80.羨むべきか、憐れむべきか part2

〈私の、火気かっきを……、否、“火難かなんの災厄”を操る魔法………その、極致が、此処に……〉


 敵に“認識”を植え付ける為、理屈を“納得”させる為、語り口を繋げるローズ。

 ナイトライダーが、ほんのかすかに、その柳眉りゅうびを寄せる。


〈ほぉ…、そう来ますか…〉


 が、不快によってではない。

 意外な収穫に、行き当たった為だ。


〈“炎”という、物質は無い……、“燃焼”という化学反応が、エネルギーを発し、その一部が、光へと変換される…。例えば太陽の表面とは、見かけ上のものでしかない…。あれもまた、炎の一種だ……〉


 むっくり、と、

 樹体を、起こしていく。

 地中の根が、幾重もの六芒星を結び、足の下に夜天やてんを開く。

 節々に生じた割れ目から、内から破裂せんばかりの“何か”、それが発する橙の光が、漏れ出ていた。


〈そもそも……そもそも、だ。火を生む根本原因である、乾季。これを生み出しているのは、日輪にちりん、つまり質量変換反応、そのものであると、言えるのではないか……〉


 完全に“立ち上がった”彼は、その枝葉末節を総動員して、砲口を形成し、彼女に向ける。

 茎を結んで印を編み、一つの大きな裂け目を作る。

 稲妻めいてジグザグとした象形しょうけい

 中は赤熱、いやさ白熱!


の世の人間共では……、発想すら、届き得ぬ所業……!私なら、扱える…!〉

〈己が身を薪として、身軽にしつつ、それによって確保したエネルギーを、停止力と拮抗させ、更には余剰分を発射、ですか?〉

〈等価性による莫大なエネルギー変換…!お前は、これでも滅びぬ……が!お前の後ろに居る、其奴そいつらは、どうかな…?〉

〈確かに、今の私では、庇い切れません〉


 それが解放されれば、人の身など、一溜まりも無く、消し炭とされる。

 と、首を左に傾ける彼女。


〈困りましたね…〉

〈そうか、困ったまま、消えろ〉


 放たれる方向を、狭く薄く制限し、

 反逆の妙手が、盤上に着地する!



〈見なさい?“ベー”〉

 

 

 ナイトライダーは姿勢も変えず、

 絹糸のような髪を、左耳に掛けた。

 

 キラリ。

 耳飾り。

 いつもは白き幕の向こう。

 それが日の目を見て、


 彼女にしっかり狙いをつけていたローズは、

 その注視のままに、

 揺れる光芒こうぼうを目で追ってしまう。


 その意匠は、横長の十字の下に、縦長台形の鏡がぶら下がる、というものだった。

 磨き抜かれたその表面に、決死の覚悟で彼女を討たんとする、彼自身の姿を見た。


 鏡像で見ると、彼の体が縦の稲光で、二つに割れているように見えた。



 



〈あ……?〉



               彼は、    ローズは、

 

          ギザギザの    断面を残し、

 

              左右に   分断されていた。

              

           斬り口は  焼かれ、


           それどころか  融解し、


            一部は 気化していた。

 

 

 彼は当然ながら、すぐに我が身を修復しようとした。

 一瞬、何からも“目”を離し、自分をかえりみて、


〈“チカ”〉


 すると彼女が寸前に立っていた。

 

〈ぬあッ……!〉

 

 被害箇所を縫った彼は、炎焼えんしょうを纏いながら、その葉で攻撃しようとして、

 抱きしめられる。


〈あ、ああ……!〉


 いつの間にか、彼女は素肌を露にしていた。

 顔と、両腕と、両脚。

 更に前面もはだけ、臍の下に、白い紋様が覗く。

 その形状を大様おおように言えば、縦線が下膨しもぶくらんだ「山」の字を、上下逆転させたもの。


 彼女のかいなは枝を抑え、

 彼女の脚は茎を絡め取った。

 球のような胸が潰れるくらい、抱擁は強く情熱的に、

 鼠蹊部そけいぶすら密着させて。


 身に着ける物は空気に燃やされ、

 盛る大火たいかを直に抱えて、


 朱色に巻かれる女が在って、

 爛れていくのは、けれど彼の方で。


〈あぁ、あああぁあ……!〉


 枝葉が、形を失いとろけていく。

 幹が、外から腐り落ちる。

 地下の茎と根が、生え出てその背を狙うが、

 サラサラとした髪に、掴まれ止まってしまう。

 彼はその感覚を、

 一本ずつ、根から優しく抜かれるような、その感触を、

 極上の滅びを、

 味わっていた。

 堪能していた。


 実際に喰われているのは、彼の側なのに。


〈あが、あ、あ、わ、は、あ……!〉

 

 おそろしいのは、

 真におそろしい事は、

 それを望んでいた、待ち焦がれていた、自身が何処かに居る事だった。

 ローズは自覚した。

 その姿を一目見た時から、

 本心の何処かが、疼いていた。

 こうなる事を、欲していた。


〈あれ、抵抗、なさらないのですか?〉

 

 彼女はその弱みを、見逃さない。

 悦びの中に、諦めを刷り込む。


〈御大層な、御題目は、使命は、どうしました?〉


 全身全霊を、ほぐはなそうと言うのだ。

 逆らう心すら、摘み取ってしまうのだ。


 だが彼女のその言葉が、悦服えっぷくに抱き潰されんとしていた、彼の最後の正気を呼び戻した…!


 彼は胞子と共にコアを発射し、風に乗せて遠くへ運ぼうと考えた。

 逃げるのだ。

 この女は、あの少年から、遠くに離れられない筈。

 今なら、逃げる事が出来る…!


 急激な魔力の揺らぎを出さぬよう、細心の注意を払いながら、コアが茎を伝い、先へ、葉の先へ、〈そろそろ、底が知れましたね?〉


 有りもしない目が、彼女の瞳に囚われる。

 つぅー、と、幹の後ろに回された手が、肌触りの良い、じんわりと沁み込むような指で、脈をなぞってくる。

 

〈私に、自ら、差し出しなさい?〉


 何を、とは言わない。

 自分にとって、最も大切な物を。

 問わずとも、それを心得よ。

 捕食者であり、支配者。

 その立場から、降りるつもりなし。


 だが彼も、譲る事はない…!

 滅びず、

 朽ちず、

 必ず、生き延びる…!


〈あれ、思ったより、強情ですね?〉

 

 「素敵です」、賞賛の言葉すら、内部を荒らす毒だった。

 それでも、ローズは、コアを——


 彼女は、

 つやの差す唇を、

 舌でと湿らせる。


 デロデロの表層、丸裸にされた内面。

 そのように開いた、最も敏感な傷口に、

 左右非対称な蔑みの笑みを、そっと近づけて、



〈差し出せ、 ざっそう


 蠟燭を吹き消すような、

 ささやかな命令と一緒に、

  口づけを落としてきた。



 肉厚な舌頭ぜっとうによって、維管束に粘液を塗り込められ、その度に知性の核を、めくり剥がされるような、恍惚とした敗北感が芽吹き、


 彼の枝の一本が、

 葉脈の一つからコアを抉り出し、

 彼女の御前おんまえに捧げ持った。


 ローズは、自分が何をしているのか、理解できなかった。

 と言うのも、それに限らず一切が、分からなくなっていたからだ。


〈ふふ、い子、ですね…〉


 ようえきしたたる露出部から口を離した彼女は、

 銀糸ぎんしを引いたままの舌を、見せつけるようにしながら、


〈はぁ、む〉


 わざとらしく吐息を漏らし、

 その球体を巻き取るように、嘗め取るように、口に含んだ。


〈ん~……〉


 頬袋の中で、飴玉を溶かすように、転がされる命。

 己の最も脆く、弱い部分を、手中どころか、口内に収められ、

 ゆっくり、ジクジクと、融かされている。


 ローズはそんな中、意識を陶然と揺蕩たゆたわせていた。

 毛状突起の一本さえ、意思によって動かそうとしなかった。


〈ああ、折れてしまい、ましたね…〉


 彼女は舌先でろうするのをやめ、口元に出したそれを、挑発的に甘嚙みして見せた。

 何も、そよ風一つ、荒立あらだたなかった。


 それを確認すると、楽しげな表情も落とし、きょうも用も無いと言うように、身を離しながらコアを噛み割った。


 風が一つ吹き、

 灰が飛び、

 残らず消えてしまった。


 衣服を直しながら踵を返した彼女は、今の棲み処に歩み寄りながら、「何一つ分からない」という顔をした少女に笑顔で手を振り、相手が赤面するのを眺めつつ、その少年の眼前まで来ると、


〈少々、無茶をしました。帰りは、その子一人になります〉


 そう告げて、元の形に、少年の右眼に戻っていった。


 少年は傍らの少女に、

 二言三言伝える途中で、

 全身を溶鉱炉に漬けられたような痛みに襲われ、


 毎度恒例の如く、気を失った。

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