82.覚悟を決めろ
カリカリ、カリカリ。
苦しい。
指先が乾いて、指紋の隙間に砂粒が入って、喉も腹もくぅくぅ鳴って、
だけどそれ以上に、
真っ先に来るのが、
苦しい。
その一言だ。
誰か、
何度そう言おうとしただろう
カリカリ、カリカリ。
いや、言ったのだろうか?
ここでは、
上にも横にも手足がぶつかる、この
声では何も揺らせず、だから意思と行動の、二つの境が曖昧だ。
カリカリ、カリカリ。
苦しい。
爪が剥がれるのを厭わず、
隙間を引っ掻く。
ここが開けば、
そうすれば、
肺一杯に、
酸素を、
かりっ、
あ、
開いた、
顔を、大きく開いた口を近づけて、
地虫が這入ってきた。
毒々しい虫が、
ブヨブヨとした虫が、
鋭い顎を持った虫が、
長細い虫が、
足の多い虫が、
虫が虫が虫が
虫虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲……
叫ぶ。
叫べているのか分からない。
声は届かない。
地中だと思い込んでいたが、
とっくに地獄だというのだろうか。
だったら、
肉も、
皮も、
臓腑さえ、
要らない。
いらない。
虫共に貪られ、
痛みを訴えるだけの部位など、
全部、
全部くれてやる
骨だ。
骨だけで、いいんだ。
内から食い破られながら、
持って行けと、
そう叫ぶ。
これが終わったら、
咎人達に課せられた、
痛苦という罰が
天国に——
風。
風だ。
地中に、風が吹いている…!
どこ、どこだ、どこからだ。
目だけ回して、探しても、そんな隙間は無い。
あれ、目は、もう、差し出したん、だっけ?
やがて目元に、針を持った虫が昇って、
燃えた。
風。
砂粒が、全身を打つ感覚。
肉も、
皮も、
臓腑も、
そして、骨も。
ああ、灰は灰に。
これが、本来の姿だったのか。
「たくさん、死んだんだ」
声だ。
いつの間にか、周囲は焼け痕に、
どこまでも、灰と死が続く、荒野となっていた。
「空が光って、たくさん、死んだ」
声は、足下に生えた、一本の草から、聞こえたようだ。
不思議だ。
風に煽られているだけで、その振動が、繊細な声色になる。
「死んで、死んで、誰も、何も、居なくなった」
淡々と、事実だけを。
それなのに、物悲しさがあった。
「だから、ここで起こった事は、誰も知らない」
——誰にも、知られない。
風が吹く。
灰の大地が、遠ざかる。
ああ、塵芥と
これが、本当の、罪も穢れも無い、有り
千々に散っていく意識の中で、
そんな事を考えていた。
いらっしゃいませ!おはようございます!日魅在進です!
現在、ベッドの上からお送りしております!
見て下さい!この清潔感のある内装!
シーツに至るまで真っ白!きっと几帳面な方がお住まいのお宅なんでしょう!
それに壁を埋め尽くす、でっかい鏡!
窓一つ無い部屋でも、閉塞感を感じさせないようにという、粋な計らいが感じられますね!
あと天上の隅にある、半球のインテリアなんか、洒落たワンポイントですね!
え?中にレンズみたいな物が見えるって?そういうデザインですよ!
……はい、茶番終わり。
えー…、何度目でしょうか?
よく思い出せない悪夢の後に、ガチガチの監視の中で目が覚めました。
最近気絶し過ぎです。健康状態が心配とかいうレベルじゃありません。
前にイリーガルに、カンナに会った時もこうだったから、対応としては一貫してる。
でも、前の部屋と比べて、ちょっと狭い?と言うか、なんか微妙に違う気がする。
と、唯一の扉が——こういう場所のドアって、スライドタイプだと相場が決まってるよな——開き、入って来たのは、
「これは!お目覚めですか!
ロボットスーツの保健室教諭だ。
………なんか一気にこの空間への恐怖度が増した。
「ど、どうも、白取先生……」
「おはようございます!本日は5月12日、日曜日です!」
「ご親切に……12日!?」
え、ええっとお…?
俺が詠訵を助けに行ったのが、9日だったから……3日間くらい寝てたって事ぉ!?
「し、白取先生が居るって事は、ここは明胤学園の施設ですか?」
「ご名答!明胤学園第5棟!ええ!医療棟の隔離病室ですとm…ゲホッゴホッー!」
「倒れてから、ここに移送されて、それから俺、ずっとグッスリでした?」
「いいえ!最初は最寄りの民間病院へ!」
「あ、そりゃそうか……」
「しかし大変でした!
こっわ!?
「え、って言うか、職員の方が、助けに来てくれてたんですか?」
「初等部主任の
「それで、救助隊に?」
「
わーお。
すぅごい熱血な方だ。
理想の教師か?
「その先生に、『ありがとうございました』って、伝えて頂けると……」
「それは御自分でお伝えした方が宜しいでしょう!初等部一般棟に行けば会えるでしょう!ええ、大抵は!」
それもそうだ。
今度時間が空いた時にでも行ってみよう。
「それで、です!日魅在君!」
「は、はい!」
「ここからです!ええ、未だ本題ではありませんでした!」
のらりくらりと周辺情報を聞き出していても、いずれはこの話題になったのだろう。
「この度、貴方が遭遇したイリーガル!それについて、教えて頂きたい!」
避けては通れない。
16歳のガキが、2回。それも、2年足らずの間に、2回だ。
頻度としては異常。聞かれないわけがない。
「やっぱり、そういう話に、なりますよね……」
「そうですとも!ええ!貴方は大変なレアケースですから!さあ!ご存知の事を何でも!今!ここで!」
今、世界的に、イリーガルが活発化傾向にあると言う。
そんな中でも、異例中の異例。
もしかしたらその少年に、奴らの活動について、大きな手懸りがあるかもしれない。
そういう考えが出るのも、自然と言えた。
そして俺も、概ねで同意見だ。
自分が何か、途方もない事に巻き込まれたんじゃないかって、そう思う。
カンナ、いや、“
更に、今回俺を襲った奴は、実在が既に確認されていた
明確な知性が、人間味があった事。
そういうモンスターの存在は、カンナと同じように、都市伝説の筈だった。
はっきり言って、俺が体験した全てが、既存の価値観を破壊しかねないものだ。
そして、詠訵が襲われる直前、俺に届いたあのDM。
あれが、イリーガルによる仕込みだとすると、
モンスターが、人間社会に適応している?入り込んでいる?
そして、それ程高度に擬態した奴らが、あと何体居る?
知性モンスターは、“
他に居たとして、群れずに個別行動か?
それとも………
人々の平和すら、脅かされ得る問題だ。
そして、それを隠す事は、そのまま奴らの潜伏に、加担する事。
その一部でも、俺の中で止めるなんて、道義的に許されない。
だが、
企みを暴く為に、“
それに殺意を持って狙われた事を語れば、
必然的に、
標的が何故俺、日魅在進とかいうクソザコローマンなのか?という話になる。
そして俺は、その答えに見当が付いている。
カンナだ。
それ以外に無い。
あれは、俺がカンナから力を受け取ったと考え、それを回収、いや、抹消しようとしていた。
あいつは、「我々の血で血を洗う闘争」、そう表現していた。
つまり、あいつの“勢力”と、別の何かとの戦い。
言動をおさらいすると、多分そういう事なんだろうと思う。
ローズの真の姿を報告しないわけにはいかず、それにはカンナについて触れざるを得ない。
つまり、カンナの存在を隠すなんて、もう無理があるって事だ。
イリーガルモンスター達の暗躍と戦う。その為に、これまでの経緯を話した上で、国に正式に調べて貰う。
俺の、右眼を。
その中に、カンナが居るのだから。
彼女は、俺の体を、ある程度操れる。
けれど、俺の意識を飛ばさないといけないし、動かし方も限定的。俺の詠唱が無いと、この前みたいに戦う事もできない。
丹本が誇る高ランクディーパーを用意すれば、彼女を押さえる事が可能な筈だ。
いいや、可能不可能じゃない。そうしなきゃいけないんだ。
イリーガルを放置すれば、今回のように、身近な誰かが巻き添えを食う。それどころか、多くの人の命に関わる。
これ以上カンナを隠すことは、国家への、もしかしたら人類への、意図的な反逆になってしまう。
もう、逃げられないのだ。
どんな理屈を並べても、感情論に訴えても、
正当化は出来ない。
解答は、一つだけだ。
「日魅在君!何か、ありませんか?いいえ、あるでしょう?」
白取先生は、分かって聞いている。
この人は、優秀な人なのだろう。
俺が詠訵を
いつも通りのハイテンションの中に、いつかニークト先輩を制したみたいに、凍り付く刃を首筋に当てるような、言外のプレッシャーを織り交ぜる。
自信たっぷりで、全て知っているような態度。
何らかの確信を、得ているように見える。
隠せない。
隠し、切れない。
「そもそも俺が、全貌を、分ってないんですが」
「ええ、どんな事でも。気付いた事があれば、是非」
俺は、
「実は——」
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