第34話
◇◇◇
──同時刻。
執務室で机に向かっていたフィクスは、必要書類を書き終えると、机の定位置に羽根ペンを戻す。
その次に時計を確認すると、溜息を吐いた。
「もうこんな時間か……」
強張った体を解したいからと、フィクスは両腕を天井の方へと突き上げる。
いつものフィクスならば、今より一時間は早く仕事を終わらせることができただろうが、今日はやたらと時間がかかってしまった。
というのも、書類に不備があって手間取ってしまったわけでなく、日中の出来事を思い出し、集中力を欠いていたためだった。
「あれはほんとに危なかった……」
両腕を下ろし、先程よりも椅子に深く座り直す。
フィクスは、昼間のセレーナのとある言葉を頭に思い浮かべ、恥ずかしそうに頬を赤く染めた。
『フィクス様は少し分かりづらいところはあるけれど、しっかりと見ればあの方の良さがちゃんと分かる。だから、これからあの方をちゃんと見て。…………根拠のない言葉で、フィクス様のことを傷付けないで』
あの言葉を聞いた瞬間、セレーナを意識し始めた時のことを思い出した。
気持ちが高揚して思わず、言葉が溢れそうになった。
『セレーナは、あの頃と変わらないね。正義感が強くて、優しくて……。そんなセレーナを、俺は──』
その後に続く言葉は言わないと、決めていたはずなのに。
「……好きだ」
結果として、フィクスはその思いを伝えることはなかった。
キャロルとクロードに、こんなにも感謝したことがあっただろうか。
(……まずいな。セレーナに好きだなんて言ったら困らせてしまうだけなのに、気を抜くと言ってしまいそうだった。……しっかりしないと)
とは言っても、仮初の婚約者になってからというもの、セレーナに対する思いは日に日に強くなっていく。
学生の頃みたいに遠くから眺めていた時や、ただの同僚だけだった頃よりも、ずっと、ずっと。
(自分でも怖いくらいに、どんどん好きになる)
──ティアライズ伯爵家に挨拶に行った際、斬り掛かってきたクロードからフィクスを守ろうと剣を構えるセレーナも。
フィクスに恥をかかせないように、パーティーに意気込むセレーナも。
シトラスの香りが好きだと言って、笑うセレーナも。
デートの時の盛大に照れているセレーナも。
当たり前のように困っている女性を助けるセレーナも。
彼女に関する全てのことが、頭に焼き付いて離れない。
愛おしいと、心が叫ぶ。
「……お願いセレーナ、早く俺を好きになって」
ひとりきりの執務室。フィクスの懇願するような声は、やけに響いた。
◇◇◇
一方その頃、騎士団棟の地下にある牢屋にて、デビットは頭を悩ませていた。
(クソォ……。牢屋から抜け出す機会がない……!)
キャロルとの幸せな日々を邪魔したセレーナとフィクスに復讐を誓った日から脱獄の機会を伺っていたデビットだったが、それは想像以上に困難を極めた。
地下牢には常に三人、騎士が見張りで立っているからだ。
(貴族の僕をみすみす死なせられないだろうから、倒れたふりをすれば、必ず
その際に、油断している騎士を攻撃し逃げ出そうとデビットは考えた。
だが、たとえ騎士の一人を戦闘不能にしたところで、他の騎士たちに直ぐに捕らえられては意味がない。
(……どうにか、見張りの数が手薄になる時はないものか……っ)
顔を伏せて眉間に皺を寄せながら、デビットはギリギリと奥歯を噛み締める。
デビットがそんなことを考えているだなんて知らない見張りの騎士たちは、ぽつぽつと雑談を始めた。
話題は、三日後に行われる御前試合のことだ。
「御前試合って、王城から馬で十分程度の所にある円形闘技場で行われるんだろう?」
「ああ。一般開放もされるから、おそらく凄い人混みになるだろうよ。陛下たち王族や多数の貴族たち、市民の安全のために、俺たちも最低限の人数だけ残して会場警備に努めよと上からのお達しだ」
「ま、そうなるわな」
そんな会話が聞こえていたデビットはピンっと来て、騎士たちに見えないように顔をニヤけさせた。
(それだ……! 僕にも運が回ってきた!)
三日後の御前試合が行われる日、この地下牢の見張りは確実に手薄になる。おそらく見張りは一人になるだろう。
それならば、騎士を戦闘不能にできる可能性は高く、なんなら騎士の服を拝借すれば、堂々と外に出られるし、剣も手に入る。
騎士たちは馬で移動することが多いため、地上に出れば厩舎もあるだろう。デビットは侯爵家の人間として、馬に乗ることくらいは造作もない。
(これなら、会場まで行ける……!)
セレーナはキャロルの専属護衛騎士で、フィクスは王族のため、会場に居るのは間違いない。
まさかデビットが脱獄するだなんてセレーナもフィクスも思いもしないだろうから、突然現れたら隙を見せるはずだ。
(……ふはは! キャロル様と僕の仲を引き裂いた罰は受けてもらわなければ! それから、キャロル様のことを迎えに行こう!)
──それならば、まずは片方ずつ確実に狙おう。
そう考えたデビットがまず思い浮かべたのは、涼し気な碧い髪に、琥珀色の瞳をした憎き女のことだった。
(女であり、王族のフィクスよりも確実に一人になりやすいセレーナを狙うか)
その次にフィクスだ。
この二人を懲らしめた後には、キャロルとの幸せな日々が待っているのだから──。
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