第15話

「じゃー、そんな優しい子にはご褒美をあげようなー。ちょっと待ってて」

と言って、マヨ先輩は日陰に置いていた鞄の中から、小さな四角い牛乳パックを取り出した。


「群くん、ハイ、あげる」

群くんの手のひらに、マヨ先輩はいちご牛乳のパックをちょこんとのせた。

ピンク色のパッケージが目にも鮮やかだ。

群くんはそれをじっと見て、その後マヨ先輩を見た。


「いや、これ、先輩のじゃ……」

「いーの、オレ、ペットボトルもあるし。でも今日は暑いから、まだ冷たいうちに飲んでいった方がいいかもネ。それ、牛乳だし」


マヨ先輩はスピーカーに音楽プレーヤーを接続しながら言った。

群くんは少し迷っているみたいだったが、マヨ先輩に日陰に誘導されて、座りながら苺牛乳を飲み始めた。


「堤―。今日は遼太郎、委員で遅くなるらしいから先に始めるぞー」

「ウィッす!」

「アイソレからなー」

「ハイ」


カウントとビートにのって、いつものようにアイソレーションが始まった。

最初こそ、群くんの様子が気になったけれど、途中からついていくのに必死過ぎて忘れていた。マヨ先輩の胸はどうなっているんだろう?


「せ、先輩の胸って、なんか、骨以外の素材でできてんスか……?」

思わず時生が尋ねると、マヨ先輩は笑って言った。

「そうだなあ、砂糖かなア」

酢を飲むと体が柔らかくなるというけれど、砂糖を食べても然りなのだろうか。


群くんは意外にも大人しく、座ってイチゴ牛乳を飲んでいた。曲がりなりにも先輩から言われたので、律儀に守っているだけかもしれない。


「堤、振り覚えたか?」

マヨ先輩が言った。

「昨日やったとこまで、戸次が来る前に確認するぞ」


時生はマヨ先輩の左横に立った。

屋上のガラスにぼんやりと自分の姿が映る。

マヨ先輩がカウントをとった。


腰と膝を曲げて、ダウンの姿勢をとる。

胸を内側に入れて……。


「痛っ……!」


既にバキバキに折れている骨をもう一度折りこんでいくような感覚だ。

マヨ先輩はにやっと笑った。

「今日も子鹿ちゃんだな」

「うう……」

「痛めない程度にやろう。無理しすぎんなヨ」

時生はマヨ先輩と、昨日やったことをゆっくりしたカウントで復習した。


まずはサイドにステップ。手で水をかくように大きく――。

そして、飛び上がるように回転。

半周を二回。まるで忍者のようにマヨ先輩はくるっと回っていた。

なんとか時生もついていく。

ジャンプする動きは性にあっていた。

動き自体はそんなに早くないのだが、

蹴り出すような足の動きに、手をつける。


「ほら、手裏剣! 投げるように!」

と、マヨ先輩が言う。

そうだ、昨日もそう言われたんだった……。

肘の関節がもげてしまうのでは?

指先までしっかりと伸ばす。

空を切るように鋭く、腕を伸ばす。

今まで感じたことのなかった体中の痛みも、踊っているうちに少しずつ和らいできた。

バックステップ、転がって、もう一度サイドステップ。

空中に指を伸ばして、胸元に引きつける。

問題はこの次だ。

チャールストン。


「あぁぁ~……」

時生は情けない声をあげた。


チャールストンは、ステップの一種だ。

かかとを開いたり閉じたりしながら、前や後ろに進む動き。

頭で分かってはいるのだが、体が動かない。

どのタイミングで足をあげればいいのか分からない。

マヨ先輩は簡単にやってみせるけれど、どうしても思うように動かず、もどかしい。


「なんでできないのかなあ……」

「ま、慣れだ。慣れ」

と、マヨ先輩は言った。

「一つのステップでそんなに思い詰めるな。やってるうちにできるようになる。それまでは」

「それまでは?」

「なんとか、それっぽく、ごまかせ」

「えぇぇ~……」

「堤。ステップはどうとでもなるんだが、それ以上に、マズいところがある」

「えっ? 何ですか」

「ポーズだ」


マヨ先輩は言った。


「お前、さっきの、宙に手ェ伸ばすところもう一回やってみろ」

時生は言われたまま、空中に手を伸ばして静止した。


「うーん……」


マヨ先輩が、ブラックコーヒーでも飲んだような顔になった。

「ダセェ」

「えっ!」

「限りなくダセェ……なんだろーな、こう、もっとビシッと……照れがあんのか?」


しばらくマヨ先輩とそのポーズだけ、ああでもないこうでもないと練習していたが、どうにも決まらない。遂に、マヨ先輩が苦々しい表情のまま、

「便所いってくる」

と、離脱した。

申し訳ない気持ちと、もどかしい気持ちで時生は頷くしかできなかった。


何がいけないのだろう。

教えてもらったように、肘は伸ばしている。

それに指先だってピンと伸ばしている。

どこをどう直せばいいっていうんだろう?




「鼻だよ」


空耳かと思った。

後ろを向くと、群くんが苺牛乳のパックを置いてこっちに近付いてきていた。


「え?」

「だから、鼻。手だけ伸ばしたってキレイな姿勢にはならない。ほら、こうやるでしょ。今、堤くんはこんな感じ」


群君は直立不動のまま両手を伸ばした。

万歳三唱を変形したようなポーズだ。

確かに、肘も指も伸びている。

だけど、かっこいいかといわれると、明らかにおかしい。


「腕だけだから浮いてみえるんだ。鼻に糸をつけて、上から引っ張られてるって想像してみて。そうすると、たとえば」


群くんは数センチ顎を上にあげて、足を半歩ばかり後ろにひいた。

それだけだった。

だけどその瞬間、群くんを包んでいた空気が変わった。

群くんの色の白い顎が、陽光を受けて余計に白く見える。

不思議と華奢だとか、なよなよしているとは思わなかった。

それよりも溶けて消えてしまいそうな砂糖細工を見ているような繊細な気持ちになる。触れてみたいような、触れたら崩れてしまいそうな――。

クラスの中でどこにいるのか分からないような群くんは消えてしまった。

屋上で少しポーズをとっているだけなのに、それだけなのにこんなに人は変わるのだろうか。

時生は息をするのを忘れそうになりながら、群くんの全身をじっと見ていた。


「こうすると、キレイに見えるでしょ」


群くんは首だけ時生の方に向けて言った。

シャボン玉が弾けたように、時生はびくっと体を跳ねさせた。

「あ、ああ、うん! すごい、すごいね群くん」


認めたくはないが、男に見とれてしまった。

それにしても群くんはいったい何者なのだろう?


「やってみて」

と言われて、時生も群くんを真似てやってみた。

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