29.本職から見ると未熟かもしれないけど、そういうことじゃないんだ
居住区に戻った俺は、自分が入居している棟の階段を、一段一段、トボトボと登っていた。
あれからカンナは何も言わない。
少し離れた所で、黙って浮いているだけ。
冷たいとは思わない。何を言っても傷つきそうな、今の俺に気を遣って、放っておいてくれているだけだろう。
情けない。
自分の弱さと未熟さに甘えて、不登校になってしまったあの日から、結局何も変わっていない。
成功者、人気者、幸せ者、そういう淡い理想があった。
誰かに助けられるのでなく、助ける側になりたい。
憧れられて、力の源となる、そんな人間になりたい。そう欲張った。
その為に、強くなりたい、そう願った。
少しずつだけど、近付けていると、思っていた。
でも、“不可能”を前にしたら、“犬死に”を予感してしまったら、すっかり元のモクアミだ。
一歩、
一歩、
階段を、登っている。
苦労して、進んでいるようで、
これは帰路だ。元の場所に、戻ってるだけだ。
「はあ………」
俺が手放した物は、今日の収入や視聴者数だけでなく、もっと大事な何かなのではないか。そんな不安に潰されながら、自室があるフロアに押し出される。
第2棟3階の5号室。そこに着くまで、どれだけ時間を掛けるのか。自分の腑抜けっぷりに、気分がもう一段沈み、
「おお!ススム!」
「え?」
「随分遅かったのう!待ちくたびれたわ!」
じいちゃんが、俺の部屋の前で待ち構えていた。
「ほれ!とっとと中に入れんか!いつまで老体を立ちっぱなしさせておくつもりじゃ!」
「ご、ごめん!」
アポ無しで急に訪問した側にしては、随分と偉そうな事を言われながらも、俺は慌てて鍵を開ける。
「どうぞ」と言うまでもなく我が物顔で中に入ったじいちゃんは、簡易テーブルの上にレジ袋を置いて、中から食材を次々に取り出していく。
「え、ちょ、何やってんの?」
「何って、見れば分かろうに!久しぶりに例のモノを作ってやるって、そう言っておるじゃろ!」
何も言ってないでしょ。
という俺の返答を待たずに、一口しかないコンロで、調理を開始してしまった。
それがじいちゃんの本名だ。
その通り。実は祖父でも親戚でも何でもない。本当に単なるご近所さんである。
この前はマスコミを追い払う為、随分不潔な格好をしていたが、いつもは普通の63歳だ。
俺がローマンとなり、この居住区に入れられた時は、まだ小学生だった。
居住区内に孤児院のような設備はなく、居住区管理局の担当職員が、当番制で面倒を見る、事になってはいる。
が、やる事と言えば、学校以外は基本的に部屋に押し込め、週に一度、生活が出来ているか見に来るだけだ。
光熱費とか家賃とか、それらをローシから引き落として、余ったお金で保存の利く食事を、まとめ買いして持って来る。それを俺に渡し、次の見廻りの時、残り具合を見て補充する。親代わりどころか、動物の飼育のテンションだ。
中学時代になったら、とうとうお金だけが振り込まれるようになったし。
そんな境遇だが、実はそれほど寂しい思いはしなかった。
その理由が、じいちゃんを始めとした、ご近所さん達の存在だ。
社会から疎外されたローマンとして、同じ居住区の、特に同じ棟の人間は、繋がりが強いとされる。
丁都の居住区は、「首都の中にある田舎」とか、そんな揶揄をされるくらいには、住民同士の結束が固い。
労働をしようにも企業側から拒まれ、就けるのは過酷で理不尽な奴隷扱いだけ。そういった現実により、ほとんどの人がローシで食い繋ぎ、世捨て人のような生活をしている。
か細い収入と、閉じた将来。そういった苦しみを共有する住民達は、困った時はお互い様の精神で、身を寄せ合うように暮らしていた。
彼らはかわりばんこに会いに来てくれて、俺の遊び相手になってくれた。ローマンの中でも、小学生の一人暮らしは流石に珍しかったらしく、随分気に掛けてくれていた。
じいちゃんはそんな中でも特に、俺に良くしてくれた人だ。
来る頻度は一番高かったし、俺が熱を出して寝込んだりすると、看病するのは大抵じいちゃんの役割だった。
俺が不登校になった時も、内心の吐露に付き合ってくれた。
俺がディーパーを、自立することを目指して、他の住民から煙たがられ始めた時だって、肯定も否定もせず、ただそれまでと変わらず接してくれた。
頭が上がらないと同時に、不思議に思う。
本来縁もゆかりも無い、階どころか棟も違う、更にローマンコミュニティ内ですら孤立し始めた俺に、どうしてそこまでしてくれるのか?
本人に聞いた事もあったが、結局毎回はぐらかされてしまう。
だから、理由は分からない。
俺の中でのじいちゃんは、ただ底抜けに優しい人だ。
「配信見てたの?」
「………気付かれたか」
「そりゃそうでしょ。タイミング良過ぎるもん」
「時間だけは有り余っとるからのう」
「……なあ、じいちゃん」
鍋にパスタを入れ、茹で上がるのを待っている間に具材を切っている背中に、俺は再度聞いてしまう。
「どうして、俺の面倒見てくれるんだよ」
「またその話か」
「じいちゃんがちゃんと答えてくれないからだよ!知ってんだよ。俺の事手助けしてるからって、最近じいちゃんまでハブられてるって」
このままだと、じいちゃんまで共同体の敵扱いされてしまう。
それが分からないほど、モーロクしてるわけでもないだろ?
「若いのが余計な事を考えるな。そう言うどうでも良い事に頭を悩ませるのは、大人だとか、わしら老いぼれの仕事じゃ」
「いや、だけど——」
「どいつもこいつも分かっとらん!歳を食ったモンが少年を育てる、その道理以上の理屈なんぞ要らんだろうに!」
ほら、また。
それだけが理由じゃない、それは分かってるのに、俺は何も言えなくなってしまう。
掘り下げて、その先でじいちゃんにすら醜い面があったと知ったら?俺はそんな事を恐れて、踏み込むのをやめる卑怯者だ。
そんなチキンにはこれ以上言える事は無く、ただ夕食を用意するじいちゃんを、黙って見ているだけだった。
「ほれ完成!お待ちかねのクサバスペシャルセットじゃ!」
「二品目だけで『セット』もないだろ」
そうは言いながら、腹は鳴ってしまう。何しろ俺の好物だ。
ピーマン、ベーコン、ソーセージ、それとタマネギが入ったナポリタン。それから豆腐と油揚げの味噌汁だ。
和洋も統一されてないし、コンセプトとか隠し味も無い。一般的なレシピの、普通の食卓。
だけど、じいちゃんが作ってくれるナポリタンが、俺は大好きだった。
フォークで巻き取って口に入れる。うまい。麺の一本一本が舌を楽しませる。じいちゃんの加減は天才的だ。ケチャップが塩気を丸々引き受け、ともすれば安っぽい濃さの味になってしまうこの料理で、ここまで丁度良く、上品な舌触りにできるのは、長年の経験が為せる技だろう。
ベーコンとソーセージの表面は僅かにカリッと仕上がり、しかし焦げたり中が固くなり過ぎたりしていない。そしてトマトと肉を堪能している所に、シャキシャキと甘いタマネギや、ピリリと苦みが効くピーマンが、定期的に差し入れられ、口内をリセット。トマトと肉の魅力が、いつまでも新鮮に保たれる。
やっぱり、じいちゃんのナポリタンは、天下一だ。
そこで俺は一度フォークを置き、休憩とばかりに味噌汁に口をつける。
これもうまい。
味噌は控え目だが、
豆腐も油揚げも豪快に切り分けられ、一個一個が大きく、ボリュームが盛られているように感じられ、何だか得した気分になる。
そこでふと、「そう言えば味噌汁なんて久しぶりに食べたな」、なんてしみじみ思ってしまい、気付いたら頬を、雫が一滴
いつだったか、じいちゃんに得意料理を聞いた時、食い合わせなど考慮せず、挙げられたのがこの二品だった。それ以来、何かあると作ってくれるようにせがんだものだ。
だが、他人の食費を負担するなんて、ローマンには馬鹿にならない出費だ。
特にナポリタンを作る時、じいちゃんは少しだけ良い食材を買ってきたりする。
それがどれだけ負担になるか、成長するにつれ理解できるようになり、最近では申し訳無さ過ぎて、「作って欲しい」と言えなくなっていた。
なのに、今こうやって、自分から振る舞いに来てくれている。きっと、俺の遠慮を見抜いた上で、元気づけに来てくれたのだ。
それを考えて、余計に涙が止まらなくなる。
「じいちゃぁああん、おれぇぇぇ」
「静かに食わんか!口からボロボロ落としおって!」
なんだとこの野郎。こちとらアンタの不可解過ぎる善意のせいで、感情グチャグチャだ。どうしてくれる。おわああ、ホントにうまいなコレ!
「ススム、よく聞け」
グズグズになりながらも食べ進めていると、じいちゃんが何時になく優しげな声を出す。
「お前がお前なりに考えて決めたことじゃ。問答無用で『やめろ』とは言わん。だが、お前の選んだ道は危険極まりない上に、不必要に苦しむ事にもなる。わし個人の感情としては、お前が限界を感じたのなら、そこで納得して欲しい、という気持ちもある」
「でもなあ」、味噌汁を飲みながら続ける。
「お前が続けたいと思う限りは、わしはお前の支えになってやる。お前がおっ
「……なンだよぉ」
「よくぞ生きて帰ってきた!なあに、死ななきゃ上々じゃ。別の道に進むも、このまま意地を通すも、生きてりゃなんとかなるもんじゃよ」
生きていれば、
「おれ、勝てるかな?こっから、何とかできるかな?」
「わしは無責任に『出来る』とは言えんが、少なくとも、お前の成長は歴然としとるじゃあないか。なら、絶対に死なぬように気をつけながら、行けるところまで行ってこい。お前がお前自身に、『もういいだろう』と、そう言えるところまで」
俺が満足いくまで。
俺は、ここで終わりとして、それで吞み込めるだろうか?
いや、
「じいちゃん、心配してくれて、ありがとう」
それと、
「ごめん、オレ、まだ、やり切れてない、みたいなんだ」
もう少しだけ、足掻いてみたい。
「謝られるようなことじゃないわい。お前がそれを願うなら、わしはあーだこーだ言わん。ちゃっちゃと食え食え」
ぶっきらぼうにそう言って、目を合わせないようにナポリタンに手を付けるじいちゃんを見て、全く人の良さを隠せていない事に、ちょっと苦笑してしまう。
この人は不器用なのか、前々から善意を態度で表したがらない。だけど行動が優し過ぎて、俺からすれば甘々がバレバレである。
困った爺さんだし、俺の大切な家族だ。
(((まったく、人騒がせな)))
その時、暫くぶりの美声が響く。
カンナがいつの間にか食卓を囲み、ナポリタンを口に運んでいた。
(ご、ごめん、ちょっと諦めかけてた)
(((まあ、佳いですよ、もう。私としては、激励する手間が省けましたから)))
(ホントにご迷惑をおかけしました…)
カンナにも手間と心配を掛けさせてしまった。彼女も彼女で、よく俺を見捨てないでくれたものだ。
このままではいけない。じいちゃんにも、カンナにも、心から感謝するなら、結果を出して見せなければ。それが誠意と言うものだろう。
俺は自分を叩き直すべく、残ったナポリタンを掻き込んだ。
(((それにしても、美味ですねえ)))
お、カンナも分かる?
同じ物食べてるのに、彼女だと上品に見えるのは、何でだろうな。
(((貴方に憑依してからで言えば、文句無しの一番です。良い腕してます)))
だろ?じいちゃんのナポリタンは最強なんだよ。
何故だか俺が、得意げになってしまう。
(((稼ぎが安定したら、貴方が具材代を出して、定期的に作らせなさい。専属料理人の座に就かせましょう)))
食わせてもらってるご身分で、なんでそんなに偉そうなんだアンタは。
すっかりハマってしまったらしいカンナが可笑しくて、
自分の好きな物を、誰かが好きになってくれたことが、凄く嬉しくて、
つい数分前まであった意気消沈が、
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