蛇行しながらまっすぐ歩く

森野湧水

あかときの恋 1

「おおっ!」

 思わず秋人(あきと)は声を上げた。

 スカイツリー。

 東京へ出る前は憧れてたんだよな。でも大学二年にもなると、飽きたっていうか、どこからでも見えるから気にしなくなった。

 それがこうして落ち込んでいるときに見えると、初めて肉眼で見たときの感動を思い出す。

 なんとなくスカイツリーの方向に歩いていると、人が増え始めた。それが東京にありがちなおしゃれな若者たちではなく、ちょっと年を取った秋人の親世代の人で、その中にもう一つ上の祖父母世代や、親子、若いカップルなんかが混ざっている。

 何があるのだろうと思いながら人波に流されていると、足を止めて人々が群がっている場所があった。

 朝顔市か。

 大きな通りを挟んだ左右の歩道に、夜店が出ていた。秋人の歩いている右側にはひな壇に並べられた朝顔が、左側にはゲームや金魚すくいやお好み焼きといった屋台が出ている。いつの間にか車の通る道は通行止めになっていた。

 そういえばそんなチラシを町の掲示板で見た気がする。興味がなかったから素通りしたけど、案外大きな市なんだ。

 行き交う人を見ていると、皆一様に嬉しそうで雰囲気が明るい。年に一度のこの市を楽しみにしているのだろう。

 東京で行われている有名な花火大会と比べると規模は断然小さいが、秋人の地元のお祭りよりは大きい。中には流行りの浴衣を着た男女などもいて、遠方から来ていることをうかがわせる。

「兄ちゃん、しけた面(つら)してどうたんだ?」

 法被を着たおじさんに話しかけられた。法被は藍染で朝顔の形が白く抜かれている。頭上では黄色く灯った裸電球が揺れていた。

「はあ?」

 突然親しげに話しかけられて戸惑った。

「どうせ振られたんだろう。どうだい、朝顔。恋愛向上の縁起物だぜ」

 おじさんはひな壇に並んでいる朝顔の鉢を、手で差した。バレーボールぐらいの鉢に三本の支柱が立てられていて、子どもの手の平ぐらいの葉っぱがこんもり茂っている。夕方なので花は咲いていない。

「朝顔で恋愛向上って、ありえないだろう」

 自分がスマホを握りしめていることに気が付いて、慌てて鞄にしまった。まだ振られたわけじゃない。

「それが、違うんだな」

 おじさんの鼻がひくひくと動く。

「朝顔は蔓を巻いて伸びるから花言葉が『愛情の絆』って言うんだ。それにこの護符、あらかじめご祈祷済みなんだぜ」

 おじさんが支柱にぶら下がっている荷札のようなものを指で弾いた。

 確かに「ご祈祷済み」と書かれている。

「どうだい。たった二千円。二千円でいい出会いがあるかもしれない。買ってみなよ」

 値段を聞いて一気に気持ちが萎えた。

 バイト先の中華店で、二時間皿洗いしたら二千円だ。それをこの花に費やすなんてありえない。

 首を振って行こうとしたら、ひな壇の下に、土が盛られていた。ところどころ葉っぱが覗いている。

「おじさん、あれは何?」

「ああ」

 おじさんはかがんで土の塊が見えることを知ると、舌打ちした。

「あれは来るときひっくり返したんだ。茎が折れて売り物にならないから、鉢と支柱を取り除いてあそこに固めておいた。後でどこかに捨てるよ」

 売られている朝顔はすべて同じ大きさで同じ茂り具合をしている。少しでも傷ついたり規格からはずれたりしたら売れないようだ。

「あの、その土の塊、もらえる?」

「なんだ、兄ちゃん。あんなものでいいのか」

 おじさんはせわしなく瞬きをすると、パンと両手を合わせた。

「それなら五百円にしといてやるよ」

 お金を取るのか。捨てるって言ってただろう。

 おじさんの行動は早かった。ビニール袋に素手で土の塊を詰めると、秋人に差し出す。気が変わらないうちにお金を受け取りたいと思っているみたいだ。

「特別にこれも付けておいてやるから」

 どこかから余っている護符を見つけてくると、するりとビニール袋に滑り込ませる。

 あれよあれよという間に、財布から五百円玉を出していた。

 商売上手なおじさんに、うまくやられた感がある。

 折れた朝顔が混じった土の塊を手に下げながら、秋人はため息をついた。

 なんでこんなもの買っちゃったんだろう。いつも思いつきで行動するから、後悔するんだよな。

 大学での出来事を思い出す。

 沙良に浮気がばれて問い詰められた。ここは認めるわけにはいかないと断固否定したのに、浮気相手の美紅がばらした。

 狭い学科内で女二人に手を出すなんてありえない。そもそも、二股した自分が悪いんだ。

 だけど秋人の取った行動は、その場から逃げ出すことだった。

 俺って最低だ。沙良からの連絡はない。やっぱり振られたんだろうな。

 思いのほか遠くまで来ていたみたいだ。帰りは電車を使った。


 下宿に戻って大家の波子さんに事情を話すと、すぐに素焼きの鉢と竹の支柱を用意してくれた。

 秋人は下町の一軒家に間借りをしている。波子さんは祖母の古くからの知り合いで、東京へ行くなら訪ねて欲しいと頼まれ、その言葉通りに挨拶へ行くと間借りの話が決まった。息子さん夫婦が転勤で東京を離れてしまい、使わない部屋が余っていると言われたのだ。

 東京とは思えない破格の家賃を提示されて即決した。秋人には年の離れた妹が二人いる。実家の援助は学費ぐらいしか期待できない。彼女をうちに連れ込むことは難しいが、何とかなると思った。

 それでもあまりにも安い家賃に、落とし穴でもあるのではと勘繰っていると、一つ約束をさせられた。

「大家さん」とは呼ばずに「波子」と呼んで欲しいと。

 秋人に異論はなかった。

 波子さんはいつもおしゃれだった。ワンピース姿のときは襟が海を思わせる青だったり、波模様の着物を着ていたり。染めていない白い髪を短く切りそろえ、背筋とピンと伸ばした姿は、「大家さん」という言葉には収まりきらない個性がある。

 波子さんは干渉してこなかった。それでも顔を合わせると挨拶はしてくれるし、貰い物のお菓子を差し入れしてくれることもある。実家では祖父母と両親、妹二人と、三世代で生活していたから、これぐらいの距離感は新鮮だった。

「変わったものをお持ちになられましたね」

 孫ほど歳の離れた秋人に、波子さんはいつも丁寧な言葉遣いをしてくれる。

 波子さんは鉢と支柱を貸してくれ、秋人が朝顔を植え替えるのを、縁側に座って見ていた。波子さんの家には、玄関の反対側に三坪ほどの庭がある。

「捨てられていたから、つい」

「秋人さんはお優しいのね」

 女にはいつも優しいところが好きだと言われるけど、最後には振られる。自分にだけ優しくして欲しいらしい。でも波子さんの言葉は秋人の知る女の子たちのと言葉とは違って、困ったものだと呆れている気がする。

「そんなことないですよ」

 ついこちらまで言葉遣いが丁寧になる。

 根は乾燥していたが、水をやれば生き返りそうだ。折れた茎は思いきって切ってしまい、低い位置で支柱に固定した。

「根付くまで日に当てない方がよろしいですね。お部屋で育ててはいかかです」

 波子さんは鉢に敷く受け皿まで用意してくれた。

「ありがとうございます」

 園芸経験がないから、植木鉢を用意することすら思いつかなかった。

 俺っていつもこうなんだ。可哀想って思ったら誰にでも手を差し伸べてしまう。その後のことを考えていない。

 最後の仕上げに、護符を竹の支柱に巻き付けた。


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