になってしまう。


「電子の速さ……えっと、でも、電流が電子の移動なんですよね?それなら、光の速さと同じくらい、ですか?」


 あー!そうだそうだ、そうだった。

 落雷のメカニズムについて、っていうテーマだったんだけど、あまりイメージが固まらなくて、泣きついたんだった。


「なんとどっこい、一秒にミリメートル単位しか動いてねえんだ」

「ミリメ…ミリメッ!?おっそ!?イモムシ!?え、でもそれ、送電とか無理ですよね?」


 ううん?どうなってるんだ?


「順々に行くぜ?物を細かく分けて行くと、残るのが“原子”だ。で、こいつは更に“原子核”と、その周りを回る電子から出来ている。太陽と惑星みたいに考えれば分かり易い。重ねて言うと、原子核の中には中性子と陽子ってのがあるんだが……まあ陽子はプラスで、電子はマイナス。その二つの打ち消し合いが釣り合ってんのが普通、って事だ」

「それで、そこから電子を取り出して、プラスを強くすると陽イオンに、逆に電子を増やして、マイナスを強くすると陰イオンに、って事ですよね?」

「分かってんじゃねえか。んで、この『電子の移動』、これが電流と呼ばれる現象だ」

「ま、まあそこまでは良いんですけど……」


 でも電子は赤ちゃんの這い這いより遅いんですよね?


「例えばボルタ電池を考えてみろ」


 先生はボードに、硫酸に浸かった二種類の金属と、その間を結ぶ銅線の図を描いた。

 片方が硫酸に溶けて電子を出して、それをもう片方の極に押しつけ、そこから更に水素イオンに押しつけて、ガスとして放出する、っていう流れだ。

 こうして片方からもう一方に、電子の流れが生まれている。


「マイナス極は、その名の通り陰に偏って、電子を出す側、プラス極は、陽に偏って、電子を受け取る側、硫酸は、プラス極が電子を押し付ける先だ」

「そこが逆になるせいでややこしくなるのも、昔の人ふざけんな案件ですけど、それはいいです。良い事にします」


 電流の向きをフィーリングで決めるなよ……頼むよ……。


「だがこの時、硫酸に直接電子が渡されず、銅線を通って遠回りするだろ?」

「………ん?あれ、確かにそうですね」

「これはな、プラス極に当たる金属の方が、自分の外に電子を押し付けるのが得意な為だ」

「え?ん?でも、硫酸が、電子を押し付けられやすくて……??」

「そこで、さっきの電子のスピードの話だ。電子ってのは、その場からほとんど動かねえ。だが、」


 先生はそこで、極と銅線の中に、電子を表すらしいまるをぎゅうぎゅうに描き入れて、


「こうやって電子に満ちている所に、もう一つ電子を増やすと、押しのけ合いが発生するだろ?満員電車と同じだ。背中を押された電子は、『おっと』と目の前の背中を押す。それが繰り返されるわけだが、もしこの電車の扉が、一つ開いていたらどうなる?」


 扉。

 外へと開いた穴。

 銅線と、それで繋がれた二種の金属の中で、硫酸内の水素イオンに、電子を押し売りするのが上手いのは——


「……プラス極の方から、外に押し出されちゃう、わけですね?」

「そうだ。今の説明だと玉突き事故的だが、実際には全ての電子がほぼ同時に動く。電流ってのは、『電子の流れ』と言うより、『ある方向に電子が一斉にズレる』、この運動全体の事を言う。特定の電子単体が、マイナス極からプラス極に運ばれる、という事を言うんじゃねえんだ」

「そ、そういう事だったんですね……」

「電流ってのは、こうやって、『電子を押しつけたいマイナス』と、『電子を受け取る余裕を作る準備のあるプラス』、双方が繋がる事で発生するわけだ。ここまでは良いか?」

「分かって来ました……」

 

 分かっては来たんだけど、


「それだと雷って、どうして何も無い所から落ちてくるんですか?下にプラス極なんてないですし、何も繋がってないですよね?」

「そこだぜ。金属の中の原子は、電子を手放しやすい性質を持つ。分かるか?手放し『やすい』、だ。空気中の分子、それを構成する原子からだって、電子を分離させる事は、可能っちゃ可能なんだよ。力づくになるわけだがな」

 

 今度は積乱雲を描く先生。


「雲は微細な水の粒の塊だ。で、上昇気流によってその高度を上げると、大気圧が低くなり、地面からの放射熱も受け取れなくなる為に、そいつらの周囲の気温は低くなっていく。ある程度昇ると氷点下にまでなって、水の粒は氷になっちまう」


 角ばった粒々が描き入れられる。


「氷同士がぶつかり合うと、電子の移動、静電気現象が起こる。この時、詳細は省くが、氷の粒の大小によって、電子がどっちに移動するかが変わる。小さい粒はプラスに帯電しやすく、大きい粒はマイナスに帯電しやすい。

 さて、カミザ。氷の粒の内、下に溜りやすいのはどっちだと思う?」

「ええと……大きい方が重いので、マイナスが大きくなってる方の粒、ですよね…?」

「理解が早くて助かるぜ」


 マイナスマークが付いた粒が、雲の下部に集められる。


「こいつらは、電子でギュウギュウだ。マイナスの電気を放出したくて堪らねえ。更にそのマイナスの気配に引き寄せられて、地表では陽イオンが、マイナスが不足した連中が、集まって来ちまった」


 地面を表してるらしい横線の下に、プラスマークがどんどん増やされる。


「空気ってのは、銅線のように、すんなり電気を通してくれねえ。さっきの押し合い連鎖を、途中で押し止めちまうんだ。が、今ここに居るマイナスとプラスは、お互いに会いたくて、触れ合いたくて仕方ねえ。プラスとマイナスは膨れて行き、天の川に引き裂かれた恋人みてえに、引き合う想いが強くなっていく」


 そう言われると、なんかロマンチックな場面に見えて来た。

 

「この衝動が限界を超えると、空気の頑固さを突破して、電子を激しくぶつけられた気体が新たな遊離電子を生む、という二次・三次被害が広がっていき、電子雪崩と呼ばれる大惨事になる」

 

 駆け寄る二人から、決壊するダムに、

 脳内イメージが一瞬で置き換わってしまった。

 情緒も何も無い。


「地面からも、プラスの電気が手を伸ばす。空からは、マイナスの電気が。

 この二つが遂に触れ合ったその時、プラスとマイナスを平均化させる道が通じて、膨大な電流となる」


 それが、“雷”。


「こうやって、プラスとマイナスがデカくなり過ぎて、電流が通りにくい筈の物質に、無理矢理通り道をぶち開けちまうのを、“絶縁破壊”と言う。電子を死ぬほどぶつけながら強行突破するもんだから、熱だとか光だとかを派手に出すわけだ。

 因みに、大気の密度が、つまり気圧が低かったりすると、掻き分ける力が小さく済んで、ぶつかる電子も加速しやすいから、より低い電圧で絶縁破壊に至ったりする」

 

 


 纏めると、

 雲の中の電気と、地面の電気、

 その二つのプラスとマイナスが酷く離れた時に、

 それを平衡に整えようとして起こるのが雷なのだ。

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