第36話

 

 ハッと目覚めて辺りを見渡すと、そこには闇が待っていた。


「……っ、ここは……?」


 手のひらと頬に感じるひんやりとした硬い質感は、おそらく石だ。

 今、どこかしらの床に寝かされているのは間違いないのだろうが、如何せん辺りは真っ暗なのでどこかまでは分からなかった。


「……っ、いたっ」


 上半身を起こすと、頭に痛みが走る。セレーナは確認するために、頭に手をやった。

 手のひらに感じた水気は、おそらく額を殴られた時にできた傷からの出血によるものだろう。


 傷口は常にズキズキと痛んでいる。

 微かにぐわんぐわんと頭が揺れる感覚があり、脳震盪を起こしているのかもしれない。

 だが、記憶ははっきりとしていて、意識を失う直前のことを思い出すことができた。


「……そうだ。私を襲撃したのは、元婚約者のデビット・ウェリンドット」


 左手首の治療のためフィクスと共に地上に出てセレーナは、万が一にもフィクスが試合時間に遅れないよう、彼には地下の待機室に戻ってもらった。

 それから救護テントで治療を受けたセレーナは、二週間の激しい運動を禁じられた。


 その後、セレーナは救護テントを離れ、棄権の手続きをしようと、会場の裏手の方に歩き出した。


 民たちが出入りする正門は会場の正面に、選手たちが待機室に入るための地下への正面と裏手の真ん中辺りに、王族や貴族用の出入り口と、御前試合の諸々を管轄しているテントは裏手にあるためだ。


 ──しかし、それが悪かった。


 御前試合が始まれば、騎士たちの警備は会場内と各出入り口に集中する。

 そのため、会場の外には隙が生まれやすく、不審人物が現れたり、問題が起こったりしても気付かれづらい。

 デビットはそこをついて、セレーナを狙ったのだ。


「一生の不覚だ……。不意打ちとはいえ、騎士でもない人間の攻撃を躱せないとは……」


「見つけた」と、背後から聞こえた瞬間、セレーナは振り向き、その時にデビットが手に持つ剣の柄頭によって、頭を殴られた。

 左手首の痛みで体が鈍っていたことと、デビットが騎士服を着ていたことにより、一瞬判断が遅れてしまったセレーナは、デビットの攻撃により意識を失ってしまったのだ。


「それにしても、ここはどこだ……。倒れた私を運ぶとなると、そう遠くへはいけないはず。会場の近く……いや、この暗闇からして、会場の地下の一室か……?」


 円形闘技場には、地下に続く出入り口がいくつもある。

 待機室に使っている部屋に続く出入り口とは別のものなので、警備は薄い。そのため、騎士たちに気付かれずにセレーナを運ぶことは可能だ。


(つまり、ここは会場の地下にある、どこかの部屋である可能性が高い。陽の光が当たらない地下ならば、オイルランプや松明が無ければ、真っ暗なのにも頷ける)


 何故自分がここに連れて来られたのかや、デビットがどのように脱獄したのかなどの理由は大体想像がつく。


「あの男は私を見つけたと言った……」


 デビットはおそらく、セレーナに強い恨みを持った上で、この状況を作り出しているのだろう。


「……それならなおのこと、早くこの場から出ないと」


 腰辺りに手をやれば、いつもあるはずの剣がない。おそらくデビットが奪ったのだろう。


 丸腰の状態には不安を覚えるが、この場所にずっと居て考え事をしていても無駄だ。


「……とりあえず部屋の外に出て、出口を探そう。それから騎士たちにデビットが脱獄していることを伝えないと」


 セレーナはゆっくりと立ち上がる。

 未だに痛む頭の傷と、頭の中が揺れる気持ち悪い感覚に耐えながら、壁伝いに扉を探した時だった。


 ──ギギ……。


 突然聞こえた扉が開く音。

 その直後、ぼんやりとした輪郭の光を放つオイルランプが見えたと思ったら、それを持つ人物の姿をはっきりと確認できた。


「デビット・ウェリンドット……っ」


 最後に見たときよりも頬が少しこけ、顎には無造作な髭が生えていて、髪の毛には艶がなく乱れている。


 変わり果てたその姿をしっかりと目にしたセレーナは、一瞬たじろいだ。


「お前……! もう起き上がれるのか……!」


 その隙に、デビットはすかさず扉をしめると、オイルランプを入口近くにある台に置いた。

 そして、脱獄する際に騎士から奪った剣を鞘から抜き、デビットは焦った表情で丸腰のセレーナへと剣を振り被った。


「うぉぉぉぉ!!」

「……!」


 セレーナは咄嗟に後退して避けたものの、切っ先が彼女の右肩を切り裂く。そして間髪を容れず、デビットはセレーナの左太腿も斬りつけた。


「うぁぁぁ…!!」

「はははっ!! ザマァみろ!!」


 セレーナは床にうつ伏せで倒れ込むと、剣を持ってこちらを見るデビットに視線をやる。

 こちらを睨みつけるのはその目からは、憎く憎くて堪らないという憎悪が感じられた。


「いい気味だなセレーナ。……なあ、僕がここに居る意味が分かるか? どうして脱獄したのか、お前をこの地下室に連れて来たのか、さっき致命傷を与えなかったか分かるか?」

「…………」

「僕や家族を牢屋にぶち込み、キャロル様との愛を引き裂いたお前に、復讐をするためだ! たっぷりいたぶって、その後殺してやる!!」


 大きな声でそう宣言したデビットは、セレーナの怪我をした右肩を思い切り蹴った。


「……いっ」


 痛みで呼吸が浅くなりながらも、セレーナはデビットを睨みつける。


(……私に復讐をしに来て、いたぶるためにこの部屋に連れてきたことは予想できていたけれど、キャロル様にまだ未練があるとは……)


 いや、デビットの言い方から察すると、キャロルも自分に気があると言っているように取れる。

 婚約破棄事件の時にあれ程キャロルにバッサリ振られているというのに、デビットは自分に都合の良い妄想に浸っているのだろうか。


(……なんにせよ、復讐心を抱くだけならまだしも、実行に移すなんて相当な危険人物だ。早急にデビットを捕獲しなければ……他の者にも被害が及ぶかもしれない)


 そう思うものの、怪我の痛みのせいで、思うように体が動かない。しかもセレーナは丸腰だ。


 デビットはセレーナの剣を含めて二本の剣を所持していて常に戦闘体制を取っており、セレーナがいくら騎士として実力が高くとも、勝算は低かった。


(……出口は一つだけ。この男が入って来たことから施錠はされていない。どうにかここから走って脱出して、応援を呼べれば良いけれど)


 デビットはそれを警戒しているのか、あまり出口から離れない。

 それに、セレーナは足を負傷しているため、立ち上がるのもやっとの状態だった。


「本当にキャロル様のことを愛しているのならば、こんなことはやめなさい! こんなことをしてもキャロル様は喜ばない……!」


 それなら説得も手かとセレーナは考え、実際に行ってみたのだけれど、デビットの怒りはより濃くなった。


「喜ぶに決まってるだろう!! キャロル様は僕のことが好きなのに、お前とあの男に脅されたから、あんなふうに僕のことを嫌う振りをするしかなかったんだ! だから、お前たちが居なくなれば……キャロル様は嘘を演じずに済んで、僕のことをまた愛してくれるんだ!」

「ちょっと待って……。お前たちって……」


 セレーナの声に動揺が走る。


 ──何故、今まで考えが及ばなかったのだろう。


 婚約破棄事件の際、デビットを追い詰めた彼のことを、デビットが恨まないはずはないというのに。


「お前を存分に傷付けた後は、ここにもう一人連れてきてやるよ。キャロル様と俺の幸せのために……フィクス・マクファーレンも殺してやる!!」

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