83.本当に、ありがとう


 5月20日、月曜日。

 結局あれから一週間程、学校を休んでしまった。

 入院中でも、院内の施設を使って、筋トレとか、白取先生による授業とか、とにかくなまらない、置いていかれないような配慮が欠ける事はなく、復帰自体は、思ったより何てことなかった。



 カンナに関するゴタゴタも、終わった。

 

 心には残るが、こうする以外に無かったと、それだけは言える。



「あ、カミザ君!オハヨ!待ってたよ!」

「マッテタ…!?お、おはよう、詠訵…!」


 校舎に入るか入らないかくらいの所で、待ち伏せされていた。

 詠訵と一緒の学校、一緒のクラスって事実にも未だに慣れない俺にとって、破壊力のある光景だった。

 「待ってたよ」、って何だよ。心臓への貫通攻撃か?

 実は暗殺者だったりするなら、“絶殺ぜっさつ”の称号を与えていい。


「体はもう大丈夫か?」

「私は全然!それを言うならカミザ君の方が酷かったんだから!もう大丈夫なの?」

「この通り、平気に元気」

「良かった~……」

 

 心から嬉しそうにしてくれる詠訵。

 ええ子や…あったまる……。

 

「そうだ、詠訵、一つ教えて欲しい事があってさ」

「うん?どうしたの?」


 下駄箱から出した上履きを履いて、教室に足を運ぶ道中。


「そこの教室って、何に使われてるんだ?」

「え?ああ、そこは、今は空き教室だね」


 ふと思いついたように、廊下の隅にポツンとある、小さめの一室の扉を開ける。


「もともと、何かの個別クラスとかで使ってたらしくて、今はどこかが部室申請してた筈——」


 二人共入った所で、出入口をピシャリと閉めて、耳をくっ付けて外を窺う。


「……駄目だ。ダンジョンの外だと何も分からん」

「大丈夫。誰も追ってきてないみたい。少なくとも、私達の会話が聞こえる範囲に人が来たら、感知できると思う」

「流石…」


 声を潜めながらの、尾行警戒。

 昨日のWIRE上では、昼休みに決行としていたが、折角早めに詠訵と合流できたし、朝礼まで30分はある。

 説明は早い方が良いと、予定を前倒した。


「それで、カミザ君」

「うん、まず、一つお願いしたいんだけど」

「何かにゃあああああ!?」

「ちょ、しぃー!しぃーー!」

 

 必要なので顔を近付けたら、仰天された。俺、息とか臭かった?

 詠訵はすぐに我に返って、外の様子を改めて確認し、誰にも聞かれてないのを見て、ホッと息を吐いた。


「ご、ごめん……!」

「い、いや、俺の方こそ、説明も無しに急だったな」

「すぅー……、はぁー……、うん、大丈夫。それで?」

「俺の、右眼を、至近距離で、しばらく見てて欲しい」

「ヴ……」

「え、イヤだったか?ごめん、他の方法を」

「ぜんぜん全然ぜんぜんイヤじゃないよ?なんならドンと来いだよ?」

「そ、そうか、なら頼む」

「い、良いけど、どれくらい?」

「分からん。合図が来るまで。短ければ、数秒で済むらしい」


 本人の同意も取れたし、もう実際にやってみよう。


「い、いいか?行くぞ…?」

「う、う、うん……」


 詠訵の頭を両手で挟み「ひゃん…!あ、なんでもないよ…!つ、続けて…!」なんでもかんでも色々大アリだったが、とにかく、固定して、互いの息が鼻の頭に掛かるくらいまで、接近させる。


「………」

「………」


 ッズ……!

 無言で相手の呼気を感じる時間、クッソ恥ずかしいんですけど!?

 しかも俺の右眼に注目しなきゃいけない関係上、瞬きもできずに目を合わせる事になるし!

 あ、「KAWAII」が強いと思ってたけど、こうして近くで静かにじっくり見ると、「美」が強い!顔の造作もそうだけど、肌とか、眉毛睫毛とか、薄くリップが塗られてるらしい唇とか、努力によって磨きが掛かった燦然光さんぜんこうで失明しそう!

 これが創生神話に記されし、「ガチ恋距離」……!

 顔を逸らさないよう固定する為に、素手で触ったのもいけなかった!

 しっかりトリートメントがなされ、引っ掛かるような抵抗も無く、俺の指を受け入れた髪と、もちもちと押し返す頬っぺた、プニプニと潰れる耳。緊張で出た手汗で、俺の手が冷まされたせいだろうか。運動後のように、熱く強く、体温を感じてしまう。

 こ、これ…、なんか、良くない事、してるみたい、っていうか……いや、してるよな?これしてるよな?有罪ギルティだよな?

(っていうかいつまで続くんだよ!)

 

「なんと、お熱いですね?」


「「うひゃあっ!?」」


 パッと窓の外を見ると、真っ黒に潰されている。登校する生徒が作り出す喧騒も、どこにも聞こえない。

「あれ、どうぞ、私に構わず、続きを」

「しないわ!」

 か、カンナ!お前ー!

 詠訵を引き込めたら合図しろって言っただろお前ー!

 絶対数秒くらい余計に泳がせてただろ!

 

 文句の一つでも言ってやろうとするが、横で詠訵がキョロキョロしてるので、そっちの混乱を収める事を優先した。

 

「あー、詠訵?ここは、俺の頭の中?夢の中?みたいなものらしい。外と比べて時間の進みは遅いから、そこは心配いらない」

「な、成程ー…、便利なんだねー……」

 

 この状況でその感想。肝が据わってらっしゃる。


「で、この前も見たと思うけど、改めて紹介する」


 スカートの後ろを手で抑えながら、机の上に腰掛けるカンナを、片手で示して、


「この人がカン、カンナぁッ!?」


 慌てて見直した俺は戦慄する!

 お前なんで明胤の制服着てんだ!?

 しかもシャツ無し!

 ヘソ出し!

 谷間出し!

 超ミニスカート!

 太腿の肉が明らかに乗っかってるキツキツの白ニーソックス!

 バカみたいな格好だなあ!?


「どうしました?いつもと同じ、ススムくんのお気に入りの装いですよ?」

「え、そ、そうなの…?」

「ち、がああああああう!!」

 

 ヤメロー!

 詠訵の中の俺が変態で固定されるだろ!!


「どうして嫌がるんです?ああ、マンネリですか?そう言えば以前、着てるか着ていないか、分からない丈にしてくれと、懇願してましたね?次からは、そうしますか」

「か、カミザ君…?」

「カンナああああああああ!!」


 引かれてるから!

 ドン引かれてるから!

 事実無根!

 名誉毀損!

 損害賠償!

 謝罪行脚!


「くふふ…、そんなに必死に、ならないでください?余興ですよ、単なる、ね」

「シャレになってないんだよ……!」


 あれ?っていうか、


「カンナ!?顔は隠さなくていいのか!?っていうか肌もだけど!」


 耐性が無い人が灰色部分を直に見ると、狂うとか言ってなかった!?


「先日の、その方の反応で気付いたのですが、矢張り私は、大きく弱体化しているようで」


 「ススムくんのお肉、余程、質が悪いようですね?」、

 いや別に、素材としての優秀さは、気にしてないんだけどさ。


「それと、間にススムくんが挟まっているのも、理由かもしれません」

「実体化してる時も、俺の眼を使ってるんだっけ?」

「ええ。ですから、あの状態では、貴方の視界の中より、逸脱する事も叶いません。それと、魔力循環の関係上、ススムくんの本体にも、かなりの無茶を強いますから、長くは続きませんので、そのつもりで」

「それで俺はぶっ倒れたわけね」


 何でも出来る神様みたいに思ってしまう時があるけど、彼女もモンスターの一種に過ぎない。何らかの法の下、制約があるのだろう。


「おほん」

「あ、ごめん詠訵。そっちのけで」

「か、カミザ君?その人の格好、本当にカミザ君リクエストじゃないんだね?」

「断じて違う」


 ほらあ!

 癒えぬ傷みたいな強固な誤解が刻まれてんじゃん!

 詠訵は「良かった…!」、と胸を撫で下ろしている。

 そりゃそうだ。パーティーメンバーが、女の子に変態コスチューム着せるような奴だったら、安心して命を預けられないだろう。


「それにしても詠訵、本当にありがとうな?」

「うん?何が?」

「いや、あんな言葉足らずな、雑な口裏合わせに応じてくれて」


 お蔭で、

 カンナの存在は隠せた。


「全然!お安い御用だよ」


 そう言った詠訵は、

 やけに嬉しそうだった。

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