一回、二回、三回、四回……。

 聞こえちゃいけない音が響いている。漏れちゃいけない液体が床を垂れ流れている。

 それでもわたしは、その光景に目が離せないでいた。そこを垂れ流れる異臭すら、いまのわたしには遠くに感じられた。

 ただわたしがピントを合わせてくっきりと見えているのは。同じクラスの部活の男子で、一度もしゃべったことのない入江くんだった。元々季節外れに転校してきたから、クラスのほとんどの子としゃべったことないのは当たり前なんだけれど。

 彼はこんなに感情を剥き出しにして、人を椅子で殴りつける人だったんだろうか。背はわたしよりも低くって、メガネで、いつもなにかに対してイライラしているような人だと思っていた。わたしと入江くんは、たまたま同じクラスになっただけで、たまたま同じ部活にいるだけの、赤の他人なんだと、そう思っていたはずなのに。

 綺麗な顔をした小泉くんは、もうぐちゃぐちゃになってしまって、とてもじゃないけれど見られない顔になってしまっていた。

 手にかけていた戸が、ふいに力が入って開いてしまった。

 それに驚いた顔をして、入江くんがわたしを凝視する。いつも地味で、神経質そうな人だと思っていた彼は、こんな顔もする人だったのかと、わたしは驚きながら彼を見返していた。

 聞こえてはいけない音。漏れちゃいけない液体。してはいけない異臭。

 なにもかもが間違っている中で、彼はやってはいけない告白をしてきたのだ。


「……信じないかもしれないけれど。僕はずっと君を好きだった」


 人が血まみれで倒れているのに、そんな中で愛の告白だなんて。きっと三時間のサスペンスドラマでだってありえないシーンだ。

 そして一番おかしいのは。

 ここで逃げ出すこともできず、叫んで誰かを呼ぶこともできず、喜んでいる自分のほうだ。

 いったいこれの、どこに好きになる要素があったのか。

 人が死んでいる。人を殺した人に告白された。ただ同じ学校に通っている、一度もまともにしゃべったことのない男子。背はわたしより低いし、今時はやらない瓶底メガネだし、神経質そうだし。

 なにもかもが間違っているのに、次の言葉はさらに間違っている。


「海鳴、僕を殺しに来い。そうしたら、もう一度会える」


 そう言って、小泉くんがずっと一生懸命組み立てていたタイムマシンに手をかけて、慣れた手つきでそれを動かしはじめた。

 最後にこちらに振り返ると、こう言ったのだ。


「僕を殺しに来い」


 そのまま彼はいなくなってしまった。

 こんな感情、間違ってる。

 人を殺した人に告白されて、とんでもないことを言い捨てられていなくなられて、その人を追いかけたいなんて思うのは、間違ってる。

 もっと王子様みたいな人を好きになるんだったら、仕方ないかもしれない。

 背がわたしよりも高くって、顔がくっきりとしたイケメンで、頭がよくって、すこし影があるところもミステリアスな、少女マンガに出てくるベッタベタな人。

 でも、わたしが好きになった人は、格好よくもないし、チビだし、メガネだし、全然優しくもない人だ。もっとちゃんとした人を好きになれば、こんなに苦しくならないのかもしれないのに、わたしは思わず見よう見真似でタイムマシンに触れていた。

 ……もう一度、会いたい。

 人を殺した人を、言われるがままに殺しに行くなんて、きっとどうかしている。

 格好いい小泉くんを無茶苦茶にして殺した人なんだから、きっと悪い人なんだ。……そう思い込もうとしているのに、ノイズに触れている内に、だんだんそんなことがどうでもよくなる。

 きっとひどい目に合う。きっとさんざんな目にあって、ボロボロになってしまう。それでも、今の直感に全てをかけて、わたしはノイズの中に飛び込んでいた……。

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